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第5話

 電車に乗って駅まで戻ってくると、駅前はすっかり休日の賑わいをみせていた。  帰宅ラッシュの時間帯とかちあったこともあって、人と人が縦横無尽に通路を行き交っている。乗客たちは、ビニール袋を下げてゆっくりと歩いている二人を迷惑そうに一瞥して通り過ぎていった。  安吾はさりげなく、摘み取った草や実を入れた袋を体の前に持っていく。荷物自体は大した重さはないが、慣れない肉体労働のせいか扱いが雑になっている自覚はあった。考えてみれば今の時間まで食事をとっていない。そろそろエネルギー切れになってくる頃合いだ。  人の流れに惑わされながら改札を通り抜けたところで、安吾は洒落に話しかけた。 「悪い。続きはまた別の日でもいいか? 本当はすぐにでも作りたいところだろうが……」 「うん、とりあえず材料はこっちで預かっておく。作業は安吾がやらないといけないから、安吾の都合がつくときでいいよ。あ、でも早い方が助かる」 「わかった、そうだな……火曜は午後の講義が早く終わるから、その日はどうだ」 「いいよ。火曜だね」  洒落は安吾から荷物を受け取って微笑んだ。 「じゃあ……」  本来ならばここで別れるのは自然の流れだろう。安吾の体は既に食事よりも眠りにつきたいという倦怠感に包まれている。笑顔にうっすらと疲労が透けて見える洒落も同じく疲れているはずだ。  だというのに、何故か、その後の言葉が出てこない。  開いた口からは躊躇いの息が漏れるだけだった。  安吾の言葉を待っていた洒落は困ったように首を傾げた。無言の安吾の代わりに洒落が口を開こうとした、そのとき―― 「安吾ちゃん?」  安吾が振り返ると、雑踏の中で黄が立っていた。黒と白で統一された服装のせいか、全身だけ見ていたら舞台衣装のようだがやけに黄に似合っている。安吾と目が合うと口角を上げ、光沢のある頑丈そうなブーツをがつがつ鳴らしながら駆け寄ってくる。それから、安吾と相対している洒落をじっと見上げた。 「あ、友達と一緒だったんだ。こんばんはー」 「ん? おお、これはご丁寧に。こんばんは」  互いに軽く会釈をして挨拶をした。  顔を上げたものの、二人は相手を観察しあってじっと見つめ合っている。雰囲気の異なる二人が向かい合っている姿を、安吾は奇妙に思いながら様子をうかがっていた。やがて、黄の方が安吾に向かって言った。 「うんうん、でっかい大型犬タイプだね」 「初対面で失礼だろ」 「わはは、間違ってない!」 「あんたも少しは否定しろ」  確かに、大型犬だという指摘を否定する方が嘘になるのだが――  安吾の心の中の突っ込みが届いたのか、洒落がさりげなく目くばせをした。 「いきなりごめんね。俺は白鳥黄。安吾と同じ大学のトモダチ」 「わしは加藤洒落。安吾の、えっと……」  洒落は言葉を詰まらせ、ちらっと安吾の方を見て助けを求めてくる。  ……溜息をついて、安吾は仕方なさそうに後を引き継いだ。 「この前話しただろう。例の古書店の店員。今日はちょっと手伝いをしてきたところだ」 「へえ、手伝いねえ」  嘘は言っていない。手伝ったのがどちらなのかを明確にしていないだけだ。  しかし、黄は気付いているのかいないのか、思わせぶりに「ふうん」「ふーん」「ふふん?」と繰り返している。その間、洒落は緊張の面持ちで軽く両手を上げていた。尻尾と耳があれば、だらりとへたれていることだろう。  しばらくじろじろと見られ続けていた洒落だったが、とうとう黄に話しかけた。 「あの……なにか、わしに気になるところがあります?」 「んー? いやあ、洒落た着こなしをしてるなあと思って。その作務衣、生地はかなりの年代物ですよね?」  黄の指摘に、安吾も洒落の服装に注目した。  言われてみれば擦り切れた部分や色褪せた面もある。だが、洒落が着古したのではなく、元の生地が古いものなのだと言われても安吾には違いがわからない。 「ああ、この服は元々クロ――わしの知り合いの着物を、キヨ――わしの知り合いが、作務衣に仕立て直してくれたものだから」 「着物を作務衣に? すごいですね」  なるほどな、と安吾は思った。  クロの着物ということは百年前か、下手をしたらそれ以前の布地だ。本来ならばこうも気軽に着用しているようなものではないだろう。見る人が見ればそんな恰好で庭仕事をするなど絶句してしまうかもしれない。  黄は目を輝かせながら興味深げに洒落の周りを見て回った。なおのこと好奇の眼差しが強くなった洒落は一瞬だけ怯んだものの、褒められたことで緊張感が多少和らいだのか照れ臭そうにはにかんだ。困り眉が愛らしい。 「……安吾ちゃん、いつトモダチ作ったのさ?」  黄がこそっと安吾に耳打ちをした。安吾は肩をすくめて、「知り合いみたいなものだ」と細かい訂正を入れた。 「ま、いいや。ね、これから飯食いに行こうと思うんだけど、一緒にどう?」 「他に人が来るなら俺は帰る」  安吾が食い気味に答えると、黄は苦笑した。 「俺だけだから安心して。ねえお前様、それなら一緒に来てくれる?」  数秒の逡巡の後、安吾は洒落を見やる。  何気なく見た洒落の顔がほんの少し曇っていた。悲しみにも苛立ちにも似た複雑な感情がよぎる。そんな瞬間を目にしてしまった。 「――こいつも連れていっていいなら」  安吾自身も絶対に言うはずがないと思っていた言葉に、黄も洒落も呆気にとられていた。  数分後。  三人はファミリーレストランのボックス席に腰を落ち着けた。いつもは家族連れや友人グループで賑わっているが、偶然人が途切れたタイミングだったらしい。この時間帯にしては比較的スムーズに入店できた。  洒落はきょろきょろと店内を見回し、小声で呟く。 「わし、ここ入るの初めて……」 「ほんとに? ここ、ファミレスの中では割と美味いよ。はい、メニュー」 「おお、ありがとぉ」  洒落は手渡されたメニュー表を開き、楽しそうに内容を確認している。そんな洒落を黄は興味深げに微笑みながら見守っていた。  ……店に到着するまでの数分で、洒落と黄はすっかり意気投合していた。  元々洒落は犬のような、人懐っこい気質がある。それが黄の社交的で牽引上手な面と合致しているのだろう。このまま食事が終わる頃には、黄が洒落のリード紐を引いている構図が出来上がっているかもしれない。安吾は二人のやりとりを傍から眺めながら洒落が黄にお手をしている姿を想像していた。  安吾が完全に蚊帳の外でいると、ふと黄から声をかけられた。 「安吾ちゃん、いい顔してるじゃん。そんな顔もできたんだ」 「は? いい顔?」 「花がほころぶようなっていうかさ、なんか、柔らかい感じ? そんなふうに笑うんだなーって」  そんな顔をしていたのかと、安吾は首を横に傾けた。それからぎゅっと目を瞑って眉間に力を入れる。  「あーあ、戻っちゃった」と黄の残念そうな声に対しては聞かないとばかりに顔を背けた。背けた先には洒落がいて、メニュー表越しに安吾の様子をうかがっている。ぱちりと目が合うと、洒落は慌ててメニューへと視線を戻していった。 「洒落ー、なに頼むか決まった?」  黄が尋ねると、ぴくっと肩を跳ねた洒落は「む」と呻いた。メニュー表をテーブルに広げ、遠慮がちにメニューの写真を指差す。 「じゃあ……この揚げた芋と鳥の盛り合わせと、この焼いた肉がたくさんのってるやつ。それと、ごはん」 「フライドポテトと唐揚げの盛り合わせと、ミックスグリルのAセットね。ドリンクバーは付ける?」 「よくわからんから、任せる」 「了解。安吾ちゃんはいつもと同じのでいいの? おろしハンバーグとCセット」 「あ――ああ」 「はーい、じゃあ頼みまーす」  黄の察しがいいのか、洒落の言い方が素直なのか、意思疎通ができている。安吾は咄嗟の言葉に困って頷いた。  黄は軽妙な返事をして、呼び出しボタンを押した。メニューを見るまでもなく、既に注文品を決めていたようだ。やってきた店員相手にてきぱきとやりとりをして注文を済ませた。  洒落は、ピンポーンと音を響かせた機械と、やってきた店員に興味津々といったように目を輝かせ、じっと熱い視線を送っていた。この店への来店が初めてなのではなく、外食という行為自体が彼にとって初めてなのかもしれない。やがて店員が去っていくと、今度はドリンクバーのコーナーへ向かう黄について行ってしまった。  洒落の興味は、安吾から黄に移ってしまったようだ。  真っ直ぐに自分だけに注いでいた視線。あのキラキラと瞳に星が瞬くような輝き。一度は、こちらに向いていた熱情。  一人になった安吾は深い溜息をついてソファにもたれかかる。 「……誰でもいいのか」  心のなかで言ったつもりが、小さく言葉として漏れ出てしまった。慌てて目だけを動かして辺りを見回す。ありがたいことに店員は遠くのテーブル対応中で、周囲の客は談笑に夢中だ。誰にも聞かれていないか耳で確かめて、ほっと肩の力を抜く。 「安吾。はい、これ。わしが作った飲み物。よかったら飲んで」  洒落がドリンクバーの飲み物を両手に席へ戻ってきた。自分の前と安吾の前にグラスを置いて、にこにこと笑っている。安吾はオレンジと紫が混ざった不吉な色の飲み物に対して目を細めた。 「……なにを混ぜた?」 「オレンジジュースと葡萄ジュース。一種類注いだ後にシロップを入れて、静かに次の飲み物を注ぐと二層になるらしい。わしのは上手くいかなかったけど、黄の作ったやつが綺麗に分かれてる」  どうやら黄の入れ知恵らしい。件の男の姿を探すと、オレンジと紫がはっきり二色に分かれたグラスと温かい飲み物の入ったカップを手に戻ってくるところだった。  なにかを察した黄が席に着きながら言う。 「まあ味は変わらないし、変なものは入ってないから安心して飲みなよ」  黄の言葉に眉間に皺を寄せたものの、安吾は洒落の運んできた飲み物を一口含んだ。  身も蓋もない言い方をすればオレンジジュースと葡萄ジュースの混ざった味がした。以前、黄がこれをサングリアのモクテルだと語ったことを思い出す。確かに似てはいるがサングリアだと思えるかどうかは微妙なところだ。 「どう? 美味しい?」  隣の洒落が前のめりになって尋ねてくる。  圧に負けて、安吾は正直にかつ短く答えた。 「飲める」 「ひねくれてるねえ、安吾ちゃん。もうちょっとだけ文字数増やして言ってみてよ。感想なんだからさ」 「……オレンジジュースの酸味が葡萄ジュースの甘味で中和されている。アルコールがない分、軽さが気になるところだが乾杯用なら十分だ。あんたが作ったのは見た目はさほどでもないが、葡萄ジュースが多めに入っているからか甘めで飲みやすい」  つらつらと長い所感を述べたのは、水を差した黄への反発からだ。  だが安吾の意に反して、黄は驚いたような目を向けた。洒落までもがおそるおそるといったように問いかける。 「……褒められてる?」 「褒めてる褒めてる。かなり褒めてるよ、これは」  言われて、洒落は嬉しそうに座り直し、自分のグラスに口を付けた。  黄はなおも驚きが抜けないらしく安吾を見やって呟いている。 「……安吾ちゃんがねえ。へえ、やればできるんだねえ」 「俺だって褒めようと思えば褒めるさ」 「じゃあなんで普段からやらないのさ。俺のことももうちょっと褒めてよねー」 「褒められるようなことをしたのか?」 「むー」  黄はグラスの縁をなぞって遊びながら、「やっぱ、さあ」と続ける。 「安吾ちゃん、洒落のこと好きでしょ」 「……はあ?」 「えっ!?」  声が重なり、安吾は思わず隣に目を向けた。  洒落もまた目を丸くして安吾を見つめ返していた。見つめ合ったのはほんの一瞬で、安吾はすぐに視線を戻す。 「またあんたは……極端なことしか言えないのか」 「だってそれしか言い様がないじゃん。俺はそんな感想言ってもらったことないし?」  「ほんと? ほんと?」とキラキラ輝いた声が隣から聞こえてきたが、安吾は無視した。 「あんたが言えと言ったんだろう。だから言ったまでだ」 「言えって言われて、あれだけ出してきたってことは心の中で思ってたってことでしょ?」  「そうなの? そうなの?」とさらに明るく瞬いた声が再び聞こえてくる。安吾はまたしても無視した。 「……」  口をへの字に曲げたまま無言を貫いていると、洒落が心配そうに覗き込んできた。 「安吾……もしかして、怒った?」 「怒ってない。 ……呆れているだけだ」  ちくりと胸を刺すものがあったが、安吾は表情を崩すことなくそっぽを向いた。 「可愛いよねえ、こういうところ。流石お前様。ね、洒落」 「……可愛い、のかなあ。よくわからんが、褒めてくれてありがとう、安吾。嬉しい」  満面の笑みで感謝の言葉を何度も繰り返す洒落。  安吾は洒楽に応えるかわりに別の話題を出した。 「そういえば、黄はなにをやってたんだ。一人で駅前をうろついているなんて珍しいな」  黄は友人の多い男だ。一人で食事をとっている姿など見たことがないし、想像もつかない。 「俺? 俺はカラオケ帰り。これから飯行こうってところで全員合コンで抜けちゃってさあ。俺も誘われてたんだけど相手の女子グループが地雷だったから遠慮した」 「地雷?」 「前に合コンで会ったことある子たちでさ。酒が入ると饒舌(じょうぜつ)になるのはいいんだけどなりすぎるのは問題だよねえ。『え~、そんなことしてるの趣味悪い』とか『その趣味でその恰好は変じゃない?』とかさ。挙句の果てに『あなたのために言ってるの』……それ言っちゃうのはまずいよ。俺、取り成すの大変だったんだから」  「俺もできればもう会いたくないんだよね」と、黄は溜息を零して、グラスの飲み物に口を付けた。均等に分かれていたオレンジと紫がたちまち崩れていき、混ざっていく。  人付き合いの幅が広い黄だが、付き合いの場や相手は選んでいる。選ぶというと語弊があるが――後々問題が起きそうな付き合いを上手く避けているといった方がいいだろうか。黄が付き合いをやめると大抵揉め事や問題が頻発し、その話が付き合いの薄い安吾の耳にすら入ってくるほどだ。 「……あんたも大変だな」 「ま、こんなのよくあることだから。大変っていうほどじゃないけど……あのときの合コンは俺にも飛び火してきたからさ。 ……でもま、自分でもわかってることを改めて他人に言われると結構ヘコむよね」  黄のことを、事態が悪化すると人間関係を放り出して逃走する、いわゆる『リセット人間』だと言う学生もいるが、安吾は黄の人を見る目を信用している。人間関係の希薄さに関しては安吾も人のことを言える立場ではないが――少なくとも黄は付き合いの場に積極的に参加し、場数を踏んでいる猛者だ。伝え聞いた話だが、オカルトサークル関係でとんでもない事態に陥ったことも、学部の人間の紹介で危ない人間と接触したこともあるそうだ。そんな経験を経てもなお、大学の人間と関わろうとする黄の姿勢に、安吾は密かな憧れを抱いている。  そんな黄が言うのだから、おそらく彼女らの言葉は地雷と称するにふさわしいほどに、辛辣に響いたのだろう。 「形はどうあれ、拒絶されるのは辛いからな」  瞬きの間、記憶の中の光景が瞼の裏に蘇る。  白色の電灯に照らされた部屋。紙の音。思い出せない大人の顔―― 「安吾ちゃん?」  ……知らずのうちに呼吸を止めていたのか、苦しさから、安吾は思わず大きな溜息をついた。  すると、黄は小さく「ごめん」と零した。安吾が黄を見やると、申し訳なさそうに言葉を続ける。 「俺、なんか思い出させちゃった?」 「いや……言われるほど、そんな顔してたか?」 「うん。不機嫌っていうか不快っていうか……ゴーヤのワタだけ齧ったみたいな顔してた。眉間に皺寄せて」 「……あんた、ゴーヤのワタだけ齧ってる人間を見たことがあるのか」  黄の例え話に呆れながらも、そこまで顔に出していたのかと安吾は顔をしかめた。今日はよほど疲れているのかもしれない。 「――実家のことを思い出していた。少しだけな」 「ああ……そういえば、安吾ちゃんって親と上手くいってないんだっけか」 「別に上手くいってないわけじゃない。平均的な家庭環境からやや外れているだけだ。お互い、関係に納得してるなら無問題だろ」 「無問題って、安吾ちゃんねえ……」  黄は背もたれに体を預けた。  ふと、隣に座る洒落のことを思い出したのか、「ああ。ごめんねー、洒落」と、黄はフォローを入れる。 「どうして?」 「だってこんな話、当事者は盛り上がるけど周りはテンションが下がっちゃうでしょ。ましてや洒落は全然知らないことなんだし」 「盛り上がってた? 今の会話で?」 「っていうより傷の舐め合いかな」  黄は肩をすくめて言った。言われた洒落の方はきょとんとした様子で二人の顔を交互に見ていたが、目を瞬かせているばかりで返答に困っている。  どうやら洒落には会話の意味がよくわからなかったらしい。だからといって話を掘り下げようとするわけではない。  触れてはいけない、触れない方がいいと察しているのか――しばらくすると、洒落はくしゃりと困り眉を作り、「元気出して」と短く告げた。  黄は肩の力を抜いて微笑んだ。  そして、おもむろに洒落の方へ手を伸ばすと、頭をわしわしと撫でだす。 「おお? んんー……なに、すんのー」 「はは、ごめん。なんか撫でたくなっちゃった。嫌だった?」 「嫌じゃないけど……んん、ふふふ」  頭髪を撫でられ、洒落は嬉しそうに目を細めて首を揺らす。もっと撫でてほしいと言いたげに唸りながら黄の方へと体を傾けていった。  撫でられている犬と同様の仕草だ。 「――その辺でやめておけ」  安吾は口で止めに入った。 「おっ、安吾ちゃん嫉妬?」 「そんなわけあるか」  ちらりと通路へと目をやって教える。  じゅううう……と鉄板の上で肉が焼ける音が近付いてくる。料理が運ばれてきたことを知ると、洒落と黄は戯れを止めて、膝の上に手をのせた。きちんとした姿勢で料理を迎える二人の姿に、安吾はひっそりと笑った。 「――そういえば洒落って古書店の店員だって聞いたんだけど、古書店ってどんな本置いてるの?」  ビーフシチューの煮込みハンバーグを切りながら、黄は洒落に話題を振った。 「ん? おー、そうだなあ……文庫本が圧倒的に多いけど、趣味とか実用書なんかも結構置いてる。本探してるのか?」 「実はさあ、安吾ちゃんが興味を持ったっていう『色々な本』が気になってたんだよね。魔法とか魔術とかそういうオカルト本ない? 魔導書でもいいよ」  洒落は不思議そうに首を傾げ、安吾へと視線を移した。  目が合った安吾はしばし思い出すように虚空を見つめ、「あー……」と小さく声を漏らす。そういえば、そのように誤魔化した覚えがあった。だが咄嗟の言い訳は出てこない。  焦る洒落は口ごもりながら答えた。 「ん、まあ……ある。あるには、あるが……」 「あるの!? 本当に!?」 「いや、だが門外不出で――」 「門外不出!? すご、それって本物?」 「えっ!? あ、あ、ええ……どうだろうなあ……?」  安吾にはわかる。おそらく本物だ。だが、世の中には黙っておいた方がいいこともある。  もし、黄に話すとなれば原罪の状況を説明しなければならなくなる。そんなことになれば、黄は喜んで魔女の信奉者となり、古書店の従業員として上がり込み、未来永劫オカルト研究に身を捧げることとなる――かもしれない。未来はどうあれ、面倒に首を突っ込ませることになるのは変わらない。  安吾は質問攻めに遭っている洒落を尻目に、付け合わせのポテトを味わうことを優先した。 「ね、ね、洒落、外に持ち出すのが難しいなら、書店に行って読むのは? それもまずい? そもそも人の目に触れるのが駄目だったりする?」 「んー、んんー、んー? んー……まあ、そうだ、それもちょっと厳しいかもなあ……」 「そっかあ……残念だなあ」  意外にも黄はあっさりと身を引いた。 「……もっとねちっこく食い下がるかと思っていた」  安吾は大根おろしを箸で集めながら言う。 「失礼な。俺だってちゃーんと引き際がわかってんの。それに、こういうのは縁だからね、無理を通すととんでもないしっぺ返しを食らうこともある。特にオカルト関連はね、そういう反撃がなにより怖い」  まるで一度経験したような口振りで大きく頷いてみせる黄。  笑い飛ばせればよかったのだが、安吾には肩をすくめるだけで精一杯だった。  すると、黄は調子に乗って演技がかったように呟いた。 「――何度、そうやってオークションで涙を零したか!」 「今度はなにを競ってたんだ」 「ヴィクトリア朝のウィジャボード。もー、いろんなオタクとの戦いでさ、アンティーク専門の買い付け屋とか、ヴィクトリア朝マニアとか、オカルトグッズコレクターとかが相手だったんだよ。だからはりきって戦争を制したのに、結局アメリカ製のレプリカだったんだよね……こういうのは頑張りすぎないのがいいってわかってたけどー!」  黄は膨れながら、肉の塊を口の中に放り込んだ。 「あんた、その内破産するぞ」  常にオークションやらネットショップやらでオカルトグッズを買い漁っている姿は見かけるが、その資金源は謎だ。少なくとも金に困っている姿は見たことがない。  安吾は溜息をついて洒落へ目を向けた。話題が逸れたことに安心したのか、洒落もそろそろと食事に手を付けだしていた。しばし、洒落の姿を見つめていたが、やがて安吾も目の前の皿に集中しはじめた。

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