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遥かな闇から 八

 ひどく下品な笑い声が響く。その声は祖父の声とそっくりだ。望は唾をのんだ。状況が、わかるようで、わからない。 「では、そういうことで、この話はまとまったと思ってよろしいですかな?」  まぎれもなく父の声だが、今は他人の声のように聞こえてくる。 「けっこうですな。契約書を交わしますか?」  契約書――という言葉に、香寺の影がこわばったように見えた。かすかにだが。 「そうだな。あとで、そんなことは知りませんと逃げられては困るからな」 「そんな……、そんなことは、しません……」  香寺の影は、ひどくほっそりと儚げに見える。 「では、明日、小切手を渡そう。まずは先に約束を果たしてもらわねばな」  香寺の影が小刻みに震えている……ように望は感じた。 「前金というか、手付けは? 彼も今いろいろ大変なので、すぐ振り込んでもらえませんかね?」  それが父の声で、父の言葉だとは思えなかった。  男の野太い笑い声が廊下へ響いてくる。 「私は相馬様のようなご華族様とちがって、商人ですからな。まずは商品を見せてもらわないと」 「やれやれ」 (どういうことだ……これは?)  おぼろげながらも望には状況が呑み込めてきた。  父と雨沼は、香寺を売る話をしているのだ。香寺本人をまえにして、平然と。  状況が理解できても、信じられなかった。  こともあろうに、父がこんな話をすすめる仲介役のような真似をしているとは。 「ああ、怖がらんでいいのだよ、香寺君。なにも取って食おうというわけではない」  ずい、――と、雨沼の影が香寺の影に接近する。  太い影が、か細い影におおいかぶさっているようだ。  見ている望の方が怖くなってきた。同時に、腹も立つ。なぜ、そんな男の言いなりになるのか。香寺に向かって叫びたい。 (そんな奴の手、振りはらえよ!)  だが、望の心の声は届くことはなく、香寺はされるがままに、相手の身体に引き寄せられていく。

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