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第5話
地球人たちがガヤガヤと騒ぎながら下校するまで、三鶴はトイレの個室に引きこもっていた。終礼のベルから二時間。廊下はやっと、シンと静まった。
遠く、グラウンドから運動部が練習しているらしい声が聞こえる。なんと言っているのか、三鶴には聞き取れない。
そっとトイレから出て左右を見渡す。人の気配はない。教室に居残っている生徒はいないようだ。それでも足音を忍ばせて、自分の教室に入っていく。カバンを取って、またそっと廊下に出る。
誰にも会わずに済んだとホッとしつつ下足室に向かうため階段を下りていると、武藤と行きあった。互いに一瞬、足が止まる。
「東谷!」
大声を聞いて、思わず逃げようと身を翻したが、武藤に腕を掴まれてしまった。
「お前、授業をサボってなにをしてるんだ!」
ガサついた怒鳴り声が三鶴の耳に突き刺さる。
「まさか、屋上で煙草を吸ってるのは、お前か!」
犯人は斯波だと言えば簡単に逃れられる。だがなぜか口にすることが憚られた。三鶴は黙ったまま、何度も首を横に振った。
「黙っていたらわからん! ちゃんと話せ!」
武藤が手を離して腕組みした。威圧するために背が反るほどに伸び上がって三鶴を見下ろす。萎縮した三鶴は逃げることも出来ず、うつむいて武藤から目をそらす。
「答えんのは、お前が煙草を吸ったと思っていいということだな」
地球人になにを言っても無駄だ。初めから三鶴に罪を着せようと決めていたのだ。
非常階段の扉に鍵がかかっていて生徒が外に出ることが出来ないことなど問題にもしない。非常時にも自由に階段を使えず、生徒たちが危険な目に会うことも、地球人にとって、どうでもいいことなのだろう。
「来い。生徒指導室で話を聞く」
三鶴の肩がびくりと震えた。ひっくり返った弁当の吐き気がしそうなにおいと、脚に触れた武藤の分厚い手の感触が蘇る。熱血漢を気取る武藤と密室で二人きりになれば、今度こそ殴られるだろう。
それならば、まだいい。もし、両手を握られ、非行をやめるよう熱心に説得されでもしたら。
ぞっとして顔が青ざめたが、武藤が歩く後ろに付いていくことしか出来なかった。
生徒指導室に入ると、武藤はふんぞり返ったままパイプ椅子に腰を下ろした。三鶴は出来るだけ小さくなろうとするかのように背を丸めて、机を挟んで対面のパイプ椅子の端に座る。
「お前が非常階段に向かうのを見たものがいる」
告げ口した犯人を、もちろん、知っている。古賀だ。
「どうやって非常階段の鍵を開けたんだ」
武藤は三鶴の言い分など聞くつもりはない。まともに地球語を話せない異星人と意思疎通することなど初めから考えていないのだ。
「合鍵でも作ったのか? そこまでして校則に反抗するのか。性根が腐ってるな」
なにを言われているのか、ぼんやりとしか聞き取れない。ただ、武藤の表情には得意げな、満足そうな色が浮かんでいる。生徒を支配下において罵倒することが出来る立場に酔っているのだろう。
そんな地球人を、三鶴は何人も見てきた。
母を罵倒する父。濡れ衣を着せる同級生。地球人同士の騙し合い。路地裏の暴力。どこに行っても地球人は争っていた。
「黙っていないで、なにか言え!」
椅子を鳴らして武藤が立ち上がり、机を回って三鶴の側に立った。頭上から浴びせられる強い視線が痛くて、三鶴は顔を深く伏せた。
「この……!」
武藤が拳を握りしめたその時、扉が開いた。ぎょっとして武藤が拳を背中に隠す。
「し、斯波先生、ここは使用中ですよ」
斯波は武藤と三鶴を見比べると、「失礼」と静かに言って扉を閉めた。部屋の中に煙草の残り香がプンと広がった。武藤もそのにおいに気付いたのだろう。気まずそうに自分の席に戻り座り込むと、大きなため息を吐いた。
「もう行っていいぞ」
羞恥心、怒り、憤り、どんな感情で発された言葉か三鶴にはわからない。
地球の言葉は三鶴には届かない。
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