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第2話
五匹ほどの野良猫に囲まれて、改めて口に出してみると、ほろ苦い気分になる。
祐介は少々難儀な隠れゲイだ。
性的指向を自覚したのは中学生の頃だったが、当時はもちろん大人になった今でも、どうしてかノンケの男ばかり好きになってしまうから、まともな恋愛経験もない。
ひたすら片思いばかりしていて、気持ちを伝えられぬまま相手に彼女ができたり、最近はそういう年頃なのか、突然結婚することになったと言われたりしてきたのだが、デキ婚というパターンは初めてだった。
「なーんか、デキ婚とかさ。効率よく繁殖しちゃってるなって感じで、動物より動物っぽいよな。俺だってできるなら孕んだりしてみたいけどさぁ」
「ゆうすけ、おとこ」
「こども、うまない」
「いや、もちろんわかってるけど! 産めるもんなら産んでみたいじゃん、好きな男の子供とか!」
自分でもめちゃくちゃなことを言っている自覚はあるが、好きになる相手がノンケである以上、どうやっても女性には敵わない。
おまえも早くいい子を見つけろとか、彼女がいるっていいもんだぞとか、何も知らずにあれこれアドバイスじみたことを言われて無駄に心が疲れているのだから、男も妊娠できたら、なんて荒唐無稽なことを考えるくらい、許されるんじゃないかと思うのだ。
「でもまあ、もういいんだよ。どうせ俺の恋は実らないんだし。今は無職で金もないし、なんかちょっぴりみじめな気分だけどさ。でもきっとすぐに、もっといい男が……」
持ち前の前向きさを発揮して言いかけたところで、ごくたまに見かける毛並みのいい黒猫が、塀の上からこちらを見下ろしているのに気づいた。
ほかの猫と違い、鳴き声を聞かせてくれたことがないので、何かやりとりをしたことはないのだが、とても綺麗な猫だ。
「おー、黒猫。久しぶりだな。元気だったか?」
話しかけてみたけれど、黒猫は答えない。
でも、なんとなくこちらの言葉は理解しているように思える。祐介は立ち上がり、塀のほうに少し近づいて言った。
「おまえ、いつも綺麗だけど、どこに住んでるの? もしかして、どこかの飼い猫?」
「……彼は俺のしもべであるぞ」
「っ?」
突然奇妙な口調で声をかけられて、驚いて振り返る。
いつの間にそこにいたのか、背の高い男性が音もなく立ってこちらを見ている。
豊かな黒髪に褐色の肌。月光を映す青い瞳。
エキゾチックな容貌だが、外国人だろうか。目を丸くして見ていたら、黒猫がひょいと塀から下り、男性のほうに歩いていった。男性が伸ばした腕からスルっと肩の上に飛び乗ったので、どうやら本当に飼い主のようだとわかったが、しもべって――――?
(わ……?)
男性がすっとこちらにやってきて、まじまじと顔を見つめてきたから、思わず仰け反りそうになる。
青く美しい目でそんなに見つめられたら、顔に穴が開きそうだ。じりっと身を引きながら、祐介は訊いた。
「あ、あのっ……。俺の顔に、なんかついてるっ?」
祐介が文字どおり引いているのに気づいたのか、男性がはっとして、それから苦笑交じりに言う。
「……これは失礼した。ただ魅了されていただけだ。気にしないでくれ、祐介」
「み、みりょうって……、えっ? あんた今、俺の名前を呼んだっ?」
「うむ、呼んだが」
「なんでっ? どうして俺の名前を、知ってっ……?」
「猫たちがそう呼んでいたではないか。そなたのことを、ゆうすけ、と」
男性がこともなげに言って、優雅な笑みを見せる。
「そなた、動物たちと話ができるのだろう。ここの猫たちとは親しいのか?」
思いがけず能力を見抜かれ、一瞬答えに詰まってしまう。
猫が言っていることがわかるということは、もしかしてこの男性も動物と意思疎通ができるということだろうか。
でも、この男性は何か変だ。日本語が母国語ではないからなのか、話し方も妙に芝居がかっているし、どこかの民族衣装のような明るい色の装束も少しばかり派手で、何やら現実感がない。
いったい何者なのだろう。
「ああ、重ね重ね失礼した。申し遅れたが、我が名はラフィーク。ふむ、そうだな、動物を保護する仕事をしている、とでも言っておこうかな?」
「動物を、保護?」
「そうだ。小動物や幼獣には助けが必要だからな。親がいなければなおさらだ」
ラフィークと名乗った男性が言って、祐介を取り囲んでいる猫のうちの一匹、成猫ではあるが少し体が小さい三毛猫に目を向ける。
すると不意にラフィークの肩から黒猫がさっと降り、三毛猫に近づいてくんくんと匂いを嗅ぐみたいな仕草をした。それから何か気づいたみたいにラフィークを振り返ると、彼も三毛猫に近づき、しゃがんでそっと手を差し伸べた。
「ああ、腹にかすり傷を負っているのだな。深くはなさそうだが、痛むか?」
ラフィークの問いかけに、三毛猫が小さく鳴き声を上げる。
「……いたい」
「そうか、かわいそうに。よければ俺のところに寄らぬか? 手当てをしてやれる」
「あの、もしかしてあんたも、動物の声が聞こえる人?」
「もちろんだ。ここの猫たちは特にな。普段からそなたがよく声をかけているからかもしれぬな」
ラフィークが答えて、三毛猫を優しく抱き上げる。
「この猫らは、そなたの友達なのだな? ならばそなたも一緒に来ないか?」
「え、と、どこに?」
「ここから近いところに、俺の屋敷がある。保護動物もたくさんいるぞ?」
エキゾチックな顔に優美な笑みを浮かべて、ラフィークが訊いてくる。
こんな夜更けに初めて出会った人間を家に誘うなんて、ずいぶんと変わった人だ。それとも、もしかして初対面ではないのか。
近いところとはどのあたりだろう。一本むこうの幹線道路を渡ると大きな屋敷が並ぶ通りがあるから、その辺に住んでいるのだろうか。
そうであるにしても、今まで顔を見かけたことはなかったと思うのだが。
(でもなんか、ちょっと気になるな)
容貌と話し方の奇妙さを見る限り、彼は日本人ではなさそうだ。
けれど表情や物腰は華やかで、不思議と親しみを感じる男性だ。
普段なら、よくわからない相手に誘われてついていったりはしない。
だがどうしてか、この人ともう少し話したいという気持ちが湧いてきて、ここで別れる気になれない。
まだ酔いも醒めていないし、アパートに帰ってもどうせ寝るだけだ。幸か不幸か失業中で、明日早く起きなければならない用事もないのだから、ついていってみようか。保護動物もちょっと見てみたいし……。
祐介がそう思っているのを見透かしたみたいに、ラフィークがうなずく。
「俺についてきてくれ、祐介。すぐ近くだ」
そう言ってラフィークが、すっと歩き出す。黒猫がこちらを見ながらあとに続いたので、祐介は誘われるまま歩き出していた。
「えっ、ここ?」
「ああ、そうとも。さあ、中へ」
「あ……、お、お邪魔、します」
(……ここにこんな大きな家、あったっけっ?)
ラフィークの屋敷は、祐介のアパートからさほど離れていない住宅街の中にあった。
高い塀と門扉があり、外から丈の高い庭木が見える大邸宅だが、ここには前は別の家が建っていたような気がする。ずっと職場とアパートを往復するだけの毎日だったから、家を建て替えているのに気づいていなかっただけなのか……?
「……わっ……?」
門から中に入って、思わず声を上げた。
何というのか知らないが、外国の映画に出てくるお城か寺院みたいな、あまり見かけない建築様式の建物だ。
だがその中へと入っていくと、そこは単なるエントランス的な場所だったとわかった。建物を通り抜けると、今度は高い柱で囲まれた長い回廊があり、たっぷりと水をたたえたラグーンがある。
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