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第6話

「また会いたいなあ、黄。いい人だった」  いくつもの浸出油――安吾と洒落が収穫した花弁や葉を蒸留させた精油を、特定の草花や実を漬け込んだもの――を作業台に並べながら洒落が呟いた。  【一九二一】の二階、巨大な蔵戸の部屋で、二人は軟膏作りの準備をしている。  部屋の壁という壁にはこれでもかと薬草が収納するためのスぺ―スが設けられていた。壁には埋め込まれた引き出しがぎっしりと敷き詰められ、天井からはいくつもの野草や花々が吊るされ、ほのかな草の香気が漂ってくるようだった。部屋の中心部には壁のようにそびえる大きな食器棚。その隣に添えるように設置された調理場。食器棚の向こう側のスペースには古びた作業台がある。台上には計量に使うカップや秤が使いやすい場所に出され、近くには数日前に安吾と洒落が収穫してきた草や実が並んでいた。  『薬草の部屋』――と呼ばれる蔵の部屋の一つだという。  蔵の戸にはいくつもの松竹錠がかかっており、どの木札を使うかによって蔵の中の部屋が変わるらしい。流石、魔女の部屋だ。 「……同じことを黄も言っていたな。今度店に遊びに行きたい、とも。あれから店に来たか?」 「いや。この店、今は営業してないからそもそも誰にも見つからないと思う」 「そうだった。魔法がかかっているんだったな」  おかしなもので、洒落と付き合うようになってからというものの、魔法というものに対して頭を抱えることが減ってきた。  瞬間移動やら、変身能力やら、環境に左右されることなく育つ温室テントやら、部屋の中身が丸ごと変わる蔵やらを目の当たりにしているのだ。最早店が立って歩いて移動してもおかしくはない。だが、物理法則を無視した現象に慣れてきているという現状には、少しばかり複雑な思いを抱いている。これでいいのだろうか、と。  安吾は呻くような溜息を落とした。 「安吾、調合するときは手元をちゃんと見てないと」 「……ああ」  洒落に言われて、目の前の作業に意識を戻す。  メモ書きの工程には『スプーンですくって入れて、混ぜる』としか書かれていない。  つまり、いくつもの浸出油を自身の采配で調合しなければならないのだ。 「そういえば、俺は精油を作らなくてもよかったのか? 全部俺が作るものだと思っていたが」 「おう。精油作業はわしの仕事だったから、多分大丈夫だと思う。前にキヨもクロの残していった材料を使ってたことがあるし。大事なのは、なにを作るか、だから」 「なにを作るか、か……」  既に何種類か混ざった状態の浸出油の匂いを、くんと嗅いでみる。花の香りとすっきりとした爽やかななにか、そしてほんの少し刺激臭が混ざっている気がした。この時点ではどんなものが出来上がるのか、作り手である安吾にもわかっていない。  そもそも、自分がなにを作っているのか――明確な想像ができていないのである。料理人がなにを作っているのかわからないまま調理をおこなっているようなものだ。  油の配合も完全に直感で、適当といっても過言ではない。  無茶苦茶だ。  逆に、これで本当に魔法の軟膏が作れたとしたら、肩透かしをくらったような気分になる。特別なことはなにもしていないのだから。 「――ん。全部混ぜたぞ」 「お疲れ様。じゃあ次はこれ」  洒落は黄色がかった小さな粒の山を引き寄せた。 「これはなんだ?」 「蜜蝋。クロが仕入れた特別なやつでキヨも使ってた。これと油をあっためながら混ぜて、他の材料を加えて、冷ましたらできあがり。もう少しだからな、安吾」  ボウルの中に浸出油と蜜蝋を入れて、熱い湯を張った鍋の上に浮かべる。  くるくるとかき回していくと次第に固形の蜜蝋が溶けていった。溶け切ったところでボウルを湯から引き上げる。 「ワームウッドとマジョラムの精油。バニラの粒。ローズマリーの蒸留水……」  洒落から次々に渡されるものを、安吾の判断で適量を適所に投入していく。  不思議なことに、どれも香りが強く、協調性が強いはずなのにボウルの中からはまったく香りがしなかった。材料に使った蜜蝋が特殊なのか、この部屋の道具のせいなのか、それともこれが魔女の作る軟膏の特徴なのか……。安吾は薄気味悪く思いながらも、淡黄の液体をかき混ぜていった。  とあるタイミングで、ぷくりと液体から泡が膨らんだ。もしや、気体が発生する組み合わせだったのだろうかと、思わず手を止めた。 「お、おい、大丈夫なのか……?」 「ああ、ちょっと待ってて」 「……?」  言われた通り、ボウルの中身を見守る。  ぷく、ぷく、ぷく、と次から次へと作り出される泡。透明な珠がいくつも形成されるも、浮かび上がる気配はない。それなりの質量を持っているのか先程まで混ぜていた材料の中に浮いている。珠と珠がぶつかると、くっついて膨張していく。大きくなるにつれて珠の表面は艶々とした光沢をみせ、存在感を増していった。 「おお」  軟膏作りの終盤になって、ようやく魔法の薬らしい不思議な反応が起こった。どうしてこんなことになったのか、理屈も理論もわからない。だが、安吾はじっとボウルの中の変化を見つめていた。  やがてボウルから液体は消え失せ、真珠のような丸い珠がボウルの中で三粒ほど、転がっていた。 「できた。これが儀式で使う軟膏だよ」 「これが……」  粒を摘まみ上げてしげしげと眺める。  それなりの硬さはあるが、力を込めれば潰れてしまいそうな弾力がある。 「なんだか入浴剤みたいだな。こんな、カプセル型のやつを見たことがある。潰して使うんだろう?」 「うん。指で潰して使ってもいいし、あっためて使ってもいい。そこからさらに加工することもあったか。キヨちゃんはよくハンドクリーム代わりにして使ってた」 「魔法のアイテムなのに、そんな日常的に使ってもいいのか……」  安吾が手の中で粒を転がしていると、洒落が後片付けをしながら言った。 「気になるなら、先に使ってみるか? 儀式に使うのはわしと安吾の二つあればいいからな」 「そうだな。一応、試しておこう」  作り方通りに作ったとはいえ、魔女の軟膏が害を成さないとも限らない。作り手として、洒落に使用する前に試しておく必要がある。  指先に力を込めると、音もなく粒は潰れた。柔らかい液体が指先を濡らしていく。手を結んでは開き、指先から手のひら全体に白い液体が広がった。  感触としては、ハンドクリームと変わらない。  匂いを嗅いでみると、爽やかなハーブの香りがした。時折、口の中にまで広がるような不思議な甘みを感じるのはなんの香りだろうか。正体が知りたくて執拗なまでに手のひらの匂いを嗅ぐ。口腔内にまで入り込んでくるのに、驚くほどあっさりと消えてしまう。もっと、もっと、と追い求めているうちに、いつの間にか、鼻から舌に届く甘さを求めて軟膏自体に舌を這わせていた。 「……安吾?」  洒落が慌てたように呼びかけたが、安吾は軟膏を舐めることに夢中になっていた。 (なん、なんだ、これ……)  動悸がする。呼吸が短く切れてしまう。苦しいはずなのに、まったくそんなことを意識させない高揚感――否、これは快感だ。異様に下腹が熱い。 「んっ……」  無意識のうちに、下肢へと手を伸ばす。  疼きと鼓動が連動しているようで、血の流れを痛いほどに感じる。熱くて、息苦しくて、けれどもそれが気持ちいい。自分の手を舐めながら、必死になって股座に触れていた。 「あ……安吾!? 安吾、どうした!?」 「しゃら、く……お、俺、なにして……」  まるで脳内から語彙が溶けていくようだった。  洒落を視界に捉えた瞬間、思考が回らない感覚が加速していった。  体が引いてしまうほど、切なくてもどかしい快感が次々に打ち寄せてくる。  止めてほしいのに止めてほしくない。相反する気持ちが溢れて仕方がない。安吾は縋るような目を洒落に向けた。 「たす、助けて……」 「安吾……」  一瞬、面を食らった洒落だったが、すぐに真剣な顔に変わって安吾の手を取った。  軟膏の付いた手のひらをそっと握って、語りかける。 「わしはどうすればいい? どうしたら、楽になれる?」 「ここ、ここ触って、前みたいに……前みたいに、してくれ……っ」 「……わかった。わしに任せておけ」  手のひらにうっすらとのっている軟膏を、洒落も舌先で舐め取った。途端に洒落の目がぎらつき、愛らしい目元が、ぎっと細くなる。  安吾と同じく洒落の身にも変化が訪れたようだった。 「魔力、いっぱい貰うから」  熱っぽい声に、安吾は待ちきれないとばかりに洒落の首に腕を絡めた。  部屋の温度が急に上がった気がした。  安吾の方から仕掛けたキスに洒落の方が没頭している。息つく間も惜しいと舌を絡めてまた唇を塞ぐ。唾液を飲む度に洒落からは唸り声のようなものが聞こえてくるようだった。  一方の安吾は洒落の体をまさぐっていた。  今や、甘い芳香は体全体から漂っている。洒落の服を乱すと、熱を帯びた洒落の体臭に混ざって香りが安吾に降り注いだ。 「はあ……早く、洒落、早くしろ……もう、耐えられそうにない……」 「わかってる。もうちょっと待って」  焦らされては堪らない。洒落の制止を聞かず、安吾は洒落の股間に手を這わせた。  安吾に負けず劣らず、確かに硬く勃起している。 「早く、しないと……俺の方が先に食べてしまうぞ」 「あっ、ちょ、駄目だっ……って、もう」  こんな浅ましい欲が自分の中にあるとは思わなかった。だが軟膏のせいだと頭の奥底では理解しているのか、羞恥を抑えてより大胆に動いた。  これは軟膏のせいであって、そのために理性などとうに消え失せた。  そう思い込むためにも洒落に早く抱いてもらいたい。  洒落が喋っている最中にも関わらず直に洒落の陰茎を撫でてやる。眉間に渓谷を作って可愛らしい声を漏らす洒落に、安吾は嬉しそうに陰茎の皺をなぞった。 「んっ……わしが、どれだけ我慢していると……」 「しなくていい。するな。いいから、こい」  逆手で握り込んだ陰茎を数回往復してやると、洒落は息を詰めて声を堪えた。そして反撃とばかりに安吾の下腹部に手を伸ばす。  臍の下から指が這い、びくりと腹筋が跳ねる。指は下へ下へと降りていき――先走りで濡れている性器の先端をくすぐった。 「んっ、あっ……」  決定的な刺激を与えられないまま、陰茎を通過し、陰嚢を優しく持ち上げる。  さらにその下の窄まりをノックするようにつつく。流れた先走りと指に付いていた軟膏のおかげであっさりと指が中へ入っていった。 「ゆ、指が、入ってるのか……?」 「うん。簡単に入った。すごい……ここ、前に触ったときより柔らかくなってる。それに、すごく美味しそう……魔力が溢れてる」  美味しそうな魔力の匂いを堪能しているのか、深く息を吸っている。  どうやら安吾には見えないものが洒落には見えているようだ。 「はあ……堪んない。ねえ、本当にいいの、安吾……? わし、好きにしちゃうよ」 「あっ、あ、んっ……いい、いいからっ……ひあっ、そこ、そこばっかり、かりかりする、とっ……!」  前回のやり取りで探られた場所を指を増やして優しく掻かれた。安吾の嬌声があがる度に、尿道口から面白いほど透明な液体が滴った。  自分では止められない生理現象をどうにかしようと、安吾は亀頭を押さえ込んだ。けれども精を吐き出そうとする体の反応は止められない。 「安吾も我慢しないで、出して?」 「あっ、あ、あっ、駄目、だ、出っ……!」  リズミカルに指を動かされ、安吾は涙目になって絶頂を迎えた。  強烈な感覚が体を突き抜け、安吾自身も驚くほどの勢いで精液を放つ。安吾にとっては待ち望んでいた瞬間だった。 「はぁ、う……あ……なん、なんで……まだ……」  果てたはずなのに高ぶりはなくならない。  胎の奥がいつまでも震えている。僅かでも身じろげば体に痺れが走り、新たな快感が生まれた。  傍らで、洒落は放たれた精液を丁寧に掬い取って口に運んでいる。 「ん……やっぱり、いい。安吾の魔力……」  恍惚とした洒落に安吾は息を荒くして縋った。 「まだ……足りない。足りない、ぞ」 「うん。わしも、まだ足りないから安心して」  「むしろこれからが本番だから」と、洒落は安吾をなだめた。後孔から指が引き抜かれ、代わりに洒落の陰茎の先があてがわれる。  指よりも硬く太い、熱の塊。しかし不思議と恐怖はなかった。 「やめてって言っても、もう、無理だから……」 「そんなこと言わない。言わないから、早く」  早く、動け。  唇が言葉を紡ぐより早く、肉竿が中へ分け入ってきた。 「うっ、あ……」  侵入を深める毎に、開いてはいけない場所が大きく開かされていく。  痛みはない。あるのは圧迫感と悦楽、多幸感――それらをさらに奥へと迎え入れようと、安吾は自然と腰を上げた。 「ひ、いっ……んくっ……」  「すご……安吾の中、すごい、いい……きついのに、熱くて、やぁらかい……根元まですぐ、入っちゃった。ほら」  ずっぷりと根元まで嵌め込んだ状態で、小刻みに動かされる。ここまで入っているのだと教えられて、安吾は喜悦の声を漏らした。 「はあっ……あ、ああ……んっ、しゃら、く、もっ……もっと、ちゃんと動け……!」 「……おお。じゃあ、いっぱい気持ちよくなって」  先端で掻き回すように緩く刺激を与えていた洒落だったが、いきなり奥を突き込んだ。  さらに、不意打ちの隙をついて、安吾の体にのっしりと覆い被さる。体重を容赦なくかけ、がつがつと腰を打ち付けはじめた。 「うあっ!? あっく、は……あっ、まぁっ、あ、はや、はやい……っ!」  とにかく、ペースが速い。  気持ちがいいと思っている間に次の刺激の波がくる。まるで溺れているかのように、ひっきりなしに与えられる快感。  息をするだけで精一杯だ。  酸素を求めて開けた口からは、涎と喘ぎが同時に零れた。 「んっ、あっ、あ、あ、あ、やっ、あ、まっ……」 「安吾っ、安吾……気持ちっ、いいっ?」  「ん、んっ」という短い返事に、洒落は感嘆の息をつく。  安吾の耳には洒落の吐息が掠めた。  途端、ぐちゅ、くぷ、といった結合部の卑猥な音がより鮮明に聞こえてくる。まるで頭の中にまで快楽が侵食してくるようだった。 「はあ、あっ、駄目だ、こんな……もっ……イく、イっ、んんん……っ!」  洒落の体の下で、安吾は体を縮込ませて射精した。  だが――洒落はペースを変えることなく、腰を振り続けている。 「あっ……おい、なんで……? も、イったのに……! うっ、んん」 「まだ、わし、イってない……もう、ちょっと……」 「んぷっ、ん、んっ……うぐ、まった、気持ちよく、なる、からぁ……」  激しく揺さぶられる度に、力を失っていた性器に再び芯が通る。ぽたぽたと滴っているのは、汗なのか精液なのか最早わからない。 「ふっ……あっ、出る……っ」  洒落が獣のように小さく唸り、安吾の中で精を弾けさせた。  それでも動きは止まらず、抽挿はより強いものとなる。 「はっ、ぐ、はあ、ひっ……イっ、うぅ!」  洒落が射精した瞬間、安吾の視界が白くなる。  達しているのかいないのか、射精しているのかいないのか、自分のことなのにまったくわからない。  ただ、陰茎からは体液がだらりと力なく溢れていた。  衝動が落ち着いて我に返ったときには明け方と呼んだ方がいいような時間帯だった。  ぐったりと消耗していた安吾は、洒落に介助されながらシャワーを浴び、服を借りて着替え、リビングの中で一番大きなクッションに体を預けてようやく落ち着いた。 「飲める?」  洒落が冷たいハーブティーを出してくれる。  喉が渇いて仕方がなかった安吾は小さく頷いて一気に飲み干した。  空いたグラスに洒落がハーブティーを注ぎ、また飲み干す。すぐに注ぎ直す。  また、飲み干す――  三度やりとりして、ようやく満足した安吾は億劫そうに口を開いた。 「最悪だ……」 「最悪?」  首を傾げる洒落に、安吾は眉を歪ませた。どこか他人事というか――きょとんとしている様子に苛立ちすら覚えてしまう。 「それ以外になにかあるか? こんなの――とんでもない大事故だ。いや、その前のキスやら自慰だって事故みたいなものだったが……あんただって、こんなこと本意じゃないだろう」  最悪。とんでもない大事故。本意じゃない。   他に言いようがない。あの行為に恋愛感情はなかった――はずだ。一度だって、互いに胸の内を言葉にしていない。ある程度の気遣いと歪な欲望を貪るだけのまぐわいだった。  あれは、薬の影響であって、洒落の率直な気持ちの上でのことではない。  ……わかっていたはずだが、安吾は微かに心を痛ませた。 「どうしてこんなことに……」  原因ははっきりしている。あの軟膏――流石は魔女の楽品といった効力だった。あんな獣じみた情交はもう二度と体験することはないだろう。思い出すだけで羞恥と後悔で指先が冷たくなる。それなのに、胎の奥では期待するような疼きが湧き上がってくるのだ。 「わし、わしは……」  洒落がぽつりと呟いた。 「……事故だと思ってない。あれはわしの本意。そう思ってる」 「は?」 「わし、安吾が好きだ」 「……!」  安吾は手の中のグラスを落としかけた。 (なにを言ってるんだ、こいつは……好き? 洒落が? 俺を?)  安吾が目を瞬かせていると、洒落は照れ笑いを浮かべながら続ける。 「だって、安吾じゃなかったらこんなことできなかったし、すごく気持ちよかった。こういうのって好き同士でないと気持ちよくならないんだろう?」 「は……?」  安吾は面食らって言葉を失った。  前々から思っていたが、洒落は要所要所で重要な情報が決定的に欠けていることがある。細かい知識があっても俗語や通称に弱いというか――赤ちゃんはコウノトリが運んでくる、という説明をなんの疑いもなく受け入れているといえばわかりやすいだろうか。 「あんた……どこの知識だ、それは……」 「本で読んだ」 「自分の気持ちをそんなことで断定するな。もっと色々あるだろう」 「あるのか?」 「……」  言ったものの、上手い例えが見つからない。安吾はばつが悪そうに首を横に振った。 「……とにかく、あれは軟膏のせいで起こった事故だ。俺はできるだけ忘れるように努めるし、あんたも気にするな。だが二度目はない」  洒落は不満そうに眉を曲げたが、安吾が鋭い視線を向けると押し黙った。  ややあって、安吾の方から口を開く。 「だが――本当にあれが魔女の軟膏なのか?」 「あー……そのことなんだけど」  自信なさげに続ける洒落。 「あれ、違うものを作ったのかもしれない」 「……は?」  本日二度目の驚愕だったが、同時にやっぱりなと納得もした。あんな副作用が付いているものを日常的に使っていたとは思えない。  あれが別のものだとすると一応の納得はある。 「つまり、作り方が間違っていたということか」 「いや、そんなことない。作り方も材料も間違っていなかった」 「だが実際にできたのはとんでもない薬だっただろう」 「でも……いつもはこれでできあがってるはずで……どうして……」  洒落は戸惑いがちに言葉を濁した。  元より洒落が嘘をついているなどと安吾は微塵も思っていない。  他に原因が考えられるとすれば―― 「あんたの知らない工程が入っていたか。もしくは秘密の材料が使われていたか。あるいは……」  安吾は複雑な表情で呟く。 「俺の方に問題があるか」 「そんな……そんなわけない。安吾はちゃんと魔女だ。さっきだって、いっぱい魔力をくれたんだから。わしをいっぱい気持ちよくしてくれた……」  うっとりとした口調で語る洒落に、安吾は低い声で「よせ」と突っ込みをいれた。  体の奥がずくりと重くなる感覚に警戒して洒落からわずかに距離をとる。先程の行為を思い出して再び我を忘れてしまうのはまずい。 「そんなことを言っても失敗したのは紛れもない事実だ。他に考えられない。俺に魔力があったとしても、使えていないってことはあり得るだろう?」 「……そうかなあ」  ううん……と唸りながら考え込む洒落の横顔を、安吾はぼんやりと見つめた。  今は眼鏡を外している。思えば行為の最中も眼鏡は外していたようだった。視力矯正の意味合いはないのかもしれない。初めて見かけたときと同じく、難しいことを思案しているときの彼は目を惹く顔立ちをしていた。悪くはない。  つまり、割と好みではある。  そのせいなのか、抱かれた後でも洒落に対する嫌悪はなかった。  むしろ、心持ちはどこか晴れやかで心地いい。  『好きだ』――ふと、洒落に言われた言葉が耳の奥で響く。  自分も好きなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。少なくとも損得勘定はさておいて、自然と力になってやろうと思う程度には好意は抱いているのは確かだ。  けれども―― 「安吾? 体、辛い?」 「……いや」  顔を覗き込まれて我に返る。  安吾は小さく首を振って立ち上がった。 「今日のところは帰る。これからのことは明日以降、また考えよう」 「これからのこと?」 「失敗した以上、あの軟膏を使う訳にはいかないだろう。作り直すにせよ、他の方法を探すにせよ、一度仕切り直した方がいい」  今はまともなことを考えられるような状況ではない。落ち着いてこそいるが確実に疲労は溜まっている。これ以上情報を入れても聞き流してしまうのが関の山だ。  それに、またいつ体の熱がぶり返してくるかわからない。発情した獣になるのは御免だった。 「……わかった」  洒落も頷くと、わかっているのかいないのか、はにかんで笑った。

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