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第32話

 昼休みが始まってすぐ、三鶴は立ち上がり、古賀の席まで移動した。 「三鶴、具合が悪いなら、練習は……」  有無を言わさず古賀の腕を取って立ち上がらせる。古賀の友人が「古賀が攫われる〜」と言って笑い出す。 「うん、橋詰。ちょっと攫われてくるよ」  にこやかに言う古賀に友人たちが「行ってらっしゃい」と手を振る。  教室を出ると、古賀はすぐに仮面を脱いだ。 「本当に、保健室に行かないのか? 少しでも横になったら楽になるかも」  古賀が何を言っても三鶴は首を横に振り続け、化学準備室の扉を開けた。  斯波が三鶴をちらりと見る。もう湯は沸かされ、道具も揃っている。 「座れ」  二人に命じて、斯波はコーヒーを淹れ始めた。 「コーヒーにはリラックス効果がある。まあ、肩の力を抜け、二人とも」  ゆったりと上がる湯気、漂いだすコーヒーの香ばしいにおい、ブラインドが下りて外界から守られた空間。  コーヒーカップが目の前に据えられたときには、三鶴の顔色もかなり良くなり、古賀の焦っていた気持ちも消えていた。    斯波が机の引き出しをごそごそと引っかき回し、チョコレート菓子を見つけ出した。 「食え。チョコレートも精神安定に良い」  斯波の引き出しからは色々なものが出てくるなと思いつつ、三鶴はチョコレートを口に入れた。  とろける甘さ。ほんの少しだけ漂う苦さ。まだ人生の苦味を知らない子どもたちへの苦言なのかもしれない。  三鶴が落ち着いたことを確認して、古賀は昼食に準備してきた食物を取りに教室に戻った。 「古賀は甲斐甲斐しいな」  なんとも返答のしようがない。甲斐甲斐しいというような甘いものではない。あれは、どろどろの独占欲だ。 「古賀にも話せないことなのか?」  先日、佐治たちに初めて動画撮影されたときのことを言っているのだろう。今日も倉庫で服を脱ぎ、淫らな行為をさせられた。  斯波にはなにが起きているかはわからないだろうが、三鶴が困難に陥っていることには、はっきり気付いている。古賀よりも、はっきりと。  それでも斯波は無理に聞き出そうとはしない。三鶴の困難には斯波が入り込む隙間はないのだと、そんなことも察してくれる。  動かない三鶴に、斯波はうなずいてみせる。 「古賀に、嘘だけはつくなよ」  三鶴はしっかりとうなずいた。  早朝から教室にいる日と、始業ぎりぎりに弱った様子で入ってくる日が数日置きにやってくる。  古賀は三鶴になにがあったのかと何度も尋ねた。三鶴は微笑むだけでなにも言わない。胸の奥に熾火のように燻る怒りと、三鶴の声を聞けない寂しさが募っていくのを古賀は感じた。  三鶴は毎日、古賀の腕を引き、家に連れて行く。義母が玄関で待ち構え、地球語で喚くこともあるが、その姿を見もせず、古賀を自室に引き入れる。  古賀との性行為は日々、激しくなっていく。三鶴が興奮した面持ちで古賀をベッドに押し倒すこともある。なにが三鶴を変えたのか。それが自分ではないことが古賀にははっきりとわかった。  では、なぜ?    撮影が終わり、次回の撮影は四日後だと言われた。荒川によると、動画の再生数が非常に良く、編集に力を入れているのだという。  自分の痴態が大勢に見られていると改めて知らしめられ、三鶴は力が抜け、体操用マットにしゃがみ込んだ。 「大丈夫だって。顔も声も隠してんだ。誰にもわかりやしねえ」  そう言って、百地もしゃがみ込み、三鶴の口にドーナツを押し付けた。 「食え」  三鶴は反抗しようと口を開けない。百地はいつまでもドーナツを押し付け続ける。まるで野生動物を手懐けようとしている猟師のようだ。 「百地は優しいよねえ。捨て猫なんか放っておけないタイプ」  佐治がからかって言うと、百地は「うるせえよ」と応えてドーナツを自分で食べてしまった。 「そんで、恥ずかしがり屋」 「うるせえって」  数回の撮影で、三鶴はもう三人を恐れなくなっていた。痛いことをされるわけでもない、命の危険も感じない。ただ、精神的に痛めつけられるだけだ。  三鶴にとって精神的な打撃は幼い頃から慣れ親しんだものだ。  ただ、古賀のことだけを思う。自分の奥深くは古賀だけに見せたかった。他の誰にも、もう二度と見せたくなかった。  それを、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回されて、三人のことを許せるとは思えない。それなのに、三人を嫌うことはない。 「じゃあ、次は四日後な」  荒川が言って機材を肩に担ぎ扉へ向かう。 「三鶴くん、古賀くんと仲良くね~」  佐治が朗らかに手を振る。 「お前、もう少し食えよ。あばらが浮いてるの、見苦しいぞ」  百道が目をそらして言う。  三鶴は黙って服を着る。  ドゴッと鈍い音が扉の方から聞こえた。 「なんだ!?」  佐治と百道が走っていく。またドゴッ、ドゴッと物凄い音が響く。 「てめえ、なにしやがんだ!」  怒号の後に、何度も何度もなにかを殴りつけているような音は響き続ける。  人間のものとは思えないようなうめき声がする。三人分の苦悶の声だ。  三鶴はなにが起きているのか分からぬまま、身を縮めて動けなくなった。 「三鶴!」  大声で呼びながら古賀が駆け寄ってきた。手にバットを握っている。三鶴の姿を見ると、バットを捨てて三鶴に抱きついた。 「だめだろ、あんなやつらの言うなりになったらだめだろ」  頬を手で包まれ、上向かされた。きっとまた獣のような目をしていると思い見ると、古賀は泣いていた。 「三鶴は俺だけのものだ」  抱きしめられた三鶴の肩に、古賀の涙がぼろぼろと溢れた。

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