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第8話

寝ている悠の手先がまだ冷たい。急に連れて来られて何が何だかわからず、緊張していたはずだ。 水城と一緒に悠のところに行ったのは、弟の和真が外出してすぐだった。 突然の訪問者に悠は驚いていた。 それもそうだ。メッセージアプリで連絡を取っていた外人が、急に自宅に来て、しかも喋れないと思っていた日本語を使って喋り出し、このまま一緒に来てくれなんて酷い話だよなと、乙幡は振り返って自分がしたことに頭を抱える。 (でもなぁ…ああでもしないと、家から出て来てくれなかっただろうし…) 考えるほどまたスタート地点に戻って来てしまう。話を聞く間も、寝ている今も手を振り払われなかったのは、少しは心を許してくれているのだろうか。 悠の寝ている顔を見る。顔色はあまり良くない。きっと睡眠不足でもあるのだろう。なるべく長い時間こうやって寝かしてあげたいと、乙幡は思ってしまう。 疲れて寝てしまっている悠は、少し幼い顔に見える。サラッとした癖のない髪の毛は綺麗な薄い茶色だった。乙幡は、そっと髪を触って確かめてみた。 事情はわかっていたはずなのに、悠の口から聞くと衝撃だったのは、ここにいた全員が感じていたようだ。 束縛され、自由も希望もなく、望まないことを強制されることは、誰も自分に置き換えると想像が出来なかったからだ。 悠自身も気がついていないことが多くあると感じる。恐らく、和真が社会人になるまでの数年間は、仕事、家事、母の看病と全部を悠がやっていたようなので、遊ぶ時間も余裕も何もなかったはずだ。 和真が社会に出て、そろそろ落ち着くだろうと思った矢先に、母が他界し、和真のわがままが発揮したというわけか。 自己主張がなく言いなりになってると、乙幡は最初思ってイライラとしていたが、それは違ったとわかる。 主張をすることも知らず、言いなりにならなくていいことも、わからないのだ。 きっとストレスが溜まっていることも、わからないのだろう。 悠は、怒ることも、喜ぶことも、泣くことも、楽しむことも何もかも心の奥にしまいこみ、長年封印している。 自分でも気がつかずにそうしているのだ (喜怒哀楽か…ひとつづつ、解放してやりたいな) もぞもぞとした気配を感じて目を覚ます。色々と考えているうちに自分もいつの間にか寝てしまっていたと、乙幡は気がつく。右腕の中には悠がいて、顔を覗き込むと目があった。 「起きてたのか?」  「すいません、どうしていいかわからなくって、起こしちゃってごめんなさい。それと…スーツ、ぐちゃぐちゃにしちやって…ごめんなさい」 ああ、スーツのままだっけと乙幡は自分の姿を見下ろす。起こしていいのにと、乙幡は内心思いながら悠をソファに座らせた。 「悠、とりあえずここで生活するために、家の中を紹介するよ」 悠が使う部屋は事前に決めておいた。 ここは乙幡一人で住んでおり、幸いなことに使っていない部屋はたくさんある。 悠が使う部屋の中には、長谷川に頼んで購入しておいた服や日用品、その他必要であろう物が置いてある。 家の中を一通り案内し、ある物は自由に使い、足りない物は教えて欲しいと言うと驚いた顔をしながら頷いていた。 用意周到だから、そりゃびっくりするだろう。ただ、悠を見ていると乙幡は、自身の今までの行いを思い出し、心の中でため息をつくことになる。 警戒心が強い人に対してはいくらでも、上手い言葉が出てくる。 恋愛の駆け引きでもそうだった。好意を持って近寄ってくる人にはすぐアプローチし、警戒心が強い人には言葉巧みに気持ちを和らげた。いずれのタイプも乙幡は、簡単に落とすことが出来、それを繰り返してきた。 悠は、乙幡が今まで会ってきた全てのタイプの人には当てはまらず、素直に乙幡の言うことを聞いているようだった。 警戒心も持たず、疑うこともせず、乙幡を信頼しているようにも見える。 悠の反応に乙幡は戸惑っていた。 (これじゃ、和真と同じだな、俺は) ぐぅっという小さな音が聞こえた。 真っ赤になって俯いている悠がいた。 「お腹すいたな。何か食べよう。部屋着に着替えてキッチンまで来て」 ここ最近はろくに家で食べていない。 着替えを終え、(食材あったけ?)と頭の中で考えながら急いでキッチンに行くと、着替え終わった悠がいた。 用意した服は大きかったようで、Tシャツもスウェットもダボっとしている。 「そこに座ってて、何か作るよ」 キッチン横のダイニングに座るように促した。何か作るとは言っても、食材はあるかなと心配になる。 冷蔵庫の中には、ビールと炭酸水、後は空っぽで冷凍庫には肉が入っていた。 肉だけか…と思っていた時、悠が乙幡の近くまで近寄ってきた。 「悠、ごめん。俺、たまにしか作らなくて、冷凍庫に肉しかないよ。何か買ってくるからちょっと待ってて」 「あっ、ハンバーガーヘルパー…」 キッチンの隅にシリアルと一緒にインスタント箱入り食品を置いてあった。 悠はそれを指差していた。 「ハンバーガーヘルパー好き?あ、悠はアメリカに居たんだっけ。食べたことある?」 「アメリカにいた頃よく食べてました」 ふわっと笑ってくれた。 喫茶店で初めて会った時と同じように、 乙幡に笑いかけてくれた。 一瞬であの時に戻ったような気がした。 「ひき肉があるから、これ作るか。もっとちゃんとしたご飯食べさせたかったけど」 「僕、作りましょうか」 「一緒に作る?」 キッチンでジャンクな食べ物を二人で作る。それだけで楽しくなってきた。

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