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第29話

「確定。非処女」  短く荒川が言った。三鶴は全身を細かく震わせて快感の残滓に溺れている。 「すごーい、三鶴くんってば大人!」  茶化すように言う佐治に、荒川が「カメラから目を離すな」と厳しく命じる。 「もういいだろ。いい加減、腕が痛い」  百地がマットの上に三鶴を下ろした。三鶴が吐き出した精液が太腿について、ねちゃりと音を立てた。 「じゃあ、今日の動画はここまで。皆さん、思いっきり欲情してくれたかな。次の動画を楽しみにしてね〜。ほんじゃ」  佐治が明るく動画を締める。三鶴は開放されて大きく息を吸った。 『次の動画』? 佐治の言葉を反芻してぞっとした。 「三鶴くん、お疲れ」  アイマスクが外された。荒川が満足げに笑いかけて立ち上がる。 「最高の動画が撮れたよ。そうそう。配信するときには顔にモザイクかけるから安心して」  いくら顔を隠したところで名前を呼ばれていては何にもならない。三鶴は獰猛な性癖を持った男達に付け回される将来を考え、呆然とした。 「ああ、大丈夫。声にもエフェクトかけるし、名前部分はピーっていう音に変えるから」 「荒川のこだわりなんだよねー。キャストには安心安全を約束するってさ」  なにを言われているのか三鶴にはよく分からなかったが、自分が想像した最悪の事態は起きないらしい。 「俺たち、撤収するけど。次の撮影の連絡するから、連絡先交換して」  そう言って荒川がスマートフォンを差し出したが、三鶴は持っていない。まごついていると、百地が目を丸くして尋ねた。 「もしかして、スマホ持ってないのか?」  こくりとうなずく。 「まさか、ぱかぱか携帯?」  首を横に振る。  佐治がニヤつく。 「もしかして、古賀くんとの連絡には狼煙(のろし)を使ってたりして」  真面目な表情で三鶴が首を横に振ると、佐治は腹を抱えて笑いだし、荒川は無視してカメラの撤収作業を行い、百地は唖然として三鶴を見つめた。 「貧乏で買えないとか?」  そっとうなずく。スマートフォンを買えないどころではない。三鶴に与えられている一ヶ月の小遣いは二百円。しかも全て一円硬貨で渡される。義母は三鶴に嫌がらせするためなら労を厭わない。 「仕方ないなあ。撮影は予告なしで早朝にやっちゃうしかないね。三鶴くん、朝は毎日ここにいてね」  佐治が言うと、荒川が「それでいい」と答え、百地が「二人でやれよ」と嫌そうに言う。 「百道がいないと三鶴くんをM字開脚させられないじゃない」 「ストレッチさせとけよ。じゃあな、先に行くぞ」  百道がぶすくれて倉庫を出ていった。佐治が楽しそうな笑顔を浮かべる。 「あーあ。素直じゃないなあ。あんなこと言ってても、撮影には来てくれるよ。三鶴くんは安心して気持ちよくなってくれたらいいからね」  撤収作業を終えた荒川が「帰る」と短く言って倉庫を出る。 「そうそう、三鶴くん。今日も古賀くんとラブラブエッチするんでしょ。精液、拭いておいたほうがいいよ」  佐治はポケットティッシュを三鶴の足元に放って寄越した。消費者金融会社の可愛らしいマスコットキャラクターが明るい笑顔を振りまいている。惨めな気分になりながら、三鶴は自分が撒き散らした精液を拭き取っていった。  倉庫を出たときには始業の予鈴が鳴り終わっていた。急がなければ遅刻する。  そう思うのに足は重く、引きずるようにしか前に進まない。  体育館を回り込んで校舎を見上げる。自分のクラスの生徒は皆、着席している。武藤がすでに教室にいるのだろう。古賀もあそこにいるはずだ。  三鶴の姿が見えなくて、きっと心配している。だが今、古賀の顔を見るのは辛い。  ふと屋上に人がいることに気づいた。白衣を着ている。斯波だろう。  斯波も三鶴に気づいたらしく、軽く手を上げた。まるで幻を見ているようだ。  斯波に初めてインスタントコーヒーを飲ませてもらったときには、古賀の暴力に脅えていた。インスタントコーヒーがなくなる頃には、古賀に執着されていた。  今では、古賀がいなければ生きていけないと思っている。  ぼんやりと考えに浸っていると、斯波が非常階段を下りてきていた。珍しく小走りだ。  一階にたどり着き、三鶴のもとに駆け寄った。 「どうした、なにがあった?」  いったい、なにが自分の身に起きたのか。三鶴はそれを地球語で言い表すことが出来なかった。  斯波は三鶴の両肩に手を置いて、顔を覗き込む。 「真っ青だぞ。体調が悪いのか?」  体調は悪くない。ただ、泥のような疲れと、自分が佐治たちに見せたことに対する吐き気のような嫌悪感が、喉に詰まっているだけだ。  そんな思いをどうやって伝えたらいいのか、それも三鶴には分からない。 「とにかく校舎に入ろう。雨が降り出した」  まったく気付いていなかったが、空を仰ぐと、ぽつりと雫が頬に落ちた。曇天から次々に落ちてくる雫が、三鶴の頬を濡らし続けた。  化学準備室に入ると、斯波が鍵をかけようとした。ふと手を止め、三鶴を見つめ、鍵はかけずに部屋の奥に移動した。  白衣をコート掛けに被せて消臭スプレーを滴るほどに振りかける。ぼうっと立ったままの三鶴に椅子を勧めて、湯を沸かし始めた。  豆を挽き、ドリップする。白いカップに満たされた黒い液体は優しい夜の闇のようで、立ち上る香ばしいにおいは懐かしい母がいたキッチンを思い出させた。  斯波が黙ってコーヒーに口を付けた。三鶴もカップを取り、両手で包み込む。熱い。生き物のように体温があるのかもしれない。無生物の熱とは違って、じんと胸に染み込んでくる。  実験器具の中で湯が沸いているコポコポという音だけが、室内に流れる。地球語が必要ない交流。斯波も三鶴と同じように、違う言語を持っているのかも知れない。  誰にも伝わらない、自分だけの言語を。

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