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第18話 殺意
次の日、また隣で言い争う声が聞こえて、薫は目が覚める。
腰や足の関節が強ばって痛い。痛みに顔を顰めたら、腹筋に力が入ったらしく、後ろからシリルの残滓が流れ出てきた。
「あれ程言ったのに、どうして!?」
声の主はエヴァンだ。彼も必死なのか、会話を聞かれているという頭は飛んでいるらしい。
「ロレットからも言ってください!」
エヴァンの叫び声に、ロレットもここに来ていることが分かる。しかし、エヴァンの呼び掛けに、ロレットは応じない。それに対してエヴァンは静かに声を震わせた。
「ロレット? 貴方まさか……」
「シリル、奴は殺して、また転生を待った方がいいんじゃないか? 俺とエヴァンでまた喚べば良い」
「ロレット!!」
「そうだな……」
シリルの肯定した呟きに、薫はヒッと短く悲鳴を上げる。殺す? 殺すって、誰を? まさか自分を?
「今度は子供が授かれる、健康な女性の身体で産まれてくれたら……」
「シリル! それはなりません!」
バタバタと、足音が近付いてくる音がする。薫、逃げなさい! とエヴァンの叫ぶ声がした。
しかし薫は身体を動かせなかった。裸のままベッドに座り、寝室に入ってきた三人を瞠目して見つめる。
エヴァンは必死になって、薫に近付くシリルを抑えていた。こちらに向かって何か叫んでいるけれど、何を言われているのか分からない。
そこで唐突に、ベルの記憶が蘇る。
シリルとのお別れの時、自分の魂を持ったロレットが何て言ったのかを。
『エヴァンに傷を負わせたお前を、俺は許さない。来世では俺が殺してやる』
思い出した記憶は断片的で、どうしてロレットがそう言ったのかまでは分からなかった。
薫はロレットを見る。
エヴァンがシリルを説得している横で、彼は静かにエヴァンと──薫を見ていた。
薫は身震いする。この目は、何をするか分からない奴の目だ。
ロレットがスっと何かを抜き取る仕草が見える。エヴァンがシリルに気を取られているのを横目で確認し、彼らの陰から出てきたロレットは、短剣を持っていた。
本能的に逃げなきゃ、と思う。バスローブを手繰り寄せ、ベッドの上で後ずさりするものの、足が滑って上手く動けない。
「ロレット!」
エヴァンが彼に気付いて振り返った時には、もう薫のそばに来ていた。
「薫! 逃げなさい!」
エヴァンのその声に、薫はやっと弾かれたように動いた。ロレットがいる反対側からベッドを降り、エヴァンが抑えていたシリルの横を通り過ぎる。寝室を出ようとしたところで呻き声が聞こえて、まさかと思って振り返ると、エヴァンがうずくまっていた。
「エヴァンさん!!」
刃に血を付けても、表情を変えないロレットがこちらに向かって来ているのが分かった。やはり彼は、ひとを傷付けても、何も思わないひとらしい。
彼は危険だ、本当に注意すべきは彼だったんだ、と薫は震える。
「大丈夫。俺はエヴァンには、一生消えない傷は付けない。……けど、お前は別だ」
「何してるんです!? 逃げなさい!!」
エヴァンが叫んでいる。薫にはロレットの言うことが理解できなかった。そして、歩いて迫ってくるロレットを見て、今度は薫の記憶が蘇る。
「あ、ああ……」
薫が事故に遭った日、複数人で薄ら笑いを浮かべ、迫ってくる元同級生たち。
『俺たちから逃げられたら、もう金貸してなんて言わないよ』
そんなことを言って、恐喝すら楽しんでいた奴らから必死で逃げたのに。
どうして生まれ変わっても、こんな風に追われなきゃいけないんだ!!
「……っ!」
薫はやっと走り出した。バスローブは着ている暇もない。肩に掛けるのがやっとで、所々鬱血した部分もあるけれど、構わず隠さずに走る。
ロレットも走って追ってくる。先程まで冷静だった彼は、目が爛々としていた。それが恐喝グループのアイツらと重なった。
とりあえず、城の外へと向かう。途中、すれ違う使用人たちにクスクスと笑われて、自分が馬鹿にされていたことに今更気付くなんて、と滲んだ視界を雑に拭った。
「……逃げるって……どこに行けばいいんだよ!?」
また視界が滲む。城の中の温室生活で、この世界の一般市民がどのように暮らしているかも分からない。
それどころか、城の外の土地勘すらない。
ロレットはいつの間にか見えなくなっていた。けれどきっと探して動いてはいるだろう。薫は躊躇わずに教会の方へ行き、そこから外に出ることにした。
教会の裏側に来て、ここでエヴァンに慰められたな、と思い出す。
自分に向けられていたと思っていた愛が、自分のものではなかった。シリルは自分ではなく、自分の中のベルを見ていたにすぎなかった。
「……っ、うぅ……っ」
初めて、自分に愛してると言ってくれたひと。同性の自分に、優しく触れてくれた……なのに。
薫は歩みを進める。鬱蒼と茂る草木を掻き分け、麓へ向かおうと下りて行く。
「シリル……僕を、……僕を見て欲しかったな……!」
嗚咽が漏れた。
前世では母親の人形にされ、クラスでは暴行、恐喝され、ろくでもない人生だったのに、転生しても愛されずに殺されかけるなんて。
「……っ」
薫の足が止まる。そこから先は、崖になっていたのだ。そこでやっとバスローブを着て、慎重に下を覗いてみた。木で地面は見えないけれど、高さはゆうに二十メートルはありそうだ。
「うさぎちゃーん! 大丈夫だよ、また会えるようにしてあげるから出ておいで!」
シリルの声がする。ロレットもいるのか、俺が殺してやるから出て来い、と叫んでいた。
彼らはおかしい。いくら転生が信じられているからと言って、ひとの人生を勝手に終わらせようとしている。そんなの、ダメに決まってる!
薫は辺りを見回す。茂みに隠れたらやり過ごせるか? いや、通りすがりならまだしも、自分を探しているならすぐに見つかりそうな草木だ。しかも相手は複数人、全員を躱すなんて無理かもしれない。
じゃあ、と薫は再び崖の下を見る。
「いたぞ!」
「……っ!」
近くで声がした。反射的に逃げようとして──バランスを崩す。そして転んだ先は運悪く、崖の先だ。
「あああっ!」
強烈な浮遊感に胃が竦んで、薫は崖下へと落ちていった。
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