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第160話
160.
僕は再び緊張して体を強張らせていた。
命がいくつあっても足りない、とはよく言ったもので、先生の駆け引きはいつも命懸けになる、勘弁して。
夏目老中が再び咳払いをする。
それから、誰にもわかるような大袈裟なため息を一つ、ゆっくりと吐き出した。
けれど、何も発言せず先生に話を続けることを促した。
「続けたまえ。」
「はい。坂口を奴隷だと仮定すると、坂口が森殺人未遂事件を起こす前に中原殿が行方を眩ませたのは、全ての罪を奴隷である坂口に押し付け、万が一の事があっても己の身を安全な場所に移しておくことが出来るからです。そして今回、中原殿が見つかって直ぐ坂口が事件を起こしたのも、全ての罪を坂口に擦りつけ、坂口の犯行だということを決定的にする為、と推察するのが一番自然でした。」
ちょっと、先生ってば、証言が虚実綯い交ぜになってる。
これ、どうなの?
逆にこれは、奴隷だと言う事をバラしてしまった為にアンの罪が重くなったりしない??
大丈夫なの?
何で予定にない事を、この人は夏目老中にペラペラと喋っているんだよ。
かといって、会話に割り込む度胸も勇気も僕には無かった。
本当、心臓に悪すぎる。
「成る程、そうか。そう考えれば確かに納得もいくねぇ。しかし、狙う相手が太宰殿でなく、森くんであったのはどう説明するのかね?」
「それは私がナナヒカリだからです。」
間髪入れず先生が答えた。
キリリと前を見据えている先生とは裏腹に、僕は先生が次に何を言い出すのか想像するだけで胃がキリキリと切り刻まれるようで仕方がなかった。
「ほう。」
「中原殿は、坂口が事件を起こす前に逃亡を図っています。つまり、自分が老中の席を空ける事は中原殿自身が一番良く知っていた。中原殿は頭の切れる男です。自分が席を空ければ、元老院が混乱に陥る事が解らないような愚鈍ではない。ですから直接私ではなく、森を狙ったのです。今こうして私が老中の席を守る事も予見していたのでしょう。」
先生は続ける。
「そして、もう一つは、私自身を狙うより、森を狙う方が効率が良いからです。裁判で私が生を勝ち取った為に、理由はどうあれ公に血の盟約という禁忌が認められてしまった。けれど、それは中原殿は容認出来なかった。それならば、禁忌が行われた事そのものをなかった事にすれば良い。森を始末すれば禁忌の存在がこの世から消える。禁忌を犯せば、裁判で順当な勝利を得ても、何者かに殺されるという見せしめにもなる。もし、森が本当に殺されていたとしたら、それが引き金となり、次々に禁忌の存在である者達が暗殺されて行くでしょう。中原殿は、そのきっかけを作る目論見すら視野に入れていたのです。私の推察は以上です。」
「ほう、なるほど。実に面白い見解でしたよ。しかし、証拠がねぇ。太宰殿は何か証拠となるようなものを持っているのかい?」
「いいえ。」
「言うのは簡単なのだよ。坂口が奴隷であるという証拠や証明が出来ない事には、迂闊に動けば此方が名誉毀損で訴えられるよ。全く困ったねぇ。」
「そこで、夏目老中のお力をお借りしたいのです。証拠が不十分な為に裁判で証明するのは無理でしょう。しかし、審議を先に伸ばす事は可能な筈です。どうか、お力をお貸し下さい。」
「君も無茶を言うねぇ。それが真実なら、元老院としても奴隷の一件はなんとかすべき問題であるのは確かだが、確証が無いのに、裁判を遅らせ、それに伴い中原殿の復帰を遅らせても良い理由にはならないのだよ。」
「私は中原殿が復帰するしないに関わらず、老中としての任期は次の選挙迄と決まっております。この一大スキャンダルを無事解決し、かつ坂口が奴隷であると証明し奴隷から解放出来れば、元老院始まって以来の功績となりましょう。また、過去にも未来にも永劫、名老中として記録に残り続けるでしょう。」
「私が危ない橋を渡るとでも思っているのかねぇ。特別な行事でも無い限り、日時を変える事は私の一存では矢張り無理というものですよ。しかしまぁ、今の話を聞かなかった事にくらいは私にも出来ますねぇ。」
「有難うございます。」
「裁判までに、やれる事をやってみましょう。今日はもう遅い。森くんも落ち着いたようだし、本日はこれでお開きとしましょう。」
夏目老中が立ち上がろうとすると、すかさず隣に座っていた正岡さんが立ち上がり後ろに回って控えた。
それを見た先生も立ち上がり、僕もつられて立ち上がった。
「本日は有難うございました。また、今後も宜しくお願い致します。」
先生が腰を折って挨拶するので、僕も隣でお辞儀をする。
「こちらこそ興味深い話が聞けて良かったですよ。裁判まで日もありませんが、どのような切り札を準備してくるのか楽しみですねぇ。」
「はい。きっとご期待に応えてみせます。」
にこにこと笑う夏目老中に挨拶すると、応接室のドアまで向かう。
すかさず、正岡さんがこちらにやってきて、先生がドアに触れる前に、扉を開けてくれた。
僕らはペコリとお辞儀をして部屋を出ると、カチャリと扉の閉まる音がする。
そこでやっと僕は息をついた。
僕の予定にはまるで無かった事を先生が話し出すものだから、始終ヒヤヒヤして仕方なかった。
本当に心臓に悪い。
最後は夏目老中も笑ってくれてたから良かったけれど、一時はどうなるかと思って本当に焦った。
あー、なんだか安心したら急にお腹が空いてきた。
そういえば、今日はオヤツを食べ損ねた事を思い出した。
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