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第3話※
「──……ッ!」
アヤメはシーツを跳ね除け、慌てて飛び起きた。周囲を見渡し、大きな窓に目をやる。夜明けにはまだ遠く、真っ暗な室内でもここが自分の寝室だとわかる。何の変哲もない、いつもの部屋だ。華美だが上品な調度品、純白の清潔なリネン、体に馴染んだシルクの寝巻。アヤメは安堵の溜息を吐き、額の汗をぬぐった。全身にびっしょりと汗をかいている。
(大丈夫、大丈夫。ここは僕の場所だから)
心の中で何度もそう呟きながら、自分を抱きしめるようにうずくまった。
この部屋も、この天蓋付きのベッドも、あの人が与えてくれたのだ。すぐそばの扉を開ければ、主寝室──あの人の寝室へ繋がっている。
アヤメはのろのろとベッドから抜け出し、ドレッサーに座った。あの人が好きだと言ってくれた、くすんだ黒髪を梳き、左耳にはあの細長い金のピアスをつけた。ピアスは他にもあるが、あの人のお気に入りはこれなのだ。お前の髪によく似合うと言って満足げに微笑んでくれたことを、アヤメは生涯忘れない。初めて契りを交わした夜に渡された、金のピアス──。本当は眠るときだってお風呂のときだって肌身離さずつけていたいけれど、あの人が「お前に傷がつく」と言ってさせてくれない。
このワンピースタイプの寝巻だってそうだ。最初、アランはこれに苦言を呈した。くるぶしまで長く伸びた裾を繁々と眺め、下履きがないことがわかると、真面目な顔で「腹が冷えるのではないか」と言った。アヤメはそのときのことを思い出し、鏡に向かって薄く微笑んだ。この服の方が、事に及ぶには手間取らせない。アヤメはその簡便さを優先した。それに、この方が自分にはお似合いだと思った。アランの手を煩わせたくないのも本心だが、一度体に火が付けば我慢ができないのはアヤメの方なのだ。
アヤメ、とあの人の呼ぶ声が聞こえた気がした。あの人に呼ばれるこの名前が好きだ。初めてあの人から与えられたのは、部屋でもベッドでも、ピアスでもない。「アヤメ」というこの名前だから。
アヤメは主人が恋しくなって、主寝室へ続く扉を開けた。自由に出入りが許されるのは、愛妾のアヤメと側近のミン、それに執事 のロイドだけだ。アランは掃除でさえ使用人たちに触らせるのを嫌がるから、見兼ねてミンが掃除や身の回りの世話をしていた。それが今ではアヤメの役割になった。
「アランさま……」
あの人は、まだ帰ってこない。そのことに、ひどく胸騒ぎがした。
きっと昔の夢を見たからだ。アヤメは自分にそう言い聞かせた。今までだって幾度となく子供の頃の夢を見てきた。なんともなかったじゃないか。そう自分に言い聞かせ、静まり返った寝室に鎮座する大きなベッドに体を横たえた。冷たいシーツの感触が、今はかなしい。
アヤメは枕に頬を埋めた。こうやってアヤメが寝室に忍び込んで夜這いを仕掛けても、アランは叱らないし、嫌がらない。些末なことで怒鳴ることも、躾と称して折檻することもない。
じゅうぶん甘やかされてきたとアヤメは思う。初めこそ何の下心も打算もない愛情を恐ろしいと感じたが、今はこの上なく幸福だ。
(早く、あの人に触れて欲しい)
アヤメは彼の手つきを思い出しながら、自分の体を撫ぜた。
(あの方は、僕を撫でるのがお好きでいらっしゃる)
昼間、二人っきりのときは頭を撫で、抱き上げ、膝に乗せ、頬を寄せる。愛おしさに堪らず唇を寄せ、やさしく抱き締めてくれる。
夜は体の線をなぞるように指先を這わせ、アヤメが彼のために磨き上げた白く滑らかな肌を、手で、唇で、舌で、余すことなく堪能する。
幾度となく重ねた情事を思い出しながら、アヤメはうっとりと目を細めた。腹の奥が疼き、熱を持った芯は頭をもたげ、主張を始める。
「ん……」
アヤメはもう、自分で慰めるだけでは満足できない。それよりもアランの雄の象徴で貫かれ、何もかも満たされるものでなければ、絶頂にありつけない。わかっていても、肉体は浅ましく快楽を求めた。
「あ……っ」
先走りをねっとり撫で、形を確かめるようになぞる。ひくつく雌穴のふちを指の腹で撫ぜると、簡単に吸い付いた。
(卑しい体……)
アヤメは自嘲すると、ベッドサイドにある香油を手に取った。これがなければ、アランはアヤメを抱こうとしない。傷つけたくないのだと言う。アヤメが抱いて欲しい一心で自ら仕込んでおくと、そんなことはしなくていいと言う。あの人は、この傷物の体を愛してくださる。
(ごめんなさい……)
一人寝の寂しさを紛らわせようと、香油をたっぷりまぶした指先を再び雌穴にのばした。
「あ、」
つぷ、と先端を埋める。ゆっくりと押し入り、中の感触を確かめるように指を動かす。
自慰はアヤメにとって必要なことだ。自分の中の具合を確かめ、あの人に悦んでもらうための探求は欠かせない。そう言い訳して、あの人がもたらす快楽を思い出し、夢中で雌穴を弄繰り回した。
「あっ、あ……、はぁ、アッ、んん……ッ」
じゅぷじゅぷと卑猥な水音が激しさを増す。アヤメは自らの陰茎を撫でながら、中のとびきりいい部分を探るように、じんわりと熱を持ったそこばかりを慰めた。指の腹で何度も擦り上げ、その度に肉壁は狭まるけれど、決定打にはならない。腰をくねらせ、体は昇り詰めようとするが、絶頂を捉えきれずに息を詰まらせるだけだった。
「やぁ……ッ、イキたい、イキたいぃ……っ」
アヤメは半泣きになり、ぐずぐずになった雄膣を二本の指で叱りつけるように出し入れを繰り返した。
「アランさまぁ……っ、あッ、あ、イけないよぉ……!」
「──お前は性急すぎる。もう少しゆっくり……。それから、体の力を抜きなさい」
「はい……、ごめ、なさ……っ、……え──?」
驚いて目を見開くと、バスローブ姿のアランは髪を拭きながら、アヤメの痴態を眺めていた。御仁はくつくつと愉快そうに笑い、ベッドの縁に腰かけ、アヤメの顎先に手を伸ばす。
「一人遊びも少しは上達したのかと思ったが」
「アランさま!」
おかえりなさい、とアヤメはその手に頬を摺り寄せた。りん、と金のピアスが妖しく光った。
「お帰りはもっと遅いものかと……。地下競売 はいかがでしたか?」
「今回は空振りだ。抜け出してきた。だが次回は『石』の噂がある」
「それはよろしゅうございました」
地下競売 は非合法である。ゆえに、事前に何が出品されるかわからない。そもそも地下競売 はアングラの世界に業界の垣根を超えた富裕層を集め、社交場を提供することが目的であって、競売自体はおまけのようなものだ。何が出るのか噂くらいはあるが、所詮は噂。その噂が、次は宝飾品だと言う。
アランは王族品コレクターだが、中でも宝飾品に執着していた。
──あなたはすでに秘宝をお持ちなのでしょう。
──一度お目にかかりたいものですな。
──独り占めなさるなんて、羨ましいですわ。一体どんな宝石なのかしら。
仮装用のちゃちな仮面をつけ、着飾った男女が口々に述べる。アランは肯定も否定もしない。彼らの言葉には「これ以上欲しがってどうする」という非難や嫉妬が混じっている。
「……つまらん話はいい。続きをしようか、アヤメ」
「はい」
アランが手を伸ばすと、アヤメは顔を綻ばせ、アランの膝に乗った。慈しむようなやさしい口づけが何度も交わされるうち、それは深く、激しくなっていった。ぬるりと舌が差し込まれ、口腔を蹂躙していく。背筋からぞくぞくと何かが走り、アヤメの胎奥が甘く疼く。早く、この雄が欲しくて堪らない。
唇が離れたとき、アヤメは寂しなって、アランのアイスブルーの瞳をじっとりと見上げた。
アランの手が腰をなぞり、シルクの下から柔らかい尻肉を揉みしだく。
「あん……っ、」
鼻から抜けたような、控えめな甘ったるい声が漏れた。アランはアヤメのシルクの寝巻きを肩から落とすように脱がせ、白い肌にきつく吸い付いた。頸 の下の火傷痕をなぞると、アヤメの体は小さく跳ねる。いくつのときだったか、あの忌々しい刺青を、アヤメは自ら焼いた。アランはそれを止められなかった。
「アランさま……。僕、もう準備はできていますから……」
「そう急かすな」
「あッ」
ぴんと立った胸の飾りに吸い付きながら、アランの指が雌穴に滑り込む。中は熱くうねり、すっかり柔らかくなっていた。香油を足す必要もなさそうだ。それでもアランは中を傷つけまいと、努めてやさしく愛撫を続ける。
「あっ、ぁ、あぁ……ッ」
「ここだろう?」
「あぁッ!」
ずっぽりとはめられた指で陰茎の裏側を擦られたとき、アヤメの薄い体が仰け反った。はしたなく足を広げ、より快感を得ようと、指の動きに合わせて腰が揺れる。甘い嬌声と猥雑な水音が部屋を満たしていった。
「あ、ぁ……、だめ、だめぇ……っ」
待ち望んだ絶頂が、ようやく訪れる。アヤメは嫌々と小さく首を振るが、頬は自然と緩み、愛しい雄に与えられる悦楽に酔いしれる。揺れる瞳は涙の薄膜を張り、眦から溢れるそれを男がべろりと舐め上げた。
「アランさま、ぁ……っ!」
雄膣が男の指を食い締める。貪欲な肉壺は程よくぬかるみ、気付けば男の指を三本も頬張っていた。
「ふぁ、アッ、あぁッ……!」
「アヤメ、」
欲の混じる掠れた声が耳元でしたかと思うと、アヤメの頭の中で何かが弾け、アヤメは全身を震わせながら達した。それでも雄膣はまだ抜いて欲しくないと健気に指にしがみつく。アヤメの肉体は小さな痙攣を繰り返し、薄っすら上気した白い肌はなんとも淫靡である。
アヤメの息が整う間、男はアヤメの体を丁寧に愛撫した。唇で、舌で、指先で、火照る肌を堪能し、一糸纏わぬ姿にさせていく。
「アランさま……」
「挿れてもいいか?」
「もちろんです。どちらがよろしいですか?」
アヤメは赤い舌をべ、と出して、誘うように微笑んだ。見送りの際にしゃぶりそこねた口が寂しかった。
男は苦笑してアヤメを組み敷く。
「早くお前の中に入りたい」
「はい、どうぞ……」
アヤメは恥ずかしがりながらも大胆に自ら尻肉を割り開き、男に愛された雌穴を見せつけた。
「アヤメのからだ……、アランさまのお好きになさってください」
その言葉に、アランは寂しげに微笑んだ。アヤメの指先に自分のそれを絡め、しっかりと繋ぎ合わせる。怒張した雄を宛がうと、もどかしいほどゆっくり、そして深く沈めていった。
「ふ、ぅン……ッ」
その質量にアヤメが鳴く。男はアヤメの様子を伺いながら、浅く抽象を繰り返した。その動きに合わせ、アヤメの甘やかな声が漏れる。
「あっ、あ……、あんっ……」
「気持ちいいか?」
こんなにどろどろに溶かされていれば一目瞭然だろう。アヤメは何度も首を縦に振り、整わぬ息の合間に喘いだ。
不意に男がぴたりと動きを止める。
「自分のいいように動いてみなさい」
繋がったままアヤメを抱き起こし、上に乗せた。いわゆる騎乗位だ。
アヤメは躊躇いがちにアランの顔を見た。早く、と男がひと突きすると白い喉を反らせて喘ぐ。観念しておそるおそる腰を動かしていった。これが初めてではないのに、アヤメは羞恥と不安でいっぱいだ。まだ騎乗位で男を悦ばせる方法がわからず、結局は快楽に負けて男の勃起で自慰行為をするしかない。彼に気持ちよくなってもらいたいのに、肉体はより強い、確かな快楽を求め、淫らに動いてしまう。
「あぅ、ァ……、あっ、あぁ……」
男はアヤメの髪を撫でた。透き通った黒髪を男は賛美するが、アヤメはくすんだ色だと苦笑した。その黒髪に合わせ、金のピアスが揺れる。それを指先で辿り、ぽっちりと赤く熟れた乳首に触れ、摘まみ上げた。アヤメの体はびくりと大げさに跳ねる。
「うあンッ」
「よく似合う」
「ぁ、アランさま……、も、もぉ、イッちゃ、ぃ……、うぅ……」
アヤメは短い呼吸を繰り返しながら夢中になって腰を打ち付けた。限界が近いのが男にもわかるのだろう。男はアヤメのなだらかにくびれた腰を掴み「まだだ」と命じた。
「いいように動けとは言ったが、達していいとは言っていない」
「あっ、ぁ……、申し訳、ありませ……」
喘ぎながら詫びるが、アヤメの動きは止まらない。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返し泣いて、下から男に突き上げられると、呆気なく吐精した。
「あぁああッ!」
雄膣を震わせ、白い粘液を出し切る。甘い吐息でぼんやりと空 を見つめた。すっかり弛緩した体が男の逞しい肉体に覆いかぶさった。
男の大きな手がアヤメを撫でた。頭のてっぺんから後頭部、頸 、その下の火傷痕。指先は背骨を伝うように尾てい骨へ、そして柔らかくもっちりとした尻を掴んだかと思うと、結合部のふちをなぞった。アヤメは体を震わせ、小さく喘ぐことしかできない。
「んぁ、ア、アランさま……」
男はアヤメを支えながら身を起こし、再び組み敷いた。男根を一気に奥までねじ込むと、アヤメは歓喜に震えながら泣く。
「ひぃン……、っ、ふか、いぃ……!」
「アヤメ、アヤメ……!」
愛妾の名前を呼びながら、男はアヤメの体を貪った。出し入れの度に深度は増し、先端は肉壺の行き止まりを小突き、アヤメは半狂乱になって喘ぐ。
「あぐ、う、ぅ……っ、はぁ……はぁ……ァ、ア、あぁンッ!」
アヤメは何度もいく、いく、と呟いて、本当に達しているのだろう。中はうねり、痙攣し、搾り取ろうと奥が吸い付いてくる。一向に引かない快楽の波が恐ろしくなって、アヤメは男に縋った。
「も、や、イッてる、イッってるのぉ……!」
「出すぞ……っ」
「出して、出ひてぇ……、アヤメのなかに、ぜんぶ出してえ……っ!」
どくん、と中の逸物が脈打ったかと思うと、熱い飛沫がじんわりと染み渡っていく。
「あ、あ……」
アヤメは幸福に目を細めた。臍の下をいとおしそうに撫で、へらりと笑う。
「きてる……、お精子、いっぱい……」
「っ、……もう少し、このままで構わないか」
「ん……、アヤメも……このままがいいです……」
アヤメは男の首元に縋り、甘えるように頬を摺り寄せた。子供の頃から変わらないアヤメの愛情表現だ。
「アランさま、だいすき……」
「愛してる、私のアヤメ」
二人は強く抱き締め合い、何度目かわからない口づけを交わした。
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