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第15話※
アランとアダムの逢瀬は、ホテルの一室で行われた。
初めて最上階のペントハウスを訪れたとき、アダムはその煌びやかな内装に圧倒された。まるで王宮のようだ。彼とは住む世界が違うのだという現実を突き付けられた気がして、密かに落胆した。
金のピアスを贈られたのは、三度目に抱かれたときのことだった。忌々しい悪趣味なピアスはアダムにとって呪いに等しい。見事な金細工が施され、手のひらにこぢんまりと収まる小さな宝石箱に入れられたそれを見た途端、アダムは胸が張り裂けそうになった。この人は、やっぱり自分を愛していない。そう確信した。
アランは「穴が開いていたから」とアダムの薄い耳たぶを愛おしそうに撫でる。だから何だと言うのだ。アダムは悲しみと怒りを抑え、冷え切った指先でそれを手に取った。
「ありがとうございます。大事にしますね」
懸命に作り笑顔を向けたのは、彼の愛を失いたくないからだ。アダムはせめてもの抵抗に、彼の前では決してピアスを付けなかった。彼はそれを咎めなかったし、アダムのするがままに任せた。彼からすれば渡すことができただけでも十分なのに、受け取って大事にするとまで言ってくれたのだから、もう何も望むことはないのだろう。アダムがピアスを所持しているというだけで、アランの心は満たされた。
アダムはアランとの肉欲に溺れていった。
彼に抱かれている間は幸福と恐怖が混在し、背徳に酔った。彼との関係に違和感や既視感といったものが付き纏うようになったのは、いつからだろう。その正体を掴もうとすると、強烈な快楽に引きずり込まれる。思えば最初から──初めて会ったときから、そうだったのかもしれない。初めてあの瞳を見たとき、長く波打つ髪を見たとき、恋は始まっていた。
初めて体を開かれたとき、アダムの肉体は驚くほど彼によく馴染んだ。それまでアダムは他人と肌を合わせることなどよくわからないし、ましてや男同士の性交がどういうものかわからなかった。苦痛を伴うものなのだろうかと身構えていたが、戸惑いと羞恥こそあったものの、あっという間に甘く痺れる快楽にのめり込んでいった。
アランは初めてだと言うアダムをやさしく扱ってくれた。労働で荒れた手を愛おしそうに撫で、唇を落とす。身体中どこでも唇や舌、指先でそっと愛撫し、極上の快楽を与えてくれた。
「ん……っ、やだ、後ろは、見ないで……」
「なぜ?」
アダムがうなじの火傷痕を隠そうと手で覆うと、指先に口づけられる。何度も、何度も。
中途半端に脱がされたシャツが肌から滑り落ちた。
「や……」
「見せてくれ」
甘く低い声で囁かれると、はしたなく疼いてしまう。アランの声にはアダムを従わせる力があった。指先から力が抜け、徐々に傷跡を露わにする。最後はアランの方から手首を押さえつけ、剥き出しになった火傷痕を舐め、食み、噛むように口づけた。
「ひ、ぁ……、ぁ、や、やだぁ……」
「ああ、美しい……」
「ぁ、アラン、様……」
まろい尻に熱くたぎった剛直が擦りつけられ、アダムは期待に濡れた。雌穴に宛がわれると無意識に息を詰めてしまうので、アランが安心させるようにやさしくくちづける。二人は心ゆくまま体を重ねた。
肉欲に溺れたのは、何もアダムだけではない。アランもまたアヤメとは異なる性交に夢中になった。アダムもアランが仕込んだ肉体であることに変わりはないが、アヤメにはどこか拙い商売女のような振る舞いがあった。よく尽くし、よく応え、自分よりもアランの快楽を優先しようとした。
アダムの方は素直に欲求を口にした。して欲しいところ、好きなところを恥じらいながら言葉にし、快楽を拾っていく。自分の欲望に正直で淫靡な姿は、アヤメとは違った趣がある。アヤメの献身とは異なる楽しさ、満足感、支配欲。同じ肉体を抱いていても、こうも違うものなのかと感心した。
戸惑い、恥じらい、快楽を追うアダムの体を、アランはやさしく愛撫した。素肌を撫で、唇を落とし、何度も求めた。「アヤメ」と呼んでしまいそうになるのを、奥歯で噛み殺しながら。
アランは週に一度、必ずシノミディを訪れた。多ければ週二、三度通った。遅い時間にバーを利用するだけのこともある。アランが来るときは必ずアダムがつけられ、食事を運び、酒を注ぎ、ほんの少し会話をする。アダムは彼が来たときは初恋のように胸がどきどきして嬉しかったし、来ないときは寂しく、悲しかった。これが恋なのかしらと思うたび、分不相応だと思った。彼と自分ではあまりに違いすぎる。
ティムやナタリアは冗談めかしてからかっていたが、アダムが本気なのだとわかると、彼が泣けば慰め、落ち込めば励ました。そのおかげでアダムは彼への愛を何度でも再認識できたが、そのことをたまらなく恐ろしいとも感じた。
アダムも彼の愛には気付いていた。でも彼が愛しているのは、自分ではない誰かなのだ。自分の体を通して見る、別の誰か。
彼が自分を見る瞳、時折見せる寂しそうな微笑、低く甘い声、重たい沈黙。
アダムは不安がると、無意識に首の後ろを撫でたり、左の耳たぶを撫でたりした。なぜ醜い火傷痕があるのか、なぜ左耳だけに穴が開いているのか、不思議で仕方ない。火傷痕や耳たぶをアランに舐められ、甘噛みされると、足先からぞくぞくと甘い痺れが駆け上がり、頭がくらくらした。心にぽっかり穴が開いたような気分だ。その寂しさを埋めるように、もっと、もっとと彼を求めた。
「アランさま……、もっと……もっときてぇ……っ!」
「いいのか? 帰してやれなくなる」
「いい、から……、きて、おねがい……」
「アダム……」
「キスして……」
アダムがねだると、アランはすぐに応えた。アダムの望むものはすべて与えられた。貪るようなくちづけも、最奥を開かれることも、惜しみなく中に吐精されることも。
「あぁ……ッ!」
最奥を小突くと、アダムは全身を震わせて達した。小さく萎んだ陰茎からは何も出なかった。アランは突き上げることをやめず、幾度も雄膣を蹂躙し、アダムの体に刻み込むように打ちつけた。アダムは白い喉を反らせ、引き攣った甘い声を漏らしながら、終わらない快楽に歓喜の涙を零した。
「あ……っ、いく、ぅ……、また、ぁ」
シーツを握り締め、空を蹴った。汗ばんだ肌をくっつけ合うことがこんなに心地よいだなんて、懐かしいだなんて。
(どうして……)
思い出せそうで、思い出せない。考えようとすると、すぐに快楽に飲まれる。酸素が足りなくて、頭がぼうっとして、体は熱を帯び、アランの限界も近いのだということは、中の感覚でよくわかる。
アダムはめくれあがるほど激しく挿入を繰り返されるのが好きだ。吐きそうなほど内臓を突かれ、強烈な快楽に視界が明滅し、言葉すら発することができなくなるほどに、愛され、愛したかった。全てを忘れ、けだもののように交わり、世界にたったふたりだけの存在でありたかった。
「アヤメ……」
意識を手放す間際、またあの名前で呼ばれた。
(アヤメって……、だれ……?)
考える暇もなく、アダムは昏い深淵へと落ちていった。
*
──僕は、誰なんだろう?
アランとの情事が増えるにつれ、アダムは頭痛に悩まされるようになった。寝付きも悪く、悪夢に魘される。誰かが自分の首を絞めるのだ。必死に抵抗するが、黒い影の手は吸い付いたように首から離れない。
──返せ!
影は激昂する。アダムは苦しみ踠きながら、これがあの「アヤメ」なのだと悟った。
(渡すものか……! アラン様は僕のものだ)
アダムは影の腕を掴み、負けじと押し返した。
──影のくせに!
そう叫ぶ影の声は、アダム自身だった。黒いそれは徐々に輪郭を象っていき、アダムと同じ顔に変化していく。影が、いや、自分自身が、凄まじい形相で「返せ!」と頸部に指をめり込ませる。
ばき、と首の骨が折れる音がした。同時にアダムははっと目を見開いた。煌びやかな天井が視界に飛び込んでくる。いつものホテルの部屋だ。大きく息を吸い込み、咳き込む。裸のままびっしょりと汗をかいていて、肌にへばりつくシーツの感触が気持ちが悪かった。大きく呼吸を整えながら、ついさっきまでの甘く激しい情事を思い出そうとした。精液が出なくなっても、勃起できなくなっても抱かれ続けて、それから──。
「アダム、大丈夫か?」
「あ……、アラン様……」
ひどく嗄れた声だった。どうやら自分で自分の首を絞めていたらしい。夢の中では絞められる手を外そうとしていたのに、現実では自分の首を絞めていたなんて。
アランはアダムの背中を撫で、水差しの水を少しずつ飲ませた。
「悪い夢でも見たか?」
彼の問い掛けには、懐かしいような既視感があった。アダムはぎこちなく頷き、鈍く痛む首を不安げに摩った。アランの手が頬に伸び、やさしく微笑み掛けてくれる。アダムは堪らず抱き着いた。この不安も痛みも、彼がいれば消え去る。
アランに強く抱き締め返されながら、窓硝子に映る自分を怨めしげに睨めつけた。夜明けが近い。一夜の逢瀬に幕を下ろす眩い朝陽が憎らしくて堪らない。
(誰にも奪われたくない……)
ぐず、と鼻を鳴らし、アダムはほとんどしがみつくように抱き着いた。冷えた背中をやさしく撫でるぬくもりに安堵し、ゆっくりと瞼を閉じる。長い睫毛の先から涙の雫が落ちた。大丈夫だと言葉にされ、逞しい腕に抱かれることが、どれだけ幸福なことか。
対するアランは、アヤメを思い出していた。愛おしさが募り、彼の丸い後頭部に手をやって閉じ込めるように抱き締める。子供の頃、何度こうしただろう。アヤメは覚えているだろうか。
大きくなってもアヤメはよく拗ねた。不満も我儘も言わない。なまじ聞き分けがいいだけに、拗ねることがひとつの意思表示だった。
(もっと、話を聞いてやるべきだった)
唇が無意識に「アヤメ」と呼ぼうとするのをぐっと堪え、抱き締める力を強めた。
「アラン様……、苦し……」
「おっと、済まない」
慌てて体を離すと、アダムは涙の痕も隠さず微笑んだ。アランの手を取り、頬に触れさせる。
(アヤメ……)
鼓膜にまで響く心臓の音。それをかき消そうと、アランは乱暴に口付けた。
「ふ、ぅン……ッ」
唇を食み、舐めてやれば、アダムの赤い唇が薄く開く。舌を挿し込み、ねっとりと絡めると、アダムも夢中になって応えた。
「ん……、ぁ……」
乱れる呼吸の中、甘い声が漏れる。唇を離せば追いかけて来る。アランは腰を引き寄せ、深く深く口付けていった。唇は下へと降り、昨夜の生々しい情事の痕を追って首筋、鎖骨と舌を這わせていく。
「アラン様……」
アダムはアランの首元に腕を回し、再びベッドに体を沈めた。
「……いいか?」
「ふふ。僕が嫌だって言うと思います? こんなにあなたが欲しいのに」
甘えるように彼の名前を呼び、長い髪に触れた。指で掬い、一束を彼の耳にかける。
薄氷の瞳が揺らいだ。アランは髪に触れられ、アヤメに髪を結ってもらったことを思い出した。何か言いたげに口を開いたが、くちづけることで押し込めた。繋いだ手に力を込め、やさしくする、と言った。アダムは首を振った。何もかも忘れたいと言って。
「ひどくして」
「それは……、善処しよう」
彼らは心に空いた何かを埋めるように貪り合った。アダムの雌穴はまだ柔らかく、すぐにでも挿入したって構わないのに、アランは丁寧に指で溶かしていく。胸に唇を落とし、つんと尖った乳首を食みながら、雄膣を弄った。
「ふぁ……、ぁ……」
アダムの控えめな甘い声が耳に擽ったい。アランは雌穴を執拗に嬲りはするが、前には触れなかった。初めはアダムの方がさみしくなって自分で弄ったり、触ってと懇願して愛撫してもらっていたが、今では前の刺激だけでは到底足りない。アダムの身体はすっかりアランの器になってしまった。
「あっ、ぁ……、も、いい、からぁ……っ」
白い肌が紅潮していく。アダムは何度も首を振り、喘ぎ、悶え、ぐずったように言う。
「もぉ、いれてぇ……!」
「だめだ」
「や……ッ、なんでぇ、あッ!」
真っ赤になった耳の左をぺろりと舐め上げられる。熱い吐息にアダムの身体は大げさに跳ねた。
「ひぅッ!」
指が何本入っているのかわらからない。ぐちゅぐちゅとかき混ぜられ、アダムの腰も指の動きに合わせて揺れる。
「あっ、ぁ……、いい、きもち、ぃ……」
アダムは懸命に快楽を拾った。ぼんやりと空を見上げ、頭の中は絶頂することしか考えられなくなっていく。
「いく…ッ、いく、いくぅ……、ああ……ッ」
待ち望んだ瞬間は訪れなかった。
絶頂の手前でずるりと中のものを引き抜かれ、アダムは「なんでぇ……?」と結合部を見ようとした。びたん、と赤黒く怒張した雄が下腹に乗る。小さく震える生白い体にそぐわぬ凶悪なそれを、アダムは期待を込め、自分のものと一緒に両手でやさしく包み込んだ。
「アラン様の……、かっこいい……」
うっとりと腰をくねらせる。同じ男性器なのに自分のものとは全く異なるそれに、雄としての格の違いをまざまざと見せつけられているようで、アダムはますます興奮した。
(アラン様の、すごい……。硬くて、大きくて……。早く、早く欲しい……)
ねだるように見上げると、アランと目が合った。肉欲にぎらついてもなお、気品すら感じさせる佇まいだ。長い髪をかき上げ、ふう、と息を吐いた。
「挿れてもいいか?」
アダムは何度も頷いた。濡れそぼった雌穴に熱い亀頭を押し付けられ、小さく喘ぐ。ゆっくりと埋め込まれたかと思えば、そっと出ていく。切なくて、また鳴く。
「あぅン……ッ、あ、ぁ……やだぁ、いじわる、しないで……っ」
アダムの手がアランの太い二の腕に縋る。細腰を掴まれ、反射的に期待と覚悟に息を詰めた瞬間、熱り立った逸物が一気にねじ込まれる。
「ああッ!」
アダムの性器から精子が漏れ出た。あまり勢いはなく、薄まったそれが臍に溜まる。あんなに出したのに、と自分の貪欲さを恥ずかしく思った。
ねっとりと抽送を繰り返され、アダムは歓喜に泣いて震えた。ぬかるむ肉壁をかさの張った雄で削がれ、ペニスの裏側を重点的に責められると、ひいひい泣いて悦んだ。
「あッ、あ、いい、いいよぉ……」
べそをかきながらも、より強い快楽を得ようとアダムの腰が妖しく動き始める。
「はぁ、ぁ、あんっ……やだぁ、もっと、もっときてぇ……っ」
ひどく犯して欲しい。乱暴に。暴力的なまでに、愛して欲しい。
アダムは夢中になって腰を振った。アランに合わせていた動きは、いつの間にかアランがアダムに合わせている。アダムは結合部を凝視しながら、甘く喘いだ。
「あっ、あぁ……ッ!」
いよいよ高まる絶頂感に、喘ぎ声も高くなる。
「いくっ、いぐ、うぅッ!」
体が弓なりに反り、大きく痙攣したかと思えば陰茎から透明な液体が勢いよく噴出した。アランは抽送をやめないので、突くたびに漏れ出る。
「やぁ、あ、ごめ、なさ……、漏ら、しちゃ……っ、あ、止ま、止まってぇ!」
「アダム……!」
最奥を貫かれたとき、アダムはほんの一瞬息が止まった。
「ぉ、おぉ……ッ!」
歯を食いしばり、息を乱す。ぼんやりとした瞳で、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、魘されるようにぶつぶつ呟いた。
「らめ、らめぇ、おぐ、奥、らめなのっ、こわれちゃうのぉ……」
酷く犯されることを望んだのに、いざ快楽の暴力に晒されると心細くなる。整わない呼吸で何度もアランを呼び、結腸を貫かれ、ぷしゃぷしゃと潮を撒き漏らした。
「ぁー……、ぁ、……」
生暖かい飛沫を浴びながら、アダムの視界が暗闇に包まれていく。
──返して……、お願い……。
悲痛と悲憤に満ちたあの声が脳内に響いた。
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