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第34話
示談がまとまり、釈放されたと聞いたのは、三鶴が学校を三日休んだ後のこと。保健室に登校し、保険医がいないときを見計らって化学準備室に行ったのだ。
鍵は開いていたが、斯波はいなかった。白衣と教科書もなかったので、授業中なのだろうと三鶴は座って斯波を待った。
時間があまりにも長く感じられて、いたたまれなく、コーヒー用の道具が入っている棚を覗いた。何度淹れても美味しくならない三鶴のコーヒー。
きっと、ここにいたくて、古賀と穏やかに並んでいたくて、腕が上がらないようにしていたのだろう。
ガラス瓶にコーヒーの粉が入っている。いつも昼休みまでに斯波が豆を挽いて入れておいてくれるものだ。今日も三鶴がコーヒーを淹れられるようにしていてくれた。
三鶴は道具を引っ張り出して湯を沸かした。
「いい感じじゃないか」
授業が終わったようで部屋に入ってきた斯波は、三鶴が淹れたコーヒーのにおいを褒めた。
三鶴はコーヒーカップを斯波に差し出す。斯波は教科書を抱えたままで、コーヒーを味見した。
「美味いな。合格だ」
三鶴はぺこりと頭を下げた。
「だが、コーヒーの世界は奥が深いぞ。もっと極めろ。味見係が戻るまで、研鑽しろ」
「古賀は学校に戻ってこれるんですか!?」
教科書とコーヒーカップを机に置き、白衣を脱ぐ。椅子に座ってから、三鶴にうなずいてみせた。
「示談で終わったそうだ」
示談とは、事件を金で解決することだというのは三鶴にもなんとなくわかった。
「動画を取ってた奴らは被害者が多すぎるということで退学。古賀は事情を鑑みて無期停学」
力が抜けて三鶴は椅子に座り込んだ。
「いつから登校できるかはわからないし、釈放されたとはいえ、自由に出来るわけじゃないらしい。それでも」
斯波は三鶴の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「良かったな」
泣きそうなほど嬉しい。
佐治たちが三鶴を脅していたことが学校中に知れ渡っていた。幸運だったのは、脅しの内容が何だったかは知られていないことだ。古賀と三鶴の性行為は校内の誰も知らない。
三鶴は古賀を汚されずに済んだことに胸を撫で下ろした。
三鶴の動画はまたたく間に校内中の噂になり、動画再生数は一時的にかなり伸びたらしい。
三鶴以外にも佐治たちの餌食になっていた生徒は数多く、女子生徒の中には動画のせいで自主退学するという者もいた。
動画はすぐに削除されたが、生徒たちの口の端に上ることは止まない。
三鶴は保健室登校を続けた。噂されるのはなんということもないが、自分の姿を生徒たちが見ると、古賀が起こした事件をいつまでも思い出させるだろう。それを避けるために身を隠している。
古賀が釈放されたと聞いた翌週、保健室に入ると、斯波がいた。保険医が難しい表情をしているのは、斯波がなにか問題を持ってきたのだろう。
「東谷、これ」
斯波からメモ用紙を手渡された。
「古賀の住所だ」
三鶴の顔が、ぱっと輝いた。それを見た保険医の表情がますます険しくなる。
「本当に良いと思いますか、斯波先生」
「仕方ないでしょう。俺が見つけなかったら古賀は校内に忍び込んだ」
保険医は疑わしげな目で三鶴を見る。
「古賀くんとは、そんなに仲が良いの?」
なんの質問かわからず斯波を見やると、斯波は大きなため息を吐いた。
「昨日、古賀が校門前にいるのを見つけてな。帰るように言ったんだが、東谷にあわせろとごねて」
また、ため息。よほど面倒くさい目にあったのだろう。
「東谷の家に行くとまで言うから、どれだけ東谷に迷惑がかかるか説明した。そうしたら泣き出したんだよ」
古賀が自分が知らないところで泣いた。いてもたってもいられなくて、三鶴は保健室から駆け出そうとした。
「待て、待て。東谷」
斯波に腕を掴まれた。
「停学中に学校に来られるよりはマシかと思って渡したが、基本的に会いに行くのは禁止なんだからな。絶対に見つかるなよ。古賀のためだ」
三鶴は何度も強くうなずいた。斯波が保険医に「先生も、それで大丈夫ですね?」と念押しした。保険医はしぶしぶうなずく。
「今日は東谷くんは欠席としておきます」
弾けるような笑顔でお辞儀した三鶴を見て、保険医は目を丸くした。まさか三鶴が笑うとは思っていなかったのだろう。
三鶴は今度こそ、保健室を飛び出した。
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