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第172話
172.
僕等は、無事3人で先生の家に帰り着いていた。
僕はソファにもたれ掛かるアンに尋ねる。
「そういえば、今後アンはどうするの?ほら、自由だからもう此処に住む必要無くなったけど。」
少し慎重になりながら尋ねる。
慎重になったものの、うまい言い方が見つけられなかった。
言い方を間違えたせいで、僕が追い出したいと思っているのだと、アンに誤解されませんように。
僕は別に今迄通りでいいと思ってるから。
というか、寧ろ結構気に入っているんだ。今の生活。
先生がどう思ってるかまでは、知らないけど。
「うーん、そうねぇ。」
アンはプリンをスプーンで掬いながら返答する。
それから、ぱくりと一口頬張った。
「直ぐにでも出て行きたい所だけれど、あなたを人質に取る時に、全部引き払っちゃったのよ。だから今、私は住所不定の高校生なのよね。貸してくれる所なんてあるかしら。」
「えっ、あのさ、今迄何処住んでたの?一人暮らし?」
「当たり前じゃない。尤も、私のお金じゃないし、借主の名義も違うのだけど。」
「うん?」
「夏目よ。あの人がみんな出してたのよ。高校の学費から家賃まで、何から何まで全てね。だから戻るところなんて無いのよねぇ。」
あー、そういう事だったのか。
謎は全て解けた。
まぁ、アンが自力でバイトした分も有るだろうけれど、基本的には夏目がアンのパトロンだった訳か。納得した。
「わたしって綺麗でしょう?だからなのよね。皮肉ね。」
「え?何が?」
「ほんと鈍いわね。夏目は綺麗なわたしを手元に置いておきたかったのよ。でも別に愛情があった訳じゃ無いの。あの人は混血だからそれがコンプレックスだった。純血で綺麗なわたしを手元に置いて支配する事で、自分を慰めたかったのよ。」
「そう、だったんだ。アンも無理矢理連れ去られて大変・・・だったね。」
何て受け答えしたらいいのか分からない僕は、言葉を詰まらせながら、でも平凡な返答しか出来なかった。
つまりそれって拉致されたって訳で、そこに触れてはいけない様な気がして、何も言えなくなった。
「いいえ、それがそれも違うわ。わたしは、自ら進んで彼の奴隷になったのよ。」
「えっ。」
僕は絶句するしか無くて口を噤む。
ちょっと意味が解らない。
「わたしね、彼のことが好きだったの。愛してた。だから、彼が望むならと思って進んで奴隷になった。今思えば、本当馬鹿よね。」
僕はじっとアンを見つめるだけだった。
その横顔は酷く寂しい。
「あのね。奴隷になるのって、詳しくは割愛するけれど、その相手の精液が必要になるのよ。愛が得られる訳じゃ無いのに、それでも進んで奴隷になったわ。馬鹿だったのよ。わたし。」
アンは寂しそうに微笑みながら続ける。
馬鹿、そうかもしれない。でも、それだけじゃ無い。
それ以上に募る気持ちがあったのだという事を、僕は感じていた。
だって、こんなにも物悲しそうな顔をするから。
「最初は良かったわ。それなりに大事にしてくれてたと思う。でも、いつの間にか、気付いたら扱いは地に落ちてた。それからは色々、・・・やらされたわ。」
寂しそうな表情のまま、アンは僕に振り返ることもなく、横顔だけで話し続けた。
「わたしが注射の扱いを覚えたのも、それがキッカケだったの。夏目の為に血液を運ぶ日々を送ったわ。わたしは辛かった。何故って若くて綺麗な女性の血を彼に運ぶのよ。でも、わたしの血は毒にしかならない。気付いた時には、彼にとっては、もう、わたしは透明な毒になってた。言う事を聞くだけの傀儡でしか無くなってしまったわ。」
アンは一つ息をつくと、再びプリンを掬って口に運んだ。
その横顔は綺麗で、でもとても哀しかった。
「何だって出来ると思ってた。あの人が私を想ってくれるなら何だって。・・・出来ると、思ってた。でも、遂にそんな日は来なかったわね。」
アンはプリンを口に運ぶ。
歪んだ愛が悲劇を招いたのだとしたら、じゃあ、整った愛って何だろう。
「馬鹿よね。それでも好きだった。好きだったのよ。好き・・・だった。あの人、あの人ね。口寂しいだろうって、わたしに煙草をくれたの。それから、いつも、わたしの容姿を褒めてた。でも、それだけ。でも、嬉しかった。だから、やっぱり諦められなくて、それで、・・・。」
「うん。」
「どうしたら良かったの?わたし、どうしたらあの人を、あの人に、・・・。どう。」
ほろほろと、言葉と共に雫が伝って行く。
僕はそれを、隣でただ見守るだけ。
「うん。」
「諦めたい。」
「うん。」
僕は心の中で、早く彼氏が出来ればいいのに、と思った。
アンを大事にしてくれる人が一日も早く見つかります様にって。
僕では駄目だから。
それで、大切にして貰って、少しづつでもアンの心が癒されます様にと、そう願った。
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