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第19話 義兄弟のヒートの過ごし方(1)
次のヒート予定日まであと数日、という日。
僕のヒート周期は安定していてそんなにずれることがない。この日僕は朝からなんとなくだるくて、体調がいつもと違うのを感じていた。
蒼司は授業があったので出掛けて行き、それを見送った後僕は荷造りをした。中西に色々言われて悩んだ結果、ヒート期間中は実家で過ごすことにしたのだ。
(やっぱり、会って間もない義弟とヒート期間を過ごすわけにはいかないよね)
予定日前日に移動するつもりだったけど、このだるさはもしかすると今日か明日にでも来てしまいそうな感じだ。
急いでスーツケースに衣類や洗面用具などを詰める。緊急時に利用できるオメガ専用のタクシーがあるが、それを頼るほどではないだろうから普通のタクシーで――などと考えていた。
しかし、荷造りを終えてタクシーを呼ぼうとスマホを探していたら急に心臓がバクバクしてきた。呼吸も苦しい。
(やばい……これ、もう始まるやつじゃん!)
実家へ行くのはもう間に合わなそうだ。さすがにヒートが始まってからわざわざ外に出る気にはなれない。
せめて抑制剤を飲もうと、僕はキッチンに水を汲みに行く。
「はぁ……はぁ……くるし……」
(急にこんなふうになることあんまりないんだけどな……年のせい?)
震える手でミネラルウォーターをグラスに注ぎ、飲もうとしたら手を滑らせてしまった。グラスが床でガシャンと割れて、辺り一面水浸しになる。
「あ……っ! もう、なんで……」
砕け散った破片を拾おうと手を伸ばす。
「痛っ!」
今度はガラスで指を切った。傷口から血がどくどくと出てくる。
(ああ、もう……さっきから何やってるんだよ~……)
僕は指をギュッと押さえ、タオルを取りにふらふらとバスルームへ向かう。
棚の上にあるタオルを掴んで引っ張ったら、そこに積んであったタオルがバサバサと落ちてきた。
「ああ、ちょっ……うそでしょ~……?」
ここは抑制剤を飲んでから片付けることにして、血を洗い流そうと振り向いたらランドリーバスケットに足がぶつかって倒してしまった。
(もう、こういう時に限って!)
蒼司くんの洗濯物が散らばってしまい、さすがにそのままにできないと思って片付けようとした。
が、それが間違いだった。
彼がさっきまで着ていたTシャツを手にした瞬間、アルファ特有の匂いが僕の鼻から脳天を突き抜けた。
(あ、やば……)
視界がグニャッと歪んで、そのままぐるぐると回り始める。ひどいめまいに僕は立っていられなくなりその場にうずくまった。
すると目の前に彼のTシャツが見え、思わず顔を埋めて思い切り匂いを吸い込んだ。すると、背筋が痺れるくらい良い匂いがした。
(大好きな蒼司くんの香り……)
「はぁ……っ、あ……これ、もっと……」
僕は散らばった服をかき集める。相変わらず視界はグラグラと揺れていて、自分が元々何をしようとしていたのか思い出せない。手当たり次第洋服に鼻をこすりつけるが、どれもこれも良い匂いがする。
「はぁはぁ……ん」
(……この匂いたまんない……♡ 体熱くなってきたぁ……)
お気に入りのアルファの匂いを嗅いだせいで頭がぼんやりして、体の奥がじんじんと疼く。吐く息が熱い。
(やば……どうしよう……我慢できな……)
体を触りたくなり、ふと自分が手に握りしめているものを見つめる。蒼司の履いていた黒いボクサーパンツだ。
「あ、これ……」
僕はそこに顔を埋めて思い切り雄の匂いを堪能したいという欲望をなんとかこらえ、下着から手を離した。
(うう、これやっちゃったら、ファン失格だし……)
ほとんど家に居るため、蒼司の衣類も自分の物とまとめて洗濯をしていた。だけど、彼のファンとして洗う前の下着はなるべく直接触らないように気をつけていた。自分なりに越えてはならない一線を引いているのだ。
(だめだ、蓉平しっかりしろ。そうだ、思い出した。僕は抑制剤を飲もうとしていてグラスを落として……)
目が回るし、薬は結局飲めてないし、血で洋服が汚れてしまったし――と思っているうちに気が遠くなって僕は意識を手放した。
◇◇◇
「――おい、しっかりしろ、蓉平!」
体を揺すられ、名前を呼ばれて僕は目を開けた。
「蓉平、大丈夫か? おい、聞こえてるか?」
ぼんやりと、蒼司の顔が見えてくる。
「あお……あ~……蒼司くん」
「ああ良かった、驚かすなよ。なあ、この血どうした?」
「ごめ……ん指切っただけ……。はぁ……ぁ、やば。蒼司くんの匂い……」
僕は自分の顔の横にあった彼の膝に顔を埋めた。さっきの服も良い匂いだったけど、実物はもっともっと良い匂いがする。
「あ、おいバカ、何するんだよ」と蒼司が僕の顔を引き剥がす。
そして僕の血まみれになっていた手を確認して彼が言う。
「もう出血は止まってるし傷は大したことなさそうだ。――しかしすごい匂いだな。抑制剤飲もうとしてこうなったのか?」
「……うん」
「飲んだのか?」
「えと……飲んでない、かな?」
(あれ、飲んだんだっけ?)
「その調子だと飲めてないな。キッチンにグラス散らばってたけど、緊急抑制剤なんて水無しで飲めるだろ」
「あ〜……そっか」
考えてみたらそうだった。慌てていたのでそんなことにも気が付かなかった。蒼司はキッチンに置いてあった抑制剤を持ってきてくれた。
「まずこれ飲んで」
僕を抱き起こして蒼司が薬を口に放り込んだ。僕は水無しでそれをガリガリ噛んだ。
「にがぁ~~い……」
「子どもみたいなこと言ってんなよ」
「蒼司くん、あの……こんな近くにいられたら、もうやばいから……」
「あ、ああ。俺もこれ以上匂い嗅いだらヤバそうだ。お前は部屋にいろよ」
「ん……」
僕が頷くと、彼は僕のことを軽々と抱き上げて部屋のベッドに運んでくれた。正直、触られた箇所がひりひりするくらい気持ちいい。でもなんとか変な声が出ないように我慢した。
「ごめん、蒼司くん……」
「なあ、すげえ顔赤いぞ、大丈夫なんだよな?」
彼が本気で心配そうに覗き込んでくる。恥ずかしいけど、具合が悪いんじゃない。
「うん、ただヒートのせいでムラムラしてるだけだから……」
「……わかった。俺はガラスと洗濯物片付けてシャワー浴びてくるから」
「ありがとう……あの」
「ん?」
僕は薬が効く前の蕩けた頭でついおかしなことを口走った。
「あのね、蒼司くんシャワー行くなら……その服、一枚貸してくれないかなぁ……」
「服?」
「あの……あ、やっぱり良いや! ごめん、なんでもない!」
僕は自分がとても恥ずかしいことを言ったのに気づいて頭から布団を被った。そのまま黙って立ち去ってくれることを祈ったけど、蒼司が意地悪そうな声で尋ねてくる。
「蓉平、まさか俺の匂いが付いた服がほしいのか?」
「……いえ……その、はい……」
「ふーん、ヒート中のオメガがアルファの服借りてどうするつもりだよ?」
彼は更につっこんでくる。
「……それは……い、言えません……」
「エロいことに使うつもりだった?」
「ち、ちが……い……ます……」
「ふーん?」
蒼司のバカにしたような声に、僕は布団から顔を出す。
「だって、今抑制剤飲んだし。効いたらもうエッチな気分じゃなくなるから! ただ、良い匂い嗅いで寝たいなーって思っただけだし……」
言い訳する僕のことを鼻で笑いながらも、蒼司は脱いだTシャツを僕に放って寄こした。
「やるよ。舐めるなり嗅ぐなりどうぞお好きに」
「な、舐めたりしないよ!……でも、ありがとう」
彼の綺麗に割れた腹筋がちらっと見えた。より一層変な気分になりそうで、僕は急いで目を逸らした。
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