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第33話 続 女装の侵略
ひゅう、と乾いた風が、その場を吹き抜けていった。
頭の上に幾多の疑問符を浮かべながら、沙羅衣の視線がゆっくりと枢流に向けられる。
「いまひとつ話が見えないが。……本当なのか? 枢流、君が、彼と……以前、関係があったと?」
「……二度と会うことはないと思っていました」
本当に知り合いだったのか、と沙羅衣は軽い驚きに襲われた。
「ずいぶんと、その……意外な感じがするな。で、フィアンセととか寝取られたっていうことは、二人は……」
沙羅衣が、堅信と枢流を見比べていると、枢流が激しくかぶりを振り出した。
「違います! 今は、思いがけない再会に気を取られていましたが……ぼくと彼はつき合ってもいなければ、もちろん体の関係もありません!」
校門の周りで、なにごとかと聞き耳を立てていたやじ馬が、おおおと声を上げた。
「い、いや、そんなに大声で言うことでもないと思うが。……宇良くん、だったよな? おれの信頼する大切な『奴隷』がこう言っているんだが。もし君が今大声でのたまったことが事実でないなら、少々穏やかではないな」
「ふん! 笑止!」
「……なにがだ? 見たところ、婚約の指輪も好感している様子がないが」
「そのような形式ばった形代など無用! 婚約は、ただ互いの心の内でのみ成せば、それで用足りるのだ!」
「……君と枢流の間ではなされていないように見えるが」
「それとて笑止よ!」
この女装男、笑止の意味を理解して使っているのだろうかと沙羅衣はいぶかしんだが、堅信の勢いは止まらなかった。
「いいか、よく聞け名ばかり皇帝が! 人が思い描いたことは、必ず実現するのだ! 鳥のごとく空を飛ぶこともそう! あの強大なドラゴンをとらえ、空の果てへまでも開拓する人類のパートナーとして飼い慣らしたこともそう! つまり、着想した時点で、人の思いは半ば成就したも同然なのよ!」
「……つまり?」
「この宇良堅信が、『枢流と婚約したいなー』と思ったら、それはもはや現実のこととして取り扱うべきなのだ! そのために必要なのは、実現のための熱意と行動力! その両方がおれにはある! ここにこうして、フィアンセ奪還のために他校へ乗り込んでくるくらいだからな!」
沙羅衣は、ぎしぎしとぎこちなく、枢流に向き直った。
「枢流、君はぜんたいなにがあって、あんなものすごいのと知り合いになったんだ……?」
枢流は頭痛がするのか両手で頭を抱えながら、
「一時の気の迷いと申しますか、魔がさしたとしか……申せません」
「さあッ! つべこべ言わずに、わがもとへ戻れ枢流! 今度こそ、お前の望みを叶えてやろうぞ!」
これは、沙羅衣が聞きとがめた。
「……望み? 枢流の望みっていえば、同性にん……」
思わず口にしかけて、沙羅衣は慌てて黙る。こんなに人目のあるところで言うべきことではない。
枢流も、唇にしーっとひとさし指をあてて、堅信に「黙れ」とサインを送る。
しかし。
「ふはははは、そうだ! お前の切望している、同性妊娠の準備が整ったのだ! 必要なものは、その素養を持つ遺伝子――すなわちおれ! それにおれの初精! 加えて、セックスに熟練した肉体! 最後に、ドラゴンの血! おれは、そのすべてを備えたぞ!」
堅信の口上に、その場の誰もが、動きを止めた。
沙羅衣も、枢流も例外ではなかった。二人とも唇を半ば開いて、茫然としている。
沙羅衣は頭の中で、今の堅信の言葉を反芻した。
(準備……が整った? すべてを備えた?)
やがて、やじ馬たちが騒ぎ出した。
あの女装男子は、なんと言った? 同性妊娠? セックスがどうしたって?
……あの皇沙羅衣の奴隷が、なにを切望しているって?
事情は整理できていなかったが、沙羅衣は、その異様な空気感を感じ取っていた。
このまま、ここで口論することは、枢流にとってマイナスでしかない。
「行くぞ、枢流」
「え、あっ……はい」
いつになく覇気を失ってしまった枢流の手を引いて、沙羅衣は校門をくぐろうとした。
当然、赤い髪の女装男子と肉薄することになる。
「おっと。納得したなら、おれのフィアンセを置いていってもらおうか」
「……どう解釈したら今のやり取りで、納得されたと思えるのだ?」
そこで、これまでおとなしく横に侍っていた、堅信の取り巻き五人がずいと前に出てきた。
黒髪ロングのウィッグをかぶった一人が目を吊り上げ、
「貴様、堅信ちゃんの話をちゃんと聞いていなかったのか! その男をこちらによこせ!」
黒髪の女装男子は体つきが細身で女装がよく似合っているため、野太い声での警告が妙にアンバランスで、沙羅衣は軽く混乱しかける。
「ああ、と。そちらこそ人に話を聞いてもらえるような態度できたらどうだ? 少なくとも今のところ、君たちには正当性を感じないな。どけ、通してもらおう」
「貴様!」
はなじらむ取り巻き五人を、堅信が「やめろ」と言いながら手で制した。
「堅信ちゃん……」
「お前たちは下がっていろ。……なあ、枢流よ。教えてくれ。おれのなにが不満で、いきなり消えたんだ?」
「それは……」
枢流のしおらしい態度に、沙羅衣も、堅信のほうが無根拠に迫ってきているわけではないことを察した。
「枢流よ、誰にだって好みというものがあるし、おれだってこの世のだれもがおれに惚れぬくとまで思っているわけではない。だが、この世で一番かわいく、お前の欲しいものを取りそろえた上で、年頃の男子の有り余る性欲に耐えているおれをして、なにが不満なのかを教えてほしい」
「不満があるわけでは……ありません」
「ほう。そうなると、なおさら不可解だな。今一度問おう。なぜおれから逃げて、鳳凰千舞にきたのだ?」
「それは……」
「……そこの、皇沙羅衣のためか?」
「今ここでは……申せません」
「やれやれ!」
堅信が、腰に手を当ててくるりと背中を向けた。
「どうやら、今ここではらちが明かないようだな! まあいいだろう、それならば、空気を読み礼節を守るタイプのこの宇良堅信、出直すこととしよう。ひとまずはアディオス!」
そういうと、堅信はざっざっと靴音を響かせて去っていった。
取り巻きたちがそれに続く。
「なんだか、よく分からないが……帰れるようだな」
沙羅衣の言葉には、万感がこもっていたが。
「先輩……ぼくの家にきていただけませんか?」
「え? それは構わないが……」
「お話ししします。すべて」
夕闇が迫ってきている。
枢流は慣れた手つきで紅茶をいれると、すいと沙羅衣に差し出した。
軽く頭を下げて、沙羅衣がカップを手に取る。
深く香ばしい、いい香りがした。
「なかなか、あくの強い男だったな」
「ええ。……以前から、そうでした。出会ったのは、一年ほど前ですが」
「……言いにくいなら、無理に話さなくてもいいぞ」
「いえ。いい機会なので。……ぼくの望みが、同性妊娠にあるとお話ししましたよね」
「ああ」
「その理由は、……以前にも申し上げたように、ごくつまらない、……身勝手なものなんです」
「……ずいぶん思いつめたものだな」
枢流は、顔を上げて沙羅衣の目を正面から見つめた。
「ぼくは、ぼくだけの家族が欲しいんです。決して裏切らない、ずっと一緒にいてくれる、信頼できる絆で結ばれた……家族が」
「……それなら、異性妊娠でも同じじゃないのか?」
「いえ。同性妊娠は、他人の遺伝子に介入されずに、子供を作ることができます。ぼくは、他人と信頼関係を築けるほどできた人間じゃありません。だから、自分の……自分一人だけの遺伝子で、子供を作りたいんです」
「……それほど、子供が欲しい理由は?」
「突き詰めれば、ないものねだりなんでしょうね。小さいころから、僕の母親は分家の当主である父に、至極粗雑に扱われてきました。そして追い詰められて孤独になり、ぼくを捨てて消えました。……最初は、もう家族なんて作るものかと思いましたよ。でも、……途中から、ひどく寂しくなったんです。このまま、誰のことも愛さず、愛されず、孤独に生きていくのかと。そう思ったら、……ぼくが作る、ぼくだけの子供が欲しくなりました。それもできるだけ、若いうちに」
「若いうち?」
「ええ、ジェネレーションギャップが少ないほうが、親子仲ってうまくいきそうな気がして」
それはどうだかな、と沙羅衣は苦笑した。
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