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prologue-3

 莉音の細い手首についた擦過傷を見るなり、夕爾(ゆうじ)はその綺麗な顔を歪めた。  リビングのソファに座るよう促され、黙って腰掛ける。救急箱を持った夕爾がやってきて、目の前に跪いた。  彼はこの教会の牧師であり、行き倒れになっていた莉音を救ってくれた恩人でもある。 「いつまで、こんな関係を続けるつもりなの……?」  莉音の赤くなった手首に軟膏を擦り込みながら、夕爾は穏やかな声で問いかけてきた。  もちろん答えられるはずもなく、莉音は下唇を噛み締めて俯く。  まだ高校生である環と、ここに拾われオルガン奏者として厄介になっている自分では、逢い引きの場所も必然的に限られてくる。  結果、教会の敷地内で不埒な行為に及んでいるふたりを、なぜか夕爾は咎めることなく黙認していたのだ。  しかしここ最近、環がわざと痕を残すようなことを繰り返すので、いよいよ釘を刺しておくつもりになったらしい。 「もう、おれは堕ちるところまで堕ちてしまっていますから」  はぐらかすつもりで呟く。実際、幼少の頃から虐待を受け続けてきた身だ。いまさら傷のひとつやふたつ増えたところで、どうということはない。 「でも、場所はもう少し考えます」 「そういうことを言っているんじゃないんだよ。ここは迷える仔羊の集う場所なのだから、あの子もいつだって来ていいんだ」  夕爾は、そう言ってにっこりと笑う。だが、あきらかに無理をしているのが痛々しい。  そもそもこの宗派では、同性同士の姦淫を禁じている。  ふたりとも洗礼を受けているわけではない。だが莉音は、戒律を守ることがここに住まわせてもらっている者としての礼儀だと考えていた。 「ぼくはね、莉音が傷つく姿を見たくないんだよ」 「……カラダの疵は、いつか癒えます。だから平気です」  悲しそうな瞳が自分を見つめてきて、耐えきれずに顔を背ける。  夕爾がふたりの関係をどう捉えているのかはわからない。黙って見守っていたということは、恋人同士だと考えているのかもしれなかった。  たしかに、以前はそうだった。抱き合ったりキスをして、愛の言葉を囁きあって。  歯車が狂い始めたのは、忘れもしない、初めて環の部屋を訪ねたときだった。  雰囲気に飲まれて行為に雪崩れこもうとしていた彼を、莉音は拒んだ。  戒律を、理由にして。  以来、環は「挿れてないならカンインじゃないよね」という謎の理屈により、いまのような『遊び』をするようになったのだ。  だから、というのも変な話だが、ふたりはまだ本当の意味で身体を重ねたことはなかった。  口淫や奇妙な玩具を使っている時点で言い訳できないと思うのだが、環は頑なに莉音を抱こうとはしない。  いつのまにか出来上がっていた不文律。  それがお互いをじわじわと蝕んでいることに、このときの莉音はまだ気付いていなかった。

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