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第170話
170.
僕は先生の態度の悪さに少しイラっとしていた。
もうちょっと、まともな挨拶出来ないのだろうか。
直接中原老中から挨拶された訳ではなく、間接的に小林さんがお礼を言うから反応が素っ気ないのも分からなくは無いけれど、でも、小林さんにしてみたら、そんなの関係ないんだし。
「先生。もうちょっと、ほら、その。」
言葉を濁しながら僕は先生を突いた。
芥川さんに接した時みたいに、とまではいかなくても、もうちょっと、ほら、あるよね?
「いえ、森殿お気遣いなさらず。いいのですよ。」
そう言うと、小林さんはにこりと笑った。
何だろう、これ。
秘書だから?そんなもんなのかな?
「小林、そろそろ準備は良いかね?」
ぼんやりと小林さんの笑顔を見ていると、向こうから小林さんを呼ぶ声がする。
見ると中原老中がこちらに向かって声を掛けていた。
「はい。只今。」
向こうに聞こえる声で返すと、再びこちらに向き直った。
「本当にお世話になりました。有難うございます。」
「いえ、とんでも無いです。」
「こちらこそ。」
僕等は簡単に挨拶を済ませる。
僕が不思議に思っていると、そこに居たアンが擦り寄ってきた。
小声で僕に話しかけてくる。
「不思議に思ったでしょうけど、仕方ないわよ。あなたも時期判るわ。」
「え、判る?何が?」
ヒソヒソとやり取りを交わすものの、それきりアンからの返答は無かった。
それにしても、本当に良かった。
アンを助けられた。
それだけで嬉しくなってきて自然と顔が綻ぶ。
「アン、遅くなったけど、良かった。良かったよ。」
僕は抱き締めたくなるのをぐっと我慢して、アンの両手を取った。
「嫌だわ。そんな改まって照れるじゃない。でも有難う。自由になったわ。」
「うん。」
アンがふわりと笑った。
そして、笑いながら頬に雫が伝うのが見えた。
良かった。
本当に良かった。
「自由だよ。良かった。良かったね。」
「うん。」
アンの手の暖かさが僕に伝わってくる。
ちゃんと生きてる。
アンは生きてる。
今日は、それだけで幸せな気分になれる。
この手を握れるだけで、僕は幸福を感じた。
先生が事件の真相を教えてくれなかったとか、僕に手伝わせてくれなかったとか、色々モヤモヤしたけれど、それも今はどうでも良い。
だって、アンは助かった。
自由だよ。
何処へだって出掛けられるし、皆と遊びにだっていける。
前みたいに、ミユキと3人で部活の練習だって出来る。
そうだ、お預けだったプールだって行けるよ。
今度こそ3人で。
部活の行事だってアンも行けるよ。
先輩たちは、この間のカラオケにアンが来れなかった事でガッカリしてたもんね。
楽しい事がいっぱいあるよ。
やりたい事もいっぱいあるよ。
何だって出来るよ。自由だよ。
「今度、ミユキと3人で何処か行こうよ。何処へだって行けるよ。部活だって先輩達が寂しがってたよ。皆で遊べるよ。」
「うん。」
「うん。」
こんな時、男友達ってどうやって接してあげれば良いんだろう。
嬉しさに任せて抱き締める訳にも行かなくて、歯痒い。
ミユキだったら、きっと、アンを上手に包むのだろう。
今まで、どんな辛い経験をして来たのか、分からないままだけれど、これからはきっと、楽しく過ごしていって欲しい。
自分の為に生きていって欲しいと思うんだ。
「うん。」
言いたい事はいっぱいあるんだけれど、でもお互いに何も言わず頷くばかりだった。
でも、それでもいいんだ。
これから、ずっと自由だから。
少しずつ、一つずつ自由を体験していけばいいんだ。
「さて、取り込み中悪いが、俺達もそろそろ帰ろう。」
先生が声を掛けてくる。
僕は先生を見つめた。
「えっと、あの。」
「勿論、アンもね。」
「はい。」
嬉しくて、顔がにやけるのが自分でも分かった。
こんな顔、今は絶対不細工だから誰かに見られたくなんて無いけれど、でもそんな事言ってられない程、嬉しくて仕方なかった。
無意識に、アンの手を握る手に力が篭る。
それでもアンの手が解かれずに、僕の手の中に居てくれる。
アンの方が嬉しい筈だけれど、僕の方が嬉しさを外に表現してしまっているかもしれない。
まぁ、いいや。今日はそれでも。
僕等は講堂の出口に向かうと、荷物をまとめ終わった小林さんと、中原老中にばったり合流した。
「お先にどうぞ。」
先生が相手に先に通るように促すと、小林さんは恐縮したように頭を下げる。
「有難うございます。この度は本当に助かりました。」
「いえ、何度もすみません。いいんですよ。大した事はしていませんから。」
「とんでも御座いません。有難う御座いました。」
お互いに挨拶を交わして居ると、直ぐそこでそれを見ていた中原老中が唸り始めた。
「もう良かろう。行くぞ、小林。」
「はい、只今。」
僕はそのやり取りに遂に不満をぶつけてしまった。
「中原老中、小林さんも貴方を助ける為に頑張ってくれたんです。」
すると、中原老中は不機嫌剥き出しで僕に詰め寄った。
「貴殿には関係無かろう。それとも、恩を売って取り入るつもりかね?全く、その程度で礼を述べて貰おうと思うとは。甚だ図々しい小僧だ。」
「なっ。」
「止めなさい、王子。」
僕が言いかけると、先生が止めに入った。
えっ、何で?
「相変わらず、お元気そうで何よりです。父上。」
「放蕩息子が。貴様に等、用は無い。行くぞ、小林。」
「はい、只今。」
え、今、先生なんて言った?
僕の聞き間違いじゃなければ、・・・嘘でしょ?
えええええええええ?!
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