160 / 166

仄暗い闇の中で

 散々泣き崩れて、最後に残ったのは、睦月と交わした言葉だった。  年の始まりに、朝日が溢れる中で睦月が口にした言葉。  “ねぇ、ユキ。もしも俺が死ぬまでに、触れ合うことが……出来なかったら。……死んだあと、ユキは、俺のことを抱いてくれる……?” 「…………」  俺はあのとき、なんて答えただろう。  なんて睦月に返事をしたのだろう。  朦朧とする頭の片隅であの日のことを思い出そうとしても、靄がかかったように思い出せない。  それでも、いま、自分に出来ることは、睦月の願いを叶えてあげることだけ。  睦月を、愛してあげることだけ。 「きみが、そう望むなら……」  俺は力の抜けた睦月の肩と膝の下に腕を通して抱き上げる。  いつぶりだろうか。こんなにも睦月に触れたのは。  触れられなくなったのが八年前くらいだから、本当に久しぶりだった。  階下に降りて居間に向かうと、部屋の電気をつけ、一度睦月の体をソファに横たえる。  明るくなった部屋の中で見たその顔はまるで、本当に眠っているようで。  いつもみたいに目を開けてくれるんじゃないかと錯覚してしまう。  そんなはずはないと、血に塗れた体が物語っていることが、余計に俺の心を抉った。  涙が零れてしまう前に、風呂場に向かって湯船にお湯を張った。  一度、居間に戻って、睦月の体を抱え上げてからもう一度風呂場へ運ぶ。  その作業の間すら、俺の心は真っ白のままで。  半分ほど溜まった湯船の中に睦月の体を浸からせて、体にこびりついた血を優しくお湯で洗い流していく。 「…………睦月」  口から零れた声は、自分のものなのか疑わしいほど、弱々しくて。  また、涙が溢れ出しそうだった。  ある程度、血を落とすとキレイになった睦月の体を抱き上げて湯船から洗面所へ移動させる。  まるで機械のように無心のまま用意していたタオルで細い体を拭いながら、耐えきれずもう一度睦月を抱きしめた。  くるしい、くるしい。  気を抜けば、また独り、暗い沼の中に沈んでしまいそうで、必死に心の扉を閉じた。  悲しみという闇が隙間から入り込んで来ようとして、怖くて怖くて、仕方なかった。

ともだちにシェアしよう!