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第18話 皇沙羅衣は奴隷を持った
本村が、またも疑問の色を濃く含んだ声でたずねる。
「でも、皇くん。なにか、人には見せられないような恥ずかしい状態になってるからおれには入るなって……それでも、その子とは一緒に入浴した……の……」
しゃべっている最中に、本村の声が、なにかに気づいたようにうわずっていく。
「まさか……」
またも、群衆は騒がしさを増していく。ただし、先ほどよりも切実な響きを伴って。
「は、恥ずかしい状態を……見せる仲……?」
「二人で入浴……本村さんを遠ざけて……?」
「そんな……まさか、皇先輩の……ど、奴……」
とうとう、枢流を奴隷だとみなすものが出かけている。
このまま、混乱が加速すれば、それはそれで面白いことになるかもしれないな……と、枢流は思いはしたが。
沙羅衣の後輩や同級生が、本気で狼狽する調子が、その姿を見ずとも伝わってくるせいで、なんとなくいたたまれない気分になってきた。
それに、自分に関する評判はある程度自分が関わってコントロールしたいという自意識も枢流は強い。
「やむを得ませんね。やはり出て行って、なんとか、言いくるめてみるとしましょう」
枢流は覚悟を決めて、ついに廊下をきた道へ曲がった。
こちらに背中を向けている沙羅衣と、その向かいに群がった人々が視界に入る。
思ったよりも、寮生の面々はカオスな状態になっていた。
顔の前で指を組んで拝んでいるようなポーズの者もいれば、目を見開いている者もいる。
皇沙羅衣が奴隷を持つというのがそんなにおおごとなのか、と枢流は顔には出さずに驚いた。さぞかし、かねてから「皇帝と奴隷」について、沙羅衣が強硬な態度をとっていたのだろうことが見て取れる。
「いいか、みんな。さっきの一回生、祠堂枢流のことだが――」
沙羅衣が話している途中で、何人かが、目ざとく枢流を見つけた。なにか言おうとしていたが、沙羅衣が話しているのでそうもいかないらしい。
背を向けているせいで、当の沙羅衣はまだ枢流に気づいていないようだが。
その、寮生の中ではやや平均を下回ると思われる身長の先輩の、細身の後ろ姿に向かって歩きながら、枢流は背筋を伸ばし、最大限好感度を稼げそうな笑みを浮かべて、口を開く。
ごまかすには、話の内容はあいまいなほうがいい。具体的に言い訳すると、かえって食らいつかれることになる。それくらいは、枢流は心得ていた。
……のだが。
「――彼は、おれの奴隷だ。おれと彼は、『皇帝と奴隷』の関係にある」
枢流の足が止まった。
「……え?」
聞き返す声は、枢流のものだけではなかった。
その場の全員が、口を半開きにしている。
「聞こえなかったのか? 彼、枢流はおれの奴隷だ。風呂では、体を流してもらった。ずっと反対派だったのに極まりが悪くてな、本村にはうそをついてしまったんだ。悪かった」
「いや……それはいいんだけど……奴隷……本当に……?」
そこで、寮生たちの視線が、自分を通り抜けて背後に向かっているのを不審に思った沙羅衣が、ようやく振り向く。
「うわっ? 枢流、まだいたのか。だがちょうどいい、自己紹介してくれ。おれの、生まれて初めての奴隷よ」
「は……い」
声を上ずらないように気をつけながら、枢流は沙羅衣の横に並んで、周囲の一人一人に目を合わせていった。
「改めまして、祠堂枢流です。先日、鳳凰千舞学院に転校してきました。皇沙羅衣先輩の、奴隷です。どうかよろしくお願いいたします」
寮生たちの、歓声――悲鳴――が爆発した。
「皇、皇くんがあああ!」
「どういう心境の変化で!?」
「ど、奴隷を! ついに、皇先輩が奴隷を!」
「どっちから!? どっちから行ったあああ!?」
「……行ったとか言うな」
冷めた目でその様子を見ていた沙羅衣に、枢流が耳打ちした。
「どうしてです……? なにかの思い違いだ、って押し通せばよかったのでは……」
「押し通せなかったらどうするんだ? おれはいい、おれに直接なんのかんのと言ってくるやつは、自分で言うのもなんだが、そういないだろう。だが君は違う」
「それにしたって」
「これも、おれが言うことでもないんだがな。エリート校の噂は、悪質になると手を焼くぞ。今まで、何度か愉快じゃない例も見てきた」
「そうだとして、最悪の場合は、ぼくが転校すれば済む話だとは思わないんですか?」
沙羅衣の理性的な視線が、やかましい寮生から、すっと枢流に向けられた。
思わず、枢流の背筋がついと伸びる。
「転校して、実情も知らない奴らに、あることないこと言いふらされて笑いもにされるのか? 自分の手の届かないところで? 冗談じゃないだろう、そんなのは。そんなことがまかり通ったら、君のプライドはどうなる」
枢流は、なにを言っているんですか、そんなことあなたが気にすることじゃないでしょう、と言いかけた。
だが、言えなかった。
子供のころから、プライドの高いやつだと言われてきた。
分家の子供がいくら背伸びしたところで見向きもされない、と笑われてきた。
確かに、自尊心の持ち方が、同世代の分家の子供たちよりも自分のほうがずっと強いようだと自覚もしてきた。
しかし、それが悪いことだとは思えなかった。
自分だけは自分のプライドを守り通してきた。
そうしてくれるのは己自身しかいなかったし、人を頼るようなそぶりを見せれば、それは弱みに直結した。
生まれによる理不尽な扱いに、人知れず泣いたことは一度や二度ではない。
自分だけで自分を高め、自分だけが自分を慰めてきた。
それがまさか、人に――それも、きっとあらぬ偏見からこちらを当然のように見下しているのだろうと思っていた本家の跡取りから、かばわれるなどとは、想像だにしていなかった。
「それに、君の目的は、神の奇跡を実現させることなんだろう。それも、人の手で」
「……ええ」
「いいじゃないか。人の使える魔法など、この世にはない。だが、神の残した奇跡は明らかに現世に点在する。それを、人の手で顕現する。惹かれるじゃないか」
「……本当ですか?」
「君が実際に妊娠するかどうかとは、また別の話としてだけどな。おれと一緒に子供を作るとなったら、おれにも相応の覚悟が必要だ。奇跡が再現できました、やった、終わり。というわけにはいかない。だから、その気になるかどうかは何とも言えんところだ」
沙羅衣は微笑んだ。
枢流は、今までに抱いたことのない感情が、胸の奥で膨らむのを感じる。
今までに何度か、分家筋の人間たちに、なにかしらの神の奇跡――さすがに同性妊娠のことは伏せたが――を自らの手で行いたいと漏らしたことがある。
たいていは、笑われるか、幼いとあきれられるか、からかっているのかと怒られるかだった。
なのに。
「偏見があったのは、ぼくのほうですか……」
「ん? なにか言ったか?」
「ぼくはどうやら、あなたをおごりなく見つめなくてはならないようですね……今日からは、奴隷として……」
「ああ、あくまで便宜上のことだ。君が、その気もないのにおれにかしずいたりする必要は……おい!?」
折り目正しい所作で、枢流は床に片膝をついた。
沙羅衣の左手を取り、その手の甲にキスをする。
「祠堂枢流は誓います。皇沙羅衣の奴隷として、心身とも、常にお傍で尽くすことを」
寮生たちは、興奮のあまり万歳三唱をし始めた。
あっけにとられていた沙羅衣が、ようやく我に返り、
「……ああ。許す。よろしくな、枢流」
とうなずいた。
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