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第7話
「悠、明後日から俺、海外に行ってくるから」
突然、和真から言われ、悠はすぐに理解が出来なかった。和真の方は、久しぶりに機嫌がいい顔をしている。
「ジュエから展覧会にデザイナーとして参加するように依頼が入ったんだ。展示会のためにアメリカまで行って打ち合わせするんだよ。渡航費とか全てジュエ持ちだ。何かすげえチャンスが来た。だから一か月くらいかな、アメリカまで行ってくるから」
「えっ、和君、新しい仕事は?新しくデザインの依頼が入ったから、僕、塾講師の仕事辞めたんだよね」
「ああ、あれね。あれは断ったよ。ジュエの方がでかい案件だし、他が無くなったってどうってことない。悠、やる事ないけど、家にいてゆっくりしてていいから」
和真はデザイナーとして呼ばれた仕事に浮かれていた。
後ろめたい気持ちはないのだろうか。
悠はこの前、和真に言われた通り、塾の仕事は辞めてしまった。
生徒は何人か受け持っていて、その中で成績が上がってきていた子もいる。
せめてその子たちの受験までは、塾講師として一緒に支えてあげたかったと、ずっと気になっていた。
悠は仕事を辞めたことを後悔している。
続けたいと思っていた仕事を辞めて、和真が取って来たデザインの仕事に取り掛かる予定が、その仕事も和真はキャンセルしていたと言う。
和真は一か月ほど海外に渡り、その間悠は何もやることはなくなる。自宅にいるだけの生活になるとは、落胆の気持ちでいっぱいだ。
携帯電話も案の定取り上げられていた。これからは家にいることになるので、使用はしないだろうと言われ解約した。
「水城に様子見に来るように言っておくから。金も置いておくからさ、その間、自由にしてていいよ」
唖然としている悠に向かい、和真はそう言い放った。
和真が出発するまでの丸一日と半分は、何をしたかもよく覚えていない。
寝たのか寝ていないのかもわからなくなるほど気分が落ち込み、自分自身が情けなくなってくるのをただ感じていた。
気持ちを切り替えることが出来るのだろうか、と考えているうちに和真は楽しそうに出発していった。
ひとりになると、なおさらやることはなくなる。何かやらなければと思い立ち上がったところに、来客の知らせがあった。
玄関モニタを確認すると、水城がいるのがわかる。和真は水城に様子を見に来るように伝えると言っていたが、こんなに早く来るとはと思いながら、玄関のドアを開けた。
「水城ちゃん、どうしたの?何かあった?」
水城に声をかけ、家の中へ招き入れた後ろから、長身の影が同時にドアの内側に入り込んできた。大柄でスーツ姿の男だった。
その男が、「悠...」と声をかけている。知り合いだろうかと、見つめていたらその男は『エド』だとわかった。
「えっ? エドなの? 雰囲気違っててよくわかんないけど...」
突然のことに何か起きているのかわからない。わかるのは、困った顔をしている水城と、心配そうに見ている『エド』の
二人がいることだけだった。
「悠、一緒に来て欲しい。荷物は何もいらないから、このまま一緒に。水城もいるから安心して欲しい」
水城は、家の中に入り電気を消したりと、家を出る点検をしている。
「えっ?よくわかんないんだけど。あれ、日本語?」
「ごめん、悠。すぐに全部話するから、一緒に来てくれ。すぐに着くから」
そのままの恰好で家を出る。外には車が待っており乗り込むように言われた。
車の中で悠は、身動き取れなくなり固まってしまう。ここ数日の疲れが出てしまったようで、フラフラとしている気もしている。車の中では誰も何も話はしなかった。
重厚感がある車が、高層マンション地下に入り、停車した。
悠の家からここまでは、そんなに遠くはないと感じるが、ここがどこだかわからない。
「悠、私につかまって。大丈夫だから、一緒にいるからね」
ふらつく悠は水城に支えられ、専用エレベーターで最上階まで上がっていく。
車の中で一緒だった見知らぬ男に「入って」と言われ、水城と共に入ると、広くて明るいリビングが見えた。
最上階なので、都会が一望できるようになっていて、少し気持ち晴れる。
久しぶりに外出したからだろうか。
「ここ、どこですか?何があったの?」
「聞いて、悠。私も知っていることなの、あのね、」
と、水城が悠をソファに座らせ話始めた時、遮った声が聞こえた。
「悠、俺の名前は乙幡 奏丞 だ。今まで黙っていて申し訳ない」
「えっ?乙幡さん... エド…エドワードさんではないんですか?」
「いや、エドワードは俺のミドルネームなので嘘ではない、本名だ。悠、急に連れてきて申し訳ない。ここは俺の家で、俺は君が広告のデザインをしたジュエの社長だ。話したいことは、君がデザインした広告のことだ」
ジュエと言えば、和真に頼まれて最近もデザインをした。その会社の社長が『エド』だと本人の口から言うのが聞こえた。会社の社長と『エド』が同じ人物だとは頭の中で繋がらない。
デザインといえば、後ろめたいまま制作していたものだ。和真に頼まれているとはいえ、悠がデザインを手掛けているのが、ジュエ側ではわかっているのだろうか。水城もこの場に一緒にいるので、間違いないのかと、悠は理解する。
「木又悠さん、初めまして、乙幡の秘書の長谷川と申します」
車から一緒にいた初めて会う男が、悠の前に跪いて座る。見つめられて目の高さを合わせてくれてるんだなと、気が付き慌ててお辞儀をした。
「水城さんからも聞いています。ジュエの広告は悠さんが手がけたものですね。悠さんの弟さん、木又和真さんは弊社と契約しているデザイナーの方です。それは悠さんもご存知ですよね。社長は..乙幡は、契約違反だと責めているわけではありません。何か大きな理由があって、悠さんが代わりにデザインを手がけていると思っています。私達は、悠さんが手がけたデザインを高く評価しています。それなので、初めて会って、言いにくいかもしれませんが、悠さんが何故デザインしてるのか理由を聞かせていただけませんか?」
悠は、顔色が悪くなっていく。
素人が手出しをしたデザインで大きな会社に迷惑をかけることになったと思った
「申し訳ございません。僕が、デザインをしてしまいました。今回だけではなく、前回のも僕です。本当にすいません」
ソファから立ち上がり悠は頭を下げた。
謝っても取り返しがつかないことになっているかもしれない。
「違うんだ、悠。理由があるだろ?
悠の口から教えてくれないか?」
今まで毎日楽しくメッセージアプリを通じて会話してくれた人がジュエの社長で、そしてもう一度会って話したいと思っていた人だった。
その人が目の前で、自分の手を握り必死になって伝えている姿を見る。理由を教えて欲しいと真剣に問いかけている。
本当のことを伝えてもいいのだろうか。自分の気持ちを伝えてもいいのだろうか。和真に知れたらどうしたらいいのだろうか。この人の会社にどのような迷惑をかけてしまったのだろうか。急なことで、頭の中が整理できず伝えようとする言葉も迷ってしまう。
自分の意思のなさから、言いなりになってきた出来事なのに、それを理由として話していいものだろうか。
「木又悠さん、迷ったらだめですよ。毎日毎日メッセージを送りあって、理解を深めていた人があなたを心配しているんです。そんな心配している人には、誠心誠意きちんと話をした方がいいですよ」
長谷川が悠の目を見てニッコリと笑う。
悠の口から、ぽつりぽつりと言葉がこぼれ出す。乙幡は悠をソファに座らせ、自分も隣に座り手を握っている。
悠が話し終えると、聞いていた水城は涙ぐんでいた。事情はわかってはいたが、悠本人の口から聞くことは衝撃でもあったようだ。
「悠さん、辛い事なのに決心して、話をしてくれてありがとうございます。実は、木又和真さんの海外行きは、乙幡が計画したものです。和真さんと悠さんを物理的に引き離している間に、悠さんに会い聞くためでした。色々と騙し討ちのようですいません。悪気があったわけではないので、許してください。それと、今日から当分悠さんはここで生活してください。このままの状態で和真さんのところに帰すことはできません。それに、ジュエの広告デザインについては金銭も絡んでいるので、話し合いをしなくてはなりません。私達がそれについては準備するのでそれまでここに居てください。
必要なものは何でも揃ってます。揃えています。困ることがあれば、私が全て準備するので申し出ください。
あと...顔色がよろしくないので、少し休んだ方がいいですね。もし、悠さんが嫌ではなければ、そのまま今、手を握っている人に寄りかかって昼寝をしてください。当社のソファは寝心地もいいですから。よく眠れると思います」
長谷川からここに滞在するようにと言われ戸惑ったが、悠の体調を気遣い事情も把握してくれている。それに、会社とのデザイン契約もあるので、長谷川の言う通りにしようと思った。
悠さんを心配している人がいるんですよ、嬉しいことですねと、何度も長谷川は優しく言ってくれた。
そして乙幡も長谷川も、悠が手がけた広告デザインはすごく評判がよく、デザイン自体には何も問題はないと言ってくれた。「俺は悠のデザインが好きなんだよ」と言う乙幡の言葉が心に響く。
「社長、今日はこのまま休みにしてください。明日、明後日は週末なので、次は月曜日に出社となります。また連絡します。水城さん行きましょうか」
悠が着の身着のまま出てきてしまってから数時間経っているはずだ。忙しいであろう二人に迷惑をかけたと悠は感じた。
「悠、乙幡社長に言えば私とすぐ連絡取れるから、大丈夫だから休んでね」
「水城ちゃん...」
そのまま二人は帰ってしまった。
「悠...ごめんな。騙していたようで、本当に悪かった。日本語も喋れるんだ」
さっきは、スーツ姿の乙幡を初めて見たので別人かと思ったが、今では悠の会いたかった人だとわかる。
「乙幡社長、本当にすいませんでした」
「悠...俺、本当にエドワードって名前持ってて、エドってアメリカの友人には呼ばれてるんだよ。あれは嘘じゃないし、作り話でもない。悠と毎日連絡とっていた時の話は、全部本当のことだ。だから変わらず悠にはエドって呼んでもらいたい」
乙幡が困った顔で見ているので、つられて悠も困った顔になってしまう。
「顔色が悪い、疲れたよな。ちょっと昼寝しよう。このまま、横になって、そう、寄りかかっていいよ。うん、そんな感じ。俺、身体大きいから大丈夫だよ」
ぐいぐいと横にされて、悠は乙幡に寄りかかるようになる。ブランケットをかけてもらうと気持ちが安心した。
握ってくれている乙幡の手が暖かい。
体温が高い人なんだろう。
手を繋ぐのも、横になって隣に人がいるのも子供の頃以来なのに、何故か落ち着き眠くなってくる。
ここ数日は寝ているかどうかもわからないほどだったので、疲れていたのだろう。体が温かくなるにつれて、うつらうつら眠くなってくる。
人の家なのに、安心しきって悠は寝てしまった。
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