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第32話

夕方にオンラインでの塾講師の仕事が終わり、悠は大きく伸びをした後、ハードカバーのノートを手に取った。 もし、乙幡と別々の家に住んでいたらと考える。恋人との楽しかった日の次の日をひとりで過ごすのは、胸が痛くなるほど寂しい。楽しく過ごしたから余計、ひとりになると寂しく感じるのだとわかる。 でも今は、待っていれば必ず帰ってくるという安心がこの部屋に広がっているから、ひとりでいても大丈夫なんだと考えていた。 そんなことをつらつらとノートに書いていたら、乙幡からのメッセージが無いことに気がついた。いつもなら何回か乙幡よりメッセージが入るが、今日は会社に行ったきりメッセージは入らない。 忙しいのかなと思いキッチンに移動し、夕飯の準備をしようとしたところに来客があった。 「水城ちゃん?どうしたの?」 水城が突然尋ねてきた。 「悠、乙幡社長は?まだ帰ってきてない?連絡は?」 「えっ?まだだけど、何かあった?」 乙幡からのメッセージが無いことが急に心配になる。何かあったのだろうか。連絡がないことを思い出し不安になり、ネガティブなことばかり想像してしまう。 さっきまではひとりで部屋で待っていれば必ず帰ってくると思い、楽しく過ごせていたのに、不安で心配な気持ちにすぐ切り替わってしまった。 「乙幡社長はここに向かってるはずだから、とりあえず…」 水城が悠をリビングに連れて行く間に、乙幡と長谷川の声が聞こえてきた。 長谷川と一緒に帰ってきたようだ。 「悠、ああ…いた、よかった」 乙幡は悠を見て少しホッとしたようだった。悠も乙幡の姿を確認しホッとする。 「悠、大事な話がある。聞いてくれ」 乙幡はそう言い、皆をリビングに誘導した。長谷川が、書類とタブレットを取り出しテーブルの上に広げていた。 「今日、八雲家具という会社がプレスリリースを出した。内容は新商品の発表だ。その商品の広告デザインがこれになる」 乙幡が言い、指した書類には悠が手がけたであろうデザインがあった。 「木又和真が、八雲家具にこのデザインを売ったようだ。八雲はこれを使いメディアにメッセージも出している。ネットでは既に多くが拡散されている」 真剣な顔で言う乙幡から広告と配信された動画を見せてもらった。 そこには、ソファで遊ぶ可愛い子供がデザインされている。悠がデザインしたものに似ているが少し違う。加工したのだろう。 よく見ると、以前和真が悠にNGを出したものだった。子供の服装と全体の色合いは、確か悠と水城はこれを押していたはずと、思い出した。 八雲家具も、ジュエと同じ路線の汚れにくい生地の家具で、今回の展示会は勝負しようと思っているらしいと、長谷川から説明があった。 また、和真がアメリカでジュエの方向性を把握していたので、八雲に情報も流していたのではないかと推測している。それは、八雲も子供向けの家具を展開し、勝負しているからだった。 どれもこれもジュエがやろうとしていた事だった。新商品の家具からデザインまで先を越されたというわけだ。 だが悠は、和真がデザインを加工して作り直しているところに驚いた。 「す…ごい。これ、和君が作ったの? 水城ちゃん、これそうだよね?すごい! 和君、やればできるんだ!」 「えっ…?悠?」 水城が怪訝な顔で悠と乙幡を交互に見ている。悠は言葉を一度発してから、止まらなくなっていた。 「えっ?すごくないですか?前より可愛くなってるし。全体のバランスもすごくいいですよ。インパクトもある。目を引きますね。うん、いいと思う!ネットでも反響いいんですかね。すごい!」 「悠、だけどこれは君がデザインしたものだろ?パクられたってことだろ?先に出されてしまったのは俺の落ち度だ。悠、本当にすまない。申し訳なかった」 乙幡が謝る姿勢になったところを遮り、悠が口を挟んだ。 「違いますよ。これは僕が手がけたものではありません。僕のデザインではありません」 ハッキリとした口調で、きっぱりと悠は言い切った。 八雲が発表した広告デザインには、悠のものとは、大きく違うところがあった。 ソファに落書きしたり、お菓子を擦り付けて遊ぶ子供を悠はデザインしていた。それは乙幡からのメッセージであり、悠もpicoを擦り付けても大丈夫というニュアンスを走り書きをしていた。 和真が出した八雲のデザインにはそれがない。お菓子を擦り付けたり、落書きをしていない子供に変更されている。 これについて悠は自分のものと全く違うという。悠のイメージは擦り付けや落書きまで入ってのものであり、それがジュエからのメッセージだという。 和真はそれだけわざと外していた。 やんちゃで可愛らしい子供達がソファの上や周りで遊んでいるデザインである。子供達が家具を汚しそうな雰囲気はあるが、汚れた手で家具を触るところは敢えて避けている。 もしかしたら、八雲家具からの指示なのだろうかという水城の声に、恐らくそうでしょうと長谷川が答えている。 ジュエの技術まで追いつくことは出来ないので、汚れを完全に落とすような素材の生地を使うことは、八雲には出来ないと長谷川は言う。ジュエの新商品の家具に使われている生地は、完全に汚れを落とすことが出来る自信があるため、そこは大きく違うと言っていた。 「なので、僕のデザインではありません。それで、ジュエのデザインはどうなりますか?」 「全部ストップさせた。この後ジュエが出しても真似しただの、パクっただの言われるだろう。だから展示会用は白紙にしている。このままデザイン無しで家具だけで勝負しようかと思っている」 乙幡が最終的に決断し、会社全体に伝えるのだろう。展示会まで時間もないので決断はすぐにでも必要だとわかる。 「そうですよね。違うとはいえ似ているデザインを出せば、後出しって言われますよね、わかりました。じゃあ、エドちょっと手伝ってもらえますか?ダイニングの方でお願いします。あっ、後、明日からここのリビング貸りてもいいですか?水城ちゃん、明日から数日ここに来てね。必要なもの全部持ってきて」 「えっ?悠?」 乙幡も水城、長谷川も悠が何を言い出したのかわからない。 乙幡からの問いかけに悠が答える。 「まだ時間あるでしょ。明日朝までにラフ出すから、新しいデザインで勝負しましょう。展示会に間に合わせるように、ほら、エド頑張って。だってジュエは僕とデザインの契約してくれましたよね。長谷川さん、そうですよね?まだ間に合いますか?」 「悠さん、案外、根性据わってますね。時間に限りはありますが、まだ間に合います。それと…そうです、ジュエはあなたと契約しています」 長谷川と悠は目を合わせて、お互いニッコリと微笑んでいた。

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