63 / 71

第63話:加藤草介

 歓喜のあまり震える手でペットボトルを取り出すと、俺は見事にそれを落としてしまった。慌てて腕を伸ばすと、輪の中でも最前にいたスーツ姿の長身の男性が先に拾って、俺に差し出してきた。 「あ、ありがとうございます」  思わず言うと、その男性はふわりと微笑んだ。  スーツは俺でも分かるようなハイブランドのものだし、年齢は彩瀬タケルさんと同じくらいに見えたが、『社会人』という、社会でサヴァイブしている人種ならではの大人っぽさがあった。 「僕も昔バンドやってたんだ。きみ、凄くいい声してるね。バンド名は……えーと『REAL GUN FOX』で合ってる?」  営業のチャンスと直感したのか、アキラが立ち上がり、俺の横まで来た。 「はい、全員上野部大学の生徒で、十代です。路上ライブは今日が初めてで——」 「あれ、きみ、三津屋アキラくん?」  爽やかな男性がそう言ったので、流石のアキラも絶句した。タクトだけが、このやりとりを遠目に見ていた。 「どうして——」 「はは、笑ってくれて構わないんだけど、いい歳こいた妻子持ちになった今でも、たまにライブハウスに寄ることがあるんだよ。この辺りのロックシーンできみを知らない人間の方が少ない」 「きょ、恐縮です」  珍しくアキラが照れたように頭を掻いた。 「これ、一応渡しておいていいかな? それで、もうすでにいるだろうけど、僕はリアル・ガン・フォックスの『ファン一号』ってことにして欲しいな」    アキラが受け取った名刺には、大手出版社の名と役職名、そして彼の名前、 『加藤(かとう)草介(そうすけ)』  と印字されていた。 「ファン、ですか。しかも、一号……?」  思わず俺が言うと、加藤さんは、 「俺には作曲の才もベースのスキルもなかった。バンド活動を辞めて就活して今こんな風になってるのは、ちょうど君たちくらいの歳だった。だから、応援したいと思ったんだ。もちろん、君たちのパフォーマンスが素晴らしいっていう前提の上でね」 「加藤さん、俺らは本来エレキでもっとハードなのをやってます。もし今のアンプラグドな演奏だけで気に入ったのなら——」  アキラが言いかけると、 「さっきも言ったけど、これでも僕は一応元バンドマンだ。今のパフォーマンスが全てだとは感じなかったし、本来エレキでぎゃんぎゃんやる系だっていうのも察した。もしまたライブやイベントがあったら絶対に連絡して。それで、君たちが売れたら僕は『ファン一号だ』って周りに自慢してやるから」  加藤草介さんはそこまで言うとあっさりと踵を返し、駅ビルの方へと去って行った。  

ともだちにシェアしよう!