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第3話
そしてその先には、映画のセットの宮殿か何かのようなベージュ色の建物があった。
まるで東京の片隅から、おとぎ話の世界にでもトリップしてしまったみたいな気分だ。あまりの現実感のなさにあっけに取られていると――――。
「ラフィークさまだー!」
「ラフィークさま、おかえりなさぁい」
「……戻ったぞ。いい子にしていたか?」
宮殿のような建物の入り口から、薄茶色のコロコロした動物が二頭、ラフィークの足元に駆けてきたから、思わず息をのんだ。
くりくりとした目をした、ものすごく可愛らしい四つ足の動物だ。
でも、どう見ても猫や犬ではなかった。酔っているのもあって自分の目が信じられないのだが、あれはライオンの赤ちゃんでは……?
「おきゃくさま?」
「ああ、そうだ」
「ねこの子も?」
「この子は怪我をしていてな。ナジム、先に手当てをしてくるから、祐介をテラスに案内しておいてくれ」
「かしこまりました、ラフィーク様」
「わっ? しゃべった!」
三毛猫を抱いて去っていくラフィークを見送りながら、黒猫が声を発したので、驚いて小さく叫んだ。ナジム、というのはこの黒猫の名前なのか。こちらを見上げて、ナジムが言う。
「しゃべりますよー、もちろん! 改めましてこんばんは、祐介様。私はラフィーク様に長年お仕えしております、ナジムと申します! 声をかけていただいていたのに、ずっとお返事もせず、本当にご無礼をいたしましたー!」
「あ、いや、そんな」
「どうかお気を悪くなさらないでくださいねえ。何しろラフィーク様から、しかるべきときが来るまでおとなしく黙っているように、と厳しく命じられておりまして。私はどうもこう、おしゃべりがすぎてしまう性質でして! というのもですね、私は子供の頃から――――」
おとなしそうな姿からは想像もつかないような早口で、ナジムがまくし立てる。
仕えている、というからには、ナジムはラフィークを主人か何かだと思っているのだろう。主従の関係なんて、猫なのになんだか犬みたいで不思議だが、ラフィークが黙っているように命じておいたのは正しい気がする。
なるべく話を遮らないようにタイミングを見計らって、祐介は訊いた。
「あの! しかるべきときって、何?」
「ええと、それはですね! まあその、あなた様とラフィーク様との邂逅には、いろいろとやんごとなき事情がありまして! そのあたりは私ではなく、ラフィーク様から直々にお話があると思いますので……、まずはこちらへどうぞ!」
ナジムが言いつけを思い出したみたいに言って、いそいそと歩き出す。
しかるべきときとか、やんごとなき事情というのは、いったい何のことを言っているのだろう。祐介がラフィークと出会ったのは今夜が初めてだと思うが、ナジムの姿はずいぶん前から見かけている。ということは、もしかして今よりも前から、ラフィークは祐介の存在を知っていたのだろうか。
状況がよくのみ込めず、首をひねりながらナジムについていくと。
「……ええっ……!」
美しい中庭のようなところに、ものすごい数の動物がいたので、思わず頓狂な声が出た。
犬や猫、色鮮やかな鳥に獣、兎やリスなどの小動物。馬に牛、羊や山羊、狐――――。
動物園、というよりは図鑑から出てきたみたいに、様々な種類の動物がいて、月明かりの下で草を食んだりじゃれ合ったり、思い思いの野生の姿を見せている。
虎やライオンのような肉食動物と草食動物が混在しているが、弱肉強食みたいな雰囲気はまるでなく、当たり前に共存しているのだ。
それもそのはずで、よく見ると動物たちは皆小さく、どうやら幼獣ばかりのようだ。
こんな光景を見たのは初めてだ。
(なんなんだ、ここはっ?)
動物を保護する仕事をしているとラフィークは言っていたが、動物を飼うのには、確かいろいろと細かい決まりがあるはずだ。
外から見るよりもずっと広い屋敷だとはいえ、こんなふうに多種多様な動物が放し飼いにされているのは、素人目に見ても何か少し奇妙な感じがする。虎や豹のような獣には絶滅危惧種などもいたはずだし、普通こんな住宅地の屋敷では飼えないのではないか。
都内でこんな暮らしができるなんて、ラフィークは中東あたりの石油王か何かなのか。
酔った頭でそんなことを考えながら、ナジムについて庭の奥にある階段を上っていく。
そこはルーフテラスのようになっていて、円テーブルと椅子が置かれていた。
「こちらでしばしお待ちください!」
「あ、うん、どうも……」
椅子に腰かけると、ナジムがさっと身をひるがえして去っていった。
一人にされると、よくわからない人について屋敷に来てしまったのだと、改めて実感してしまう。酔いに任せて無防備な行動をしすぎているだろうか。
「ん? なんか変な感じだな?」
テラスから敷地の外に目を向けると、そこには東京の夜景が見えるが、何か少しぼんやりとしていた。まるで映像か何かで見ているみたいで、妙に不安を覚える。
テラスの手すりの上をキリンの頭が横切っていくのを見たら、なんだかもう自分の常識を疑いそうになった。
本当に、ここはいったいなんなのだろう。大いに疑問に思いながら待っていたら、しばらくしてラフィークが階段を上ってきた。
「……待たせたな、祐介」
ラフィークは手に銀の盆を持っていて、そこには洒落たティーポットとカップ、それに焼き菓子が乗っていた。
月夜にお茶会だなんて、なんだかちょっとメルヘンチックだ。男女だったらこんなふうに始まるロマンスもなくはないかもしれない。男同士なのでその確率は低いとは思うが、せっかくだからいただこうか。
ぼんやりそんなことを思いながら、祐介は訊いた。
「ええと、ラフィークさん。三毛の怪我、どうでした?」
「ラフィークでよいぞ。何かに引っかかったのか少し血がにじんでいたが、大したことはない。大丈夫だ」
ラフィークが盆をテーブルに置きながら言って、祐介の隣に座る。
「来てくれて嬉しいぞ、祐介。俺はそなたと話がしたかったのだ」
「あの……、もしかして俺のこと、知ってたんすか?」
「実を言うと、そうなのだ。ナジムに、そなたのことを偵察してもらっていてな」
「偵察っ?」
「本来は俺自身がこちらへ赴き、時間をかけてそなたを見つけ、見定めたかったのだが、状況がそれを許さなかった。悪く思わないでくれ」
ラフィークがすまなそうに言う。
やはり今よりも以前から、祐介のことを知っていたみたいだ。でも、見定めるとはいったいなんのことを言っているのだろう。
戸惑っていると、ラフィークが目を輝かせてこちらを見つめた。
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