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第23話 いただきます
「もう、君とは入浴しない」
「ええっ!?」
沙羅衣の長い髪を、ドライヤーと高吸水性タオルで丁寧に乾かしていた枢流が、本気で驚いた声を出した。
「なぜです……? 物足りなかったのですか……?」
「……そう見えたのか?」
「いえ、ちっとも」
そうだろうな、と沙羅衣はひとりごちた。
だからこそ、枢流はまたも真顔で首をひねっている。
風呂を上がってから、二人掛けのソファに座った二人は、部屋着に着替えていた。
枢流がくれた黒いシャツとショートパンツは、枢流が自分用に買っておいたものではないようで、沙羅衣にとってぴったりのサイズだった(その気遣いに、沙羅衣は若干複雑な気持ちにはなったが)。
ライムを絞ったトニックウォーターを飲みながら、彼らはけだるい夕暮れを迎えている。
沙羅衣が最初に髪を乾かしていた間に、枢流が手早く料理の下準備を済ませたらしい。手際が良すぎて、思わず「うそだろう」と沙羅衣は突っ込んでしまったが。
「おおよそ、下ごしらえは朝のうちに済ませておきましたから」
「なら、今日の買い物はいったいなんだったんだ……?」
「気分ですよ、気分。皇帝と奴隷って感じがするじゃないですか」
「皇帝と奴隷って、一緒に買い物するか……?」
それでは主従関係というよりも、むしろ恋人同士なのでは……と言いかけて、沙羅衣は口をつぐむ。
まるで自分がそう望んでいるととられそうだったからだ。
「やはり、先輩の髪、これだけ長いとなかなか乾きませんね」
「ああ。いつも苦労しているよ。それでも、切る気にはなれなくてな」
「キューティクルを決して失わないように保ちながら、この長さはすごいですよ」
「はは。そう言われると、やりがいがあるな」
九割ほど乾いたところで、残り一割は自然乾燥に任せて切り上げることにした。
「では、食事の支度をします」
「おれもなにかやるぞ。任せっぱなしじゃ悪いからな」
「え? いえ、結構ですよ。座っていてください」
「やらせっぱなしじゃ、落ち着かないじゃないか」
しかしそこで、枢流の双眸がきらりと光った。
思わず沙羅衣がたじろぐほど、その光には脅威がこもっている。
「ぼくは、調理しているときに他の人にキッチンに立たれるのが、なにより苦手なんです。奴隷として請願申し上げます。どうかご容赦ください」
枢流の口元はにっこりと笑っているが、目は真剣そのものだった。
「わ、分かった。尊重しよう」
「ありがとうございます」
枢流はいつもの涼し気な笑顔に戻ると、キッチンに向かった。
沙羅衣は、これじゃどっちが皇帝だか分からんな、と苦笑する。
やがて、キッチンからいい香りが漂ってきた。
「……ん? しかし、この匂いは」
沙羅衣は好き嫌いは特にないと伝えてあったので、なにが出てくるのかはいまだシークレットのままだった。
しばらくすると、枢流が盆にいっぱいの主菜と副菜、それに飯盛り茶碗を載せてくる。
「お待たせしました。四海風辛味豆腐、シャキシャキ野菜の春巻き、よだれ鶏、筍とワンタンのスープです!」
「意外だ……」
枢流がきょとんとする。
「なにがです? 中仙国料理はみなさんお好きかと思いますが」
「いや、てっきり欧国風料理が出てくると思っていたから……なんとなく、イメージで」
「ふふ。確かに、それはよく言われます」
枢流が手早くテーブルに料理を並べていく。
沙羅衣がそれを取り分けた。
「では、いただきます」
「よそうのも、ぼくがやりますのに」
「そう言うな。こういうのが、中仙国料理の醍醐味だろ」
「先輩、あんな大家の本家なのに、変なところ庶民派なのですね……」
「母親の教育のせいかもな。もともと、貴族出じゃないんだ。だからだいぶ一族の中では浮いていたし、苦労したみたいだけどな」
そこで、茶碗を手にした枢流の手が止まった。
「過去形……なのですね」
「ああ。今はなかば家を出ているんだが、文学系の仕事をしているらしい。おれも年に一度くらいしか会わんのでよく知らないが」
「……なんだ」
「む。なんだとはなんだ」
「いえ、なんでもありません」
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