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第8話 一夜明けて

「話というのは、ほかでもありません。ぼくを、皇先輩の奴隷にしてください」  そう言われて、はて、と思ったのは、沙羅衣にとっては半分は予想したとおり、もう半分が外れていたからだった。 「皇帝ではないのか? 君、ずいぶんグイグイ攻めてくる性格のようじゃあないか」  それならば、断固として断ろうと思っていた。  どんな快感を与えられようと、戯れであっても人の「奴隷」になどなる気はない。  いろいろと衝撃的だった出会いから一夜明け、翌日の昼休み。  普段は家で持たされてくる弁当を教室で広げる沙羅衣だったが、この日は枢流に誘われ、中庭のニレの木陰で昼食をとることになった。  昨日あんなことがあったというのに、平然とした顔で二回生の教室に現れた枢流は、 「ご機嫌よろしゅう、皇先輩。僕と一緒にお昼をどうです? お話したいこともありますし」  と臆面もなく誘ってきた。  その厚顔ぶりに、沙羅衣のほうも「いい度胸だな、こいつ……」と苦笑いを浮かべながら応じた。  教室の中は騒然となった。  二回生の教室棟の中でも、沙羅衣のクラスの生徒は、特に秀才の集まった上位教室である。  そこに見知らぬ一回生がひょいと顔を出し、あろうことか教室内で最も特別な存在の一人を呼び出そうというのだ。 「おい、なんだお前? 皇くんになんの用なんだ」  枢流は、そう声をかけてきた二回生に、冷たい視線を向けて言い放つ。 「なんだっていいでしょう。当の先輩がいいとおっしゃってくれてるんですから」 「なんだと、お前っ……」 「やめろ、桑原」  桑原と呼ばれた同級生は、沙羅衣に制止されて、枢流の肩をつかもうとした手をぴたりと止めた。 「で、でもだね、皇くん。こいつはいったい。この黒髪を見るに、ただの平民だろう? 今までに学院内でも見たことがない、外部生か転校生じゃあないのか?」 「そうだ、彼は転校生だ」 「ほ、ほうら見ろ? だから外の人間は嫌なんだ! 上下関係もわきまえず、礼儀も知らない野育ちなんだよ! 今の生意気な態度、まさに下卑た外界の――」 「桑原」  再び沙羅衣が制止する。  びく、と体を固まらせた桑原は、そのまま絶句した。  いや、桑原だけでなく、遠慮なく敵意を込めたまなざしを作り始めていた枢流までも、ぎょっとして目を見開いた。  沙羅衣の視線が、鋭く桑原を射抜いている。銀髪と相まって、まるで抜き身の日本刀を思わせる切れ味で。 「よせと言っているんだ。学年の差はあっても、上下関係などおれたちにはない。あるのは、互いへの敬意と慈しみだろう」 「あ……ご、ごめん皇くん。おれ……」  ふっ、と沙羅衣が瞳に込めた圧力を緩めた。 「いや、おれのほうこそ、凄んだりして申し訳なかった。桑原がそんなやつじゃないってことは、ちゃんと分かっているさ。今日は、ただ後輩と昼食をとるだけだ。そんなにたいそうなことじゃないだろう?」  ようやく緩んだ教室の空気を後にして、二人は外へ出た。  そうして、枢流は購買のロング焼きそばパンを、沙羅衣は二段重の弁当箱を、それぞれ中庭のベンチで広げたところ、枢流のほうから切り出してきたのである。 「たしかにぼくは、少々強気なところがあるのは認めましょう。その唐揚げ、四個もあるなら一個ください。だからといって皇帝になりたいわけではありません。皇先輩、あなたと主従関係を結びたいのです。卵焼きも多めですね」 「おれが、自分が奴隷になることはなくても、奴隷を持つのならはいそうですかと受け入れるだろうと踏んだということか? 唐揚げと卵はやらん。代わりにごぼうをやろう」 「そう言われると身も蓋もありませんが、少なくともあなたを奴隷にするよりは確率が上がるでしょう。根菜類は糖質が多いのでご遠慮します」  焼きそばパンを食べ、唐揚げと卵焼きを求めながら、ごぼうの糖質だけは気にする思考はやや不思議ではあったが。 「単におれと交際したいというわけではなさそうだな。ずいぶん深刻な目つきをしている。なにか、思うところがあるのだろう?」 「……ぼくは、この学院の誰よりもあなたの体を満足させることができます。その需要と供給をもって、イエスと言っていただくことはできませんか」 「できないな。たしかに、君の技術は優れたものなんだろう。おれのようなおぼこなど、ひとたまりもなかろうな。だが、おれに必要不可欠かといえばそうではない」  枢流は、くすくすと笑いだす。  ニレの木の周囲には、人影がなかった。  校舎からは二人の姿は死角になっていて見えなかったが、そこに皇沙羅衣がいるとなると、近づきがたくて一般の生徒は近づいてこない。  内緒話をするにはかっこうの状況ではあったのだが。 「……なにがおかしい?」 「いえ、失礼いたしました」  そういって顔を上げた枢流の目は、にたりと笑って湾曲している。  その一回生のものとは思えない凄味に、沙羅衣の背中を悪寒が走った。  こいつは、……なにを思い、これまでになにがあって、おれの前に現れたのか。 「今まで、ぼくの手にかかって射精して、そんな口がきけた人はいなかったものですから」 「……ああ。君に、人を虜にする魅力があるのだろうなということは、おれにも分かるよ」  枢流には、その身にまとう、底知れない色気がある。  なにげない肩の動き、指先のしぐさ、首のかしげかたまで、男なら誰でもくらりときそうな妖艶さがあった。 「なのに、あなたは篭絡されてくれない?」 「そうだな」  沙羅衣は平静を装って箸を進めていたが、弁当の味よりも、枢流の一挙手一投足から、その素性を少しでも知ることができないかという探りのほうに神経を使っていた。  枢流のほうは、いつの間にか焼きそばパンを食べ終わり、紙パックの牛乳のストローをちゅーと吸い上げている。

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