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第31話
朝早く目が覚めた。ひとりで露天風呂に入ろうと立ち上がり、乙幡の方を見る。
熟睡しているようで起きる気配はない。
朝靄というのが出ている。お湯に入りながら遠くの空を悠は眺めていた。相変わらず、草木が揺れる音しか聞こえない。
和真からデザインを手がけるように強制されていたが、今はそれを自分の意思でやり始めようとしている。自分から選択するのは楽しいけど、責任もついてまわる。乙幡はその責任をも楽しんでいるように見える。同じように楽しめるようになれるだろうかと悠は、ゆっくりと湯に入り考えていた。
風呂から上がり全身を鏡に映してみると、赤い斑点があちらこちらに見えた。何だろうと近づいて見るとキスマークだとわかる。昨日、乙幡がしつこくキスしていた場所全てに赤い点がついていた。昨日の行為を思い出させるものだが、跡が残るのを見ると何だかくすぐったくてニヤけてしまう。服を着れば隠れるだろう。悠だけが知ってる乙幡の名残は嬉しい。
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「悠、朝早く風呂入った?」
「あ、ひとりで入りましたよ。朝早く目が覚めたから」
「なんだ、起こしてくれればよかったのに」
助手席で楽しそうにケラケラと悠が笑っている。本当は、朝早く風呂に入る悠をベッドから眺めていたから知っている。
隣にいる気配が無くなったからなのか、目が覚めて悠を探したらベッドから見える露天風呂に入っていた。
起きたてのままベッドに横になり眺めていた。ひとりで風呂に入っている悠は、何とも凛とした姿をしていた。
何を考えているんだろうと見つめていたら、いつの間にかまた寝てしまった。
もっと見つめていればよかったと、乙幡は思うが、何か考えている横顔を見れてよかったとも思う。
昨日もノートに書き込みをしていた。楽しそうに書いているなとその時も横顔を見ていたのを思い出す。
「今日は夕方から塾のオンラインが入ってるから、その後にご飯の準備しておくけど何がいいとかある?」
このまま一緒に家に帰る予定が、急遽乙幡は会社に行くことになってしまった。
「ごめんな、一緒に帰れなくて。温泉で疲れただろうから俺が作るよ。早く帰れると思うしさ。何しよっか、うーん、クラムチャウダー?チャンキースープ?」
簡単なものしか作れないから、どうしても缶詰のものしか出てこない。色々と料理が出来るようにならなければ。
「あはは、いいよ、僕が何か作っておくから。リクエストあれば後で連絡して」
家の前に駐車し、悠がエントランスを入りコンシェルジュの前を通るまで見送る。悠が無事に家に帰ったのを見届け、その足で会社へ乙幡は出向いた。
プライベートで行ったので本当は今日も休みのはずだったが、長谷川から緊急の連絡が入っていた。いつもの呼び出しとは違うことは感じている。
事前に連絡していたからか、長谷川を含む数名に出迎えられた。
「社長、このまま会議室の方までお願いします。関係各部署の者、全員揃っています」
会議室ではスクリーンに映し出した映像が流れていた。
「八雲家具です。本日、新商品のプレスリリースを配信しました。そこでこのデザインを使われています」
長谷川が出した八雲家具のデザインは、和真が悠に描かせたあのデザイン画であった。ジュエに提出したものとは少し違うように手直ししてある。
八雲家具は、ジュエのライバル会社だというのが、世間での位置付けだ。
「既に多くのメディアで取り上げています。今回、八雲家具は汚れにくい生地の家具を打ち出しています。このデザインは、その家具のものです。これが新商品となるようです」
「ネットにも既に上がってます。急上昇ワードにも入り反響も多いようです」
社員が口々に言う。スクリーンには、配信された八雲家具の社長の挨拶から新商品の説明が流れていた。
和真はジュエと契約解除となり、元々悠が作っていたデザインを少し加工して八雲家具に売ったのだろう。ソファで遊ぶ可愛い子供がデザインに入っているのは、悠がデザインしたものと同じであり、乙幡はよく知っていたものであった。
「そうか、うちは展示会で出す予定だからまだ発表してないな」
「そうです。しかも、八雲家具も今回の展示会に参加する予定です。このままだとデザインが被ってしまいます。それに、後出しとなるため、うちがコピーしたと思われてしまいます」
担当者全員、顔面蒼白になっている。
和真は、すんなりとジュエの契約解除にサインをしたと思ったら、ライバル会社にデザインを売りに行ったのかと想像する。したたかというか、ずる賢いというか悪知恵の回転は早いようだ。
「アメリカに和真を行かせてたから、ジュエの動向もわかったってとこか。だからすぐに八雲さんにデザインが売れたんだろう。目を引くデザインだしな」
椅子の背にドカッと背中をつけ、乙幡はため息をつく。自分が守ったつもりでいたデザインをこんな形で汚されてしまった。コピーとは綺麗な言い方であり、これはパクリだろとみんな心の中で思っている。乙幡だけではなく、ここにいる全員が怒りに震えているのがわかる。
「社長、どうしますか…」
「展示会に出す予定だったデザインと、ニュース、それとパンフレットとか細かいものも含め全部一旦ストップだ」
乙幡が指示を出した。
わかりましたと言い、数名の社員が会議室より駆け出していく。
それはそうだろう。八雲がそのデザインを使い先に発表している。今からジュエがデザインを出したら、八雲家具をパクったのかと世間からは言われるはずだ。
何を言っても本当のことなど世間はわかってはくれないだろう。後出しの方が完全に不利になる。ジュエの家具も会社もそんな泥を塗るような真似は出来ない。しかも展示会までの時間はあまりない。
「長谷川、水城に連絡を。すぐに悠の所へ行くように、俺たちも行く。みんな、今日はストップする手配を頼む。漏れがないように。それと、展示会は必ず参加する。どうにか方法を考えるから明日朝に打ち合わせを予定してくれ」
長谷川と共に自宅へ向かう。悠には、ニュース記事を目にする前に乙幡から説明をしたかった。もう悠を何重にも苦しめることはしたくない。
突然投げつけられた理不尽な怒りを抑えることは出来ず、乙幡は無言のまま自宅まで帰ることになった。
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