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第14話

「おお、東谷。もう大丈夫なのか?」  職員室に入ると武藤がすぐに三鶴に気づき大股に近づいてきた。 「無理せず、少しでも体調が悪けれは保健室に行くなり、早退するなりしていいんだからな」  猫撫で声で言うのは、三鶴がいじめの被害者だと知ったからだろう。眉尻が下がった武藤の情けない表情を初めて見て、三鶴は少しだけ武藤に対する嫌悪感が減ったように思った。 「と、言ったのにすまんが、当日の話を聞かせてほしい。昼休みにまた来てくれるか」  三鶴はうなずいて、教室に向かった。  三鶴の姿を見留めたクラスメイトは、誰もが、しんと口をつぐんだ。  酷いいじめにあっていたことを知っているもの、当のいじめの犯人、同情、嫌悪、そして古賀の情け深い表情の仮面。 「大丈夫? 東谷くん」  古賀になにか言うことなど考えられず、三鶴は答えずに席についた。教室にざわめきが戻る。古賀は悲しそうな仮面をかぶってみせてから、友人との談笑に戻った。  三鶴に水をかけた生徒はどうしたのだろうかと、ちらりと顔を上げると、真っ直ぐに黒板を見つめて姿勢を崩すこともない。まさか、古賀が脅したのだろうかと、有り得ないことが頭をかすめた。  午前の授業は平穏に終わった。休憩時間に地球語を浴びせられることもなく、古賀に話しかけられることもなかった。  今日も弁当は持っていないので、昼休みが始まるとすぐ職員室に赴いた。また生徒指導室に行くのだろうと思っていたが、武藤は三鶴を連れて、教職員が使う会議室に入った。  会議室ではスクールカウンセラーと保険医が三鶴を待っていた。 「東谷くん、昼食は済ませた?」  保険医に問われ、曖昧にうなずいておく。 「今日はね、スクールカウンセラーの原田(はらだ)先生とお話ししてほしくて来てもらったの」  原田という女性は五十代前半だろう、小太りで柔和な雰囲気を持っている。いかにも親切で、誰でもを受け止めてくれそうに見える。だが、三鶴は、原田の丸い眼鏡の奥の目が、自分をじっと観察していることに気付いていた。 「東谷くん、お話するのは初めてですね。原田睦子(むつこ)です。よろしくお願いします」  親密な空気を作ろうとしている原田を見ていることに居たたまれなくなり、三鶴はうつむいた。  原田は体調のことや、入院のこと、両親の心配具合などを質問したが、三鶴はなにも答えられない。原田がなにかを企んでいそうで怖かった。 「ショックが強かったみたいね。お話は、もっと落ち着いてからにしましょう」  思っていたより短時間で解放されることにホッと息を吐きかけたのだが、武藤が割って入った。 「原田先生、すみませんが悠長にしている場合じゃないんです。東谷に水をかけた犯人を見つけなければ。東谷、犯人を見たか?」 「武藤先生、その話はまだ……」 「いいえ、すぐに犯人を見つけて処罰しないと、生徒に示しがつきません。また東谷になにかしでかすかもしれないし」  原田と武藤が言い争う。一見、三鶴のためを思っているような口ぶりだが、原田はカウンセラーとしての体面を取り繕うため、武藤は生徒を罰したいために意見を述べているに過ぎない。早くこの部屋から出たくて、三鶴は顔を上げて二人を見比べた。  二人とも三鶴の視線になど気づかず、言い合いを続ける。保険医が会話に割って入った。 「まだ東谷くんは体調が本調子ではないようです。私は原田先生の意見に賛成です」  武藤は不満そうに口をもごもご動かしてから、「わかりました」と呟いた。 「東谷、不安だろうから、古賀に出来るだけ一緒に行動してもらうよう頼んでる。なにか困ったことがあったら、古賀にでも、俺にでも相談するんだぞ」  ぐらりと目眩がした。古賀に? 武藤は、なんて言った? 「休み時間も一人でいないで、古賀と一緒にいればいい。そうすれば安心だ」  胃から苦い液体がせり上がってきた。ほぼ痛まなくなっていた性器に鋭い痛みが走ったように感じる。 「どうしたの、東谷くん」  保険医が立ち上がり、三鶴の側に駆け寄った。真っ青になって小刻みに震えている三鶴の背をさする。 「ショックが大きかったのね。保健室へ行きましょう。横になった方が楽になるから」  保険医の細い腕で支えられ、三鶴は保健室へ連れて行かれた。ベッドに寝そべると、たしかに少し呼吸が楽になったように思う。  保険医に布団をかけてもらった三鶴は、頭まですっぽりと布団をかぶり直した。  もう逃げられない。古賀の嗜虐趣味を一身に受けて嬲られ続けるのだ。誰も知らない古賀の素顔を見せつけられて、古賀が常識的な仮面をかぶるための犠牲になり続けるのだ。 「東谷くん」  びくっと震え上がる。 「体調が悪いんだって? 武藤先生に聞いて来たんだ。大丈夫?」  顔を見なくてもわかる。古賀は優しげな心配そうな仮面をかぶっている。  だが、喜びに満ち満ちているのは声を聞いただけでわかる。  昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。保険医が立ち上がる気配がした。 「古賀くん、次の授業が始まるけど」 「心配なんで、もう少し東谷くんについていてもいいでしょうか。武藤先生には許可をもらっています」 「そう。じゃあ、ちょっと留守番していてもらえる? カウンセラーの先生と話したいの。三十分くらいで戻るから」 「わかりました」  扉が開き、閉まる。古賀はベッド周りのカーテンを締めきった。三鶴は布団をぎゅっと掴んで抱きしめる。  古賀は、三鶴の足元の布団をそっと持ち上げ、手を差し込んだ。 「東谷くん、具合が悪いところは、どこなのかな。俺が診てやるよ」  古賀は三鶴の足首を強く握った。

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