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第17話 疑惑が生まれて

「な、なんだ? おれがどうした?」 「なにか、先輩のことで騒ぎになっているみたいですね……」 「よく分からんが、早く逃げておけ」 「分かりました。『皇帝と奴隷』に反対の皇先輩が、後輩と二人っきりでお風呂なんて入っていたら、あらぬうわさが立つかもしれませんものね」  皮肉な笑みを浮かべる枢流に、沙羅衣もぶぜんとした表情になったが、 「なんとでもいえ。おれは先輩として、無用の騒ぎで転校してきたばかりの後輩を煩わせるようなことはしない」  はいはい、と枢流は左手のほうへ進み、角を曲がった。  同時に、玄関のほうからどやどやとやってきた十人ほどの寮生が、沙羅衣を取り囲んでしまう。  人波の間から、本村が顔を出した。 「ごめんよ、皇くん。ちょっと一人で入浴したい事情があるみたいだっていったら、みんな心配だって言って、騒ぎになっちゃって」 「まいったな。そんな大げさなことじゃないんだ」 「あれ、今、誰かと一緒だった?」 「いいや? まったく」  平然とうそをついてしまったことに、沙羅衣の胸はまたも痛んだが、この際仕方ないと割り切る。  そこへ、ほかの寮生たちが首を突き出してきた。 「けがか、けがなのか皇くん!」 「皇先輩、けんかで名誉の負傷でも負われたんですか? その傷跡が!?」 「それとも病気ですか!? 体を冷やすのは万病のもとのもとといいます! どうかお大事に……!」  こうしてひとしきり騒ぎになる様子を、耳を澄ませて聞いている者がいた。  ほかならぬ、枢流である。 「悪いですが、話がどんなふうに転ぶのか、あとからあなたにまた聞きで聞いて気が済むほど、お人よしじゃないのですよ、僕は……」  皇沙羅衣といえば、校内最大級の有名人である。彼にも、自分の身を守りたいという思いがあるだろう。  しかし、枢流本人がいないのをいいことに、自分のことを都合よく吹聴されるのは、枢流も看過できない。 「それにしても、皇先輩って、ずいぶん慕われているのですね……」  沙羅衣への心配の声は、なおも続いている。  ほとんど騒音に近いものになっていたが、その中のひときわ高い一声が、枢流の耳にも届いた。 「あ、あのっ、もしかして、一緒にいたっていう後輩に、なにかされたんですか……?」  なにかされた。  その発言者は、もちろん危害を加えたのかという意味で聞いたのだが、沙羅衣は別の意味にとって一瞬言葉に詰まった。  そのせいで、一気に群衆がヒートアップする。 「や、やっぱり!」 「最近皇くんになついてきたっていう、例の一回生か!?」 「そういえば、あの子どこ行ったの?」 「逃げたんですか!? 皇先輩におけがでもさせて、逃げたんですか!?」  雲行きが急激に怪しくなっていくのを、枢流はまんじりともせずに聞いていた。  こんな騒ぎになるとは、皇沙羅衣の人気を見誤っていたかもしれない。  おそらく、彼らの中では、枢流はすっかり悪者だろう。  別にヒールにされることに抵抗があるわけではなかったが、これ以上の沙羅衣への接近はやりにくくなったかもしれない。 「まいりましたね」と枢流はため息をついた。  沙羅衣を陥落することで嫉妬の対象になることは覚悟していたが、上流階級の集まるこの学院で、加害者として疎まれる対象になることは得策ではない。 「仕方ありません、ここはすいと出ていって、早めに無実を主張しておきますか……。皇先輩も、奴隷にはしてくれなくても、それくらいは協力してくれるでしょう」  そうつぶやいて、枢流が足を踏み出しかけた瞬間。 「静まれ!」  凛とした声に、雑然としていた騒ぎがピタリとおさまる。  ほかならぬ、沙羅衣の声である。 「無用の騒ぎを起こすまいと思っていたおれが、誤りだったな。まずはすまなかった」  枢流からは廊下の角の資格になって見えないが、どうやら沙羅衣が頭を下げたらしい。  そんな、とか、やめてください、といった声が聞こえてくる。 「確かに、風呂場にはおれ意外にもう一人いた。祠堂枢流といい、おれの分家筋の生徒だ」  本村の声が、 「え? でもさっきは、ガラスの向こうの人影は一人しか……」  と怪訝そうに響いたが。 「ふむ。それは死角だったんだな」  と沙羅衣があっさり言う。 「あのう」――おずおずと言い出したのは、幼い声の、おそらくは一回生だろう――「人が一緒にいたのは分かりました。その人は、どうして逃げたんです?」 「逃げたとは、人聞きが悪いな。風呂から上がればもうここですることはないから、一足先に帰っただけだ」

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