悠が初めて怒っている。 水城も長谷川も感じただろうか。明るく振る舞っているが、悠の怒りが乙幡には伝わる。 水城と長谷川を帰し、ダイニングのテーブルに、毎日書き込みしているノートとポッシュシリーズの家具のサンプル画像を広げ、悠は真剣な顔で見ている。 悠の言いたいことはわかる。和真が出した八雲のデザインは目を引き悪くないが、会社広告としてのデザインはどうだろう。八雲と話し合いをし決定したものとは思えない。だから自分のデザインではないと悠は言っている。 悠が発想したデザインを少し加工したが、ほぼそのままで持っていき使われたということは、八雲も恐らく和真のネームバリューで契約したと思われる。恐らく悠もそれはわかったはずだ。 ただ、和真が悠のデザインを元に作ったとは、八雲は知らないだろう。その辺は気の毒にも思うが、いつか世間にも和真がやっていることはわかってしまうことだ。乙幡はそう考えていた。 「エド、ちょっと話してもいい？」 「いいよ。何でも言って」 怒りが原動力になるとはいうが、悠は生き生きとしているように見える。 「ポッシュシリーズは子供向け家具だけではなくて、もっと幅広い年代向けのシリーズにしたらどうかって話が出てたって言ってましたよね？」 「ああ、うん。そうだね。そんなこと言ってたな」 「エド、思い切ってそれやりません？今、このタイミングで」 「えっ？子供向け家具じゃなくて、その他の家具も展開するってこと？」 「そうです。このサンプル画像はアメリカから送ってきたものですよね。その他の家具を出すことは出来ないんですか？」 「そうだな。シリーズにはデザインがあるから、他の形のソファとかを今から考えて作るのには時間が足りない。出来ることは、アメリカから送ってきた家具の生地を張り替えるくらいかな」 なるほど、子供向けではなく最初からポッシュシリーズの内容充実させて発表するって事かと乙幡は考えた。 確かに生地を張り替えれば子供がいる家庭向けというわけではなく、年代性別問わず使える家具に仕上がる。 考えながらふとリビングに置いてあるロッキングチェアを思い出す。ダイニングからリビングまで行き、ロッキングチェアを前に考え込む。 「悠…悠！ちょっといい？こっち！」 リビングから声をかけて悠を呼んだ。 「これさ、あの工場にあったよね。ちょっと工夫してもらって、生地張り替えたら、これ出せるかも」 「あっ…エド、ごめん。ちょっと描いてきていい？きたかも…」 悠がそう言ってダイニングのテーブルで作業して二時間後、乙幡の前に現れた。 「エド、ダイニング来てくれる？」 悠の後をついて行く。ダイニングテーブルにはメモ書きからデザイン画、ラフが散りばめられていた。 「エド、質問です。これはアメリカから送ってきたソファ、元々展示会で出す予定のものです。それと、こっちはあのロッキングチェア。それもこの家にあるのと同じ、大きなもの。この二つをポッシュの生地に替えてもらうことできますか？」 さっきたった一言、「あの工場にあったよね」と言っただけで悠は乙幡の気持ちを汲み取っていた。 「出来るよ。どんな色でもいける。生地は数種類作ってあるし」 「そしたら、これ見てもらっていいですか？簡単に描いたものですけど」 ラフ案があった。 　 アールヌーボーの金のアンティークフレームの中に、ジュエのソファが描かれていた。王室や宮殿に置いてある絵画のようなデザインだ。 豪華な金のフレームの中の絵は、シンプルである。絵は数点あった。 恋人達、寝ている女性、家族、友達同士などが描かれている。いずれもジュエが展示会用として予定していたソファかロッキングチェアと一緒に描かれている。 それぞれの人達が、ソファやロッキングチェアに座りくつろぐ姿である。 「このデザインは、全て日常よく見る姿ってことだな。ソファで寝ちゃったりって感じ？」 「そうです。どこでどんな人がジュエを使うのか想像してもらうためです。よく見てください」 乙幡は、それぞれのラフ案をよく見て気がついた。 恋人達はワインを片手にキスをしているが、持っているワインはグラスからこぼれそうである。 寝ている女性は、メイクを落とさずちょっとだけ横になったつもりが深い眠りについてしまったのだろう。真っ赤な口紅がソファに付いている。 ソファにつかまり、立ち上がる赤ちゃんが 、赤く熟れた苺を母親にあげようと笑っている。だが、ソファの淵には潰れた苺が点々と置いてある。立ち上がる時に潰してしまったのだろうか。 ゲームをして遊ぶ子供達が描かれていた。ポップコーンやソーダドリンクなどが剥き出しのままソファに置かれて、食べながらゲームに夢中になる様子がわかる。子供の頃、自分はこんな生活してたなと、乙幡は懐かしくなる。 「この絵の数秒後は、全部ソファが汚れることになるんです。でも自分が幸せだったり、楽しかったら汚してしまった事を怒れないですよね。誰も悪くないし、わざとじゃなくアクシデントだから。それでもやっぱり汚したら誰でも落ち込んじゃう。前にエドが言ったのを思い出しました。新しい家具を買ってすぐに汚しちゃったり、赤ワインのシミを作ったりしたら落ち込んでしまうよなって。だから今回、汚れが落ち、傷にも強いってシリーズを作ったんだって」 悠は静かにそう説明をしてくれた。 その後も続けて話す。悠の声が心地よい。 「日常とは、特別のことがなく繰り返される毎日のことです。それこそが最大の贅沢だとあなたと過ごして感じました。その贅沢をサポート出来るジュエの商品を、使う人それぞれに想像してもらいたい。そう僕は思いました」 クライアントの意図を汲み取り作るのがデザイナーの仕事だとは言ったが、悠には敬意しかない。商品と作り出した経緯を理解してくれたと思い脱帽する。 「悠…すげえな…こんな短時間で。これさ、絵画みたいだよね。美術館に飾るようなデザインでしょ。日常の景色だけど、絵画として飾れるくらい特別な瞬間の切り抜き？みたいな感じかな…だけど、よく見るとゾッとするっていうか恐ろしい感じ。綺麗なソファが汚れるんだもんな」 「うん、そう。そんな感じ。想像は自由で誰のものでもないってエドが言ったのがノートに書いてあって、そこからヒントもらった。それと、高級感をデザインに出したかったのもある。ジュエの家具はやっぱり高級だから、汚したら気になっちゃうのは仕方ない。でも、汚しても問題ないよ、すぐ落とせるからってエドからのメッセージも入ってる」 『あなたは何を想像する？』って英語で走り書きがラフ画に書いてあった。 その走り書きに乙幡は胸がギュッと掴まれたようになる。それは、乙幡が常に考えていること。使う人が気持ちよく過ごすのを助けるジュエの家具。その役割を想像してもらいたい、そんな気持ちを悠もまた感じていたのだろうか。 「悠、このデザインさ、ホラーだけど、最後はハッピーエンドって何かの映画みたいじゃない？そんなのあったよね？」 「あっ、本当だ。無意識だったけど、そんなイメージかも。エドが僕のつむじばっかり見てた時の映画だよ、それ。覚えてないでしょ、内容なんて」 ケラケラと悠が笑っている。 ありがとうと、乙幡は悠を抱きしめた。 明日から全力で取り返すと、乙幡は心に誓う。