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第52話
アラームって突然鳴るんだな。
もうちょっとだけ空気読めよって思うけど、相手はアラームだ。空気など読めず設定された通りに動く。まぁそりゃそうだと、乙幡は小さくため息をついた。
二人でジャグジーに入っていたら、部屋から微かに音が聞こえてきた。悠が慌ててアラームを止めに行ったのを見て、乙幡は現実に戻された。
アラームが鳴ったということは、塾講師の仕事の準備をしなくてはならない。思い出した、忘れてなかったけど。
長時間のフライトで疲れ、家に帰ってきて覆い被されて疲れさせてしまった悠を乙幡は労っていないのを反省する。
「悠…ごめん。俺が準備するから、着替えてきて」
「うん、ありがとう。足が震える…」
足が震えるほど身体に負担をかけてしまった。今日は仕事が終わったらゆっくり寝かしてあげようと心に決める。自分から盛って、齧り付いたくせに調子がいいよなって本当に思っている。
乙幡は、ダイニングのテーブルにオンラインの準備をした。悠も何とか着替えをし、準備が出来たようだ。
「へへ…ありがとう。何か笑っちゃうね。ムードがなくてバタバタしてるのって僕達らしいよね」
「ごめん…本当に。がっついてしまった」
「よし、ちょっと仕事してくるね」
「俺はベッドルームの片付けと、キッチンで夕飯作っておくから」
OKと言い、悠はオンライン授業を始めた。ダイニングからは、生徒の声も聞こえて来る。
ベッドルームは今まで二人で抱き合っていた形跡がある。うーん、これはまた芸術的だから少しの間残して余韻を楽しみたいと、呑気な考えも浮かぶが、片付けないと今夜寝られそうにない。
片付けながらも悠の痴態を思い出して、片付ける手を止めてしまう。自分の精力旺盛に呆れる。さっさと片付けて夕飯の準備だと、自分に叱咤した。
料理は苦手だ。自分ひとりだけなら適当に済ますが、今日はそうはいかない。苦手だけど、好きな人に作ってあげたいという気持ちは持っている。
冷凍庫に悠が作り置きしてくれているタコミートを取り出し、今日はブリトーにしようと考える。これなら失敗せずに作れる自信があるからだ。
ビールを飲みながら、ブリトーの生地を一枚ずつ剥がしていると、ダイニングテーブルで授業をしている悠の横顔が見えた。少し痩せたかもしれない。それでも生き生きとしているのが感じ取れる。
悠の生活はあっという間に、そして目まぐるしく変わったと思う。本人が充実してくれればいいが、無理をしないように注意深く見ていなくちゃなと改めて思う。それにはやっぱり、二人で何でも話をすることが必要だと感じる。
乙幡の生活も変わってきていた。好きな人との暮らしは毎日楽しい。こんなにウキウキとするとは我ながら気持ち悪いなと思うくらいだ。
ただこれからは、生涯生活を共にしていくため社会的にも将来的にも、悠が不安にならないように責任を果たしたい。上辺だけではなく足元を固めることを考え、実行に移そうとしている。
なんて考え過ぎてサワークリームを大量に生地の上に落としてしまった。
ブリトーで簡単に夕食を済ませて、ベッドルームに連れて行く。この後は何もせず、二人で寝ようとしていた。
「悠、おつかれさま。今日はゆっくり休んで。明日は俺が掃除も洗濯もするから。身体、大丈夫?初めてなのに、無理させたって反省してるよ。俺、本当ダメだな」
ベッドの上で悠を抱きしめながら、反省する。日本に帰ったら抱くよとは言ってはいたが、家に入ってすぐなんてそりゃ急過ぎるよなと更に反省している。
「なんで?せっかく会えたのに。僕だって、エドとすぐにそうなりたかったよ?それに、もう随分ゆっくりさせてもらったから大丈夫だよ」
「本当に?」と顔を覗き込むと、「うん」と嬉しそうに笑っている。そんな顔を見せると、調子に乗ってしまうぞと、いちおう言っておく。
ベッドの上で気持ちよく二人で過ごす。
ソファもロッキングチェアも好きだが、ベッドも好きだと悠は言う。喋りながら寝落ちしたいなと、悠はかわいいことを言っている。それが出来るのも家だからなんだろうなとぼんやり考えた。
「アメリカで色々見てきたよ。楽しかった。自分の意見も交えて仕事できたし、いいもの作れそうな気がする。毎日ノートに書いてたしね」
ほら、と言ってハードカバーのノートを持ってきた。相変わらず、悠の字は綺麗だ。
「うーん…流石にメモも英語だな。日本語と英語の両方使ってると、その時に喋ってる言葉を書いてるんだろ?俺、それよくわかるよ」
乙幡も日本にいる時、海外にいる時と現地の言葉が強く出るように感じる。これは昔からそうだなと思っていた。
メモにはぎっしりと悠の思いが並んでいた。『色、形、匂い、景色、顔』などが書いてある。何を考えていたんだろう。何となく楽しそうな並び方だ。
『エド、エディ』の言葉も見つかる。離れていても名前を呼んでくれているんだなと、胸が熱くなる。
『和真』の文字もあった。
あれから悠は和真と連絡は取っていない。
和真の後に仕事の文字が綴ってある。離れて悠自身は自分のことに集中出来たが、やはり兄弟は心配なんだろう。水城経由で和真のことは聞いているはずだが、和真が何をしているか気になってはいるはずだ。
「得意なこと、やりたいことって書いてあるな。なんだろ…テーブルウェア?ってあるよ」
「アメリカで打ち合わせしてたら、ヨーロッパのテーブルウェアの会社の広告も手がけることになったんだ。だからテーブルマナーと食器の組み合わせをよく見てきたんだ」
「おお、すごい!やるな、悠。仕事取ってきてるのか。そうだ、今度外でデートしよう。どこか予約するよ。テーブルウェアに丁度いいよね」
「わあ、外でデート。すっごく嬉しい。いいね、待ち合わせして行きたいな」
寝る前に、悠のノートを二人で見ることが多くなっていた。何も考えずにノートを眺めて、乙幡と話をしていると色々とアイデアが浮かぶらしい。
「いつにしよっか。あっ、そうだ、俺また来月に出張でサンフランシスコだって」
「えっ、僕もサンフランシスコの予定入りそうなんです。でも今の仕事が区切りついたらなので数ヶ月先だと思う」
「またすれ違いかよ…でも俺はもう我慢しないで悠にめちゃくちゃメッセージ送るから」
デートはいつがいいかなと、乙幡は携帯を取り出しスケジュールを確認しようとした時、悠に指摘された。
「エド…ちょっと待ち受け画面が見えちゃったんだけど…」
「えっ?あ、これ?かわいいだろ」
乙幡の携帯待ち受け画面は悠の寝顔だ。「ほら」と悠に見せると真っ赤になっている。
「かわいくないし、恥ずかしいからヤダ。この前まで銀座駅のロッキングチェアの写真だったでしょ?」
「ああ、悠が送ってくれたブレてる写真な。あれも好きだけど、ずっと悠と離れてたからそりゃあ寝顔の方がいいよ。誰も見ないよ?ダメ?」
「えっ…そう言われると。だけど恥ずかしいから他のに変えて」
じゃあこれは?と写真フォルダの中身を見せた。ほとんど悠の寝顔と横顔と二人で自撮りしている写真だ。こっそり撮ってたんだと告白する。その中にポツポツと入っている長谷川の写真があった。
「長谷川さんの仕事中?の写真多いね」
悠が疑問に思ったらしく首を傾げている。
「あっ、これね。これは水城用なんだよ。
水城に頼む時は、長谷川の写真送ると喜んで頼まれてくれる。水城がやってる、こすぷれ?ってやつを長谷川にもやらせたいんだって。まっ、長谷川がそんなことするわけないけどな」
「コスプレ…わかる、見てみたい気もする。長谷川さん細身で背も高いから水城ちゃんのコスプレの相手になりそう」
「えーっ、悠もそういうこと言う?そうか、長谷川は意外と需要あるんだな。そういえば、悠の待ち受けって何?」
悠の携帯の待ち受けがどんなものか知りたくなった。今まで気にしたことがなかったが、そういえばと思い、何となく聞いてみた。
「えっ、えっ、待ち受け?えっと」
「なんだなんだ?エロいやつか?」
「そんなじゃないよ!エロくはない…」
乙幡の待ち受け画面を見てしまったから、自分の待ち受け画面も見せなくてはと思っているようだ。ニヤニヤしながら待っていると悠は意を決したように見せ始めた。
悠の待ち受け画面は乙幡だった。
テレビ出演した時、テレビに映る乙幡を携帯で撮影したようだ。ブレて写っていた。
「ご、ごめんね。嫌だった?僕もちょっとこっそり撮ってたのがあって…」
悠の携帯の写真フォルダを見せてもらう。乙幡ばかりが写っていた。出かける前の姿やキッチンにいる時、ソファで寝ている姿もあった。雑誌に載っている乙幡のインタビュー記事を撮っているものもある。いずれも、乙幡と同じように、こっそり撮っていたらしい。
「悠…どれもこれもブレてるな。これさ、この前雑誌に載ったやつだろ?雑誌買ったの?」
「え?あ、そ、そうなんだ…雑誌にエドが出るって聞いたから買ったんだけど、携帯で写真撮ると光が入ったり、自分の影が写り込んだりしちゃって…何で写真って上手く撮れないんだろう。焦ってしまうっていうか」
雑誌を携帯カメラで撮影した写真は、ぼーっと悠の影が写り込んだり、天井からの照明が反射したりしている。一生懸命に撮っている姿を想像すると愛おしくて、おかしくて笑ってしまう。こんなに見られてるんだなと思うと嬉しくもある。
じゃあ今撮るかと、乙幡がベッドに寝そべる二人を自撮りし、悠に写真を転送してあげた。
「初ベッドの写真だな。初めてやった後ですって誰にも言わなければわかんないし。俺、待ち受けにしておこうっと。思い出してニヤニヤしよっと」
「え、え、もう…恥ずかしくなる」
それでも悠は嬉しそうにしていた。
二人共同じ写真を待ち受けにした。
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