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第18話※

 アランの父親は国王であった。政略結婚である王妃との関係が良好であるはずもなく、婚姻を控えていながら、代々一族が受け継ぐ婚約指輪を渡そうとはしなかった。それが彼なりの、この婚姻に対するせめてもの抵抗だった。  王は孤独だった。国王とは名ばかりで、政治は軍任せの傀儡である。  閉ざされた世界で鬱屈とした日々を過ごしていたある日、社交界で出会ったのがアランの母親だ。家柄は立派なものではなかったが、若く美しい純真な生娘で、華々しい社交界にひっそりと咲く可憐な花であった。彼女には幼馴染の婚約者がいたが、王は彼女を手籠めにした。たった一度の交わりで身篭ってしまった彼女は婚約破棄を余儀なくされ、悲愴のまま男児を産むも、王家へ嫁ぐことは拒み続けた。  こうしてアランは母親の私生児として、王宮から遠く離れた古い屋敷で健やかに育った。王は援助を惜しまず、財産を分け与えて彼女に尽くしたが、最後まで彼女の心は手に入れられなかった。 「この指輪はその財産の中で最も歴史的価値のあるものだよ。本来なら正妃が受け継ぐものなんだけど、王が愛したのはアランの母親ただ一人だったからね。彼女が王宮に入らなかったのは、王妃の苛烈な嫉妬もあったと言われている」  男はさも愉快そうに顔を歪め、昔話を続けた。 「アランの母親は王宮から遠く離れた別荘地を与えられ、ひっそり暮らした。可哀想なアラン! 母に愛されぬまま、アランが十八歳になると死んでしまった。その死は謎が多くてねえ、いまだに自殺か他殺かわからないんだ。王妃に刺客を差し向けられただの、王に抱かれるのが嫌で自殺しただの、楽しい噂はたんまりさ」  男は高らかに笑い声を上げた。アダムの瞳に男の相貌が浮かぶ。男の舐めるような視線は獲物をいたぶる捕食動物のように鋭く、ぎらついていた。またあの目だ。品定めをするような目つき。アダムはこの類の目に幾度となく晒されてきたような気がして、急に胸が苦しくなった。 「幼いアランには、母が王宮から迫害されているように見えた。母はなぜ迫害されたのか? なぜ父である王を『父上』と呼んではいけないのか? 慕ってはいけないのか? なぜ自分は王宮から離されたのか? なぜ母は父を毛嫌いするのか?」  捲し立てるように男が言う。アダムは濡れた瞳で男を見つめた。できることなら、男の口を塞いでしまいたかった。二度と無駄口を叩けないように、永遠に。 「アランは証明したいのさ。自分は正統な王の血を引いている! 自分こそが玉座に相応しい人間だ! ってね」 「黙れ……ッ!」  どこにそんな力が残っていたのか、アダムは怒りに任せて男に掴み掛かった。が、呆気なく床に倒された。薄汚れてかさついた左手を綺麗な革靴で踏まれる。アヤメのすべすべした白肌は今や労働で傷み、冷たく乾燥していた。 (あの人はこの手を愛してくれた。僕の手も、アダムの手も──)  痛みで叫びたくなるのを堪え、精一杯男を睨み付ける。痛がっているところなど決して見せたくなかった。男のスラックスの裾を握り、立ち上がろうとする。 (これ以上、この男に踏み荒らされて堪るものか……!)  アヤメはアランの愛情を思い出していた。母親に愛されなかった彼が自分へ注いでくれた数々の愛情。彼が自分にしてくれたこと。心細い夜は、一緒に寝てくれた。お風呂が大好きだった。抱き締めてくれた。居場所を与えてくれた。おひさまの匂いのする清潔なシーツ、上質な布で仕立てた衣服、あたたかい食事、たくさんの知識、本、甘いお菓子。それに、金のピアス。 (金のピアス……!)  それはアヤメにとって、大きな意味を持つものだった。本や菓子ではない。煙草や酒でもない。衣服でも、手土産でもない。彼から初めて与えられた宝飾品(アクセサリー)なのだ。アヤメはそれを特別な意味を持つものだと信じていた。例え彼にそのつもりがなかったとしても。  今、アヤメは震える足で立ち上がろうとしている。  ピアスを身につけないアヤメは愛妾ではない。  着飾りもせず、血と汗と泥で汚れた、哀れな一人の青年だ。  アヤメは自分よりも背の高い男の胸倉を掴んだ。男の白いスーツがアダムの血で汚れていく。 「あの人が何者だろうと、僕は、僕は──……ッ!」  半ば絶叫するように、アヤメは懸命に言葉を吐いた。  愛している。どうしようもなく。  彼のそばで、彼に触れられ、彼に愛されることが、どれだけ幸福だったか。  アヤメは精一杯声を張り上げ、男を突き飛ばそうとした。力で敵わないことはわかっていた。それでも、そうせずにはいられなかった。男は微動だにしない。アヤメの絶叫が嗚咽に変わる。  男は咳払いをすると、アヤメの手を掴み、いとも簡単に捩じ伏せ、突き飛ばした。 「まあまあ、そう興奮しないでよ。仲良くやろう、ね?」  男は襟を正し、丁寧に剃り上げた自分の顎を何度も撫でつけた。 「君を餌にすれば、アランはなりふり構わずやって来るだろうと思ってね。でもご執心だったのは、彼ではなく君の方だったみたいだね。記憶喪失の振りをして出て行ったのは、捨てられたから? ま、おじさんはどっちでもいいんだ。ただ、アランの野郎にはちょっとした恨みがあってねえ」  床の上のアヤメを蹴飛ばし、革靴で容赦無く顔を踏みつける。男はそのまま馬乗りになり、アヤメのシャツを捲った。舌なめずりをし、懐から取り出した注射器を尾てい骨に押し当てる。 「いや……! 離して……ッ!」 「大丈夫だよ。ちょっと気持ちよくなるお薬だから」  アヤメはふーふーと息を吐きながら身じろいだ。一瞬の隙を狙い、男は巧みに薬物を注入していく。 「あぅ……」 「んふふ。そのままおとなしくしててねえ。お薬が回るまで、ちょっとおじさんの愚痴に付き合ってよ。おじさんねえ、昔に狩場を奪われてしまってねえ。まあ、それもこれも軍の奴らがヘマしたせいなんだけど。とんだとばっちりだよ」  アヤメの心臓は収縮を繰り返し、一段と激しく拍動した。強い酒に飲まれたような感覚に何度も瞬きを繰り返す。手足から力は抜け、口の中はやけに粘っこく、唾液を飲み下すことができなかった。 「ぁ、あ……、」  体に傷つけられた痛みが快感にすり替わっていく。口の端から涎が垂れ落ちた。 「気持ちよくなってきた? これも元は栄養剤の開発だったんだけどね……」  んふふ、と男は特徴的な声で笑った。 「ごめんねえ、おじさん、アヤメちゃんなら抱けるかなと思ったけど、やっぱり勃起できないや。おじさんは精通も初潮もない子が好きなんだ。んふふふふ」  男の声さえ快感を拾ってしまい、アヤメはみじろぎながら涙を零した。 「このお薬はね、傷ついた兵隊さん達のために作られたんだよ。痛みも、つらいことも、嫌なことも、ぜ〜んぶ忘れて楽になれるお薬さ。それをちょっとお遊び用に改良してみたら、なかなかいい出来でね」  アヤメは射精していた。スラックスに染みを作るが、勃起はできていないので失禁していたのかもしれない。  その様子を鼻で笑い、男は新しい葉巻に火を付けた。 「あの頃はよかったよ。闇市があった頃はさ。初物食い放題だったもんねえ。まだ設備もなくて、掘立て小屋で研究開発してさ……。労働力には困らないし、調達にも困らなかった」  男は懐かしむように言い、紫煙と共に溜息を吐いた。  奴隷市場が存在していたころ、男は軍と手を組み、薬を製作していた。労働力にはいくらでも替えの効く、こき使える孤児を使った。実験にも利用した。臓器も売った。彼らは死体となっても役に立った。世界から忘れ去られた子供など、一人消えようが二人消えようが誰も気にやしない。都合がよかった。  開発にあたり、さまざまな試作を試みた。物資不足を想定した生命維持のための栄養剤、身体能力を向上させる増強剤、これを応用して寒冷地や熱帯地に身体を適応させる実験薬、戦地の地獄から一時逃避させる精神薬。結果として、増産に踏み切れたのは安定して生成できた精神薬のほうだった。心身の苦痛を取り除くそれはよく売れた。中でも肉体的、精神的に癒えぬ傷を抱えた退役軍人はお得意先となった。  国は退役軍人の支援を行ってはいたが、十分な予算が組まれていたにも関わらず、行き届いていなかった。中枢まで腐敗していた軍部が私腹を肥やし、水面下で軍事力を強化していたのだ。新薬の開発もその一環だったのだろう。  これに気付いた王は、軍を激しく非難した。そのせいで正妃との間に設けた双子の娘を誘拐され、殺されてしまう。いわゆる見せしめであり、脅迫であった。傀儡のくせに、でしゃばるなという警告を込めて。 「軍が双子を連れてきたとき、正気かと思ったね。愛らしい小さなお姫様さ。好きにしていいって言うから、お薬をたくさんあげて、おじさんと楽しく遊んだよ。やっぱり育ちがいいとお肉もいいのかな。今までで一番いいお人形だったなあ。頭の弱い子は特にかわいかった。気性の激しい子を従順にさせるのも好きだけれどね、やっぱり素直な子がいちばんだよ。うんうん」  男は恍惚としてアヤメのペニスをやさしく踏みつける。アヤメは身悶え、また呆気なく射精した。 「さあて、アランの秘宝も裏は取れたし。収穫はこのヴィンテージのピアスだけかあ。まさかこれが秘宝なはずないよね? 何かの鍵になってるとか。どう?」 「ぁ、かえ、……っ、か、……、て」 「ん~? 涎いっぱいだねえ。おくちきけなくなっちゃった?」  アダムは小さく痙攣し、熱を帯びる体を持て余す。ぼんやりとした頭の中でも、欲望ははっきりしていた。(はら)の中がさみしく疼き、快楽に飢える。 「は……っ、ぅ」  ぴんと体が張り、アダムの身体は甘い快楽に痺れていった。 「ごめんねえ。アヤメちゃんだってつらいよねえ。おじさん勃起できなくてごめんね。一人でしてもいいよ」  手伝ってあげる、と男はアダムの下履きを脱がしていった。 「おや、精液(ミルク)でどろどろだねえ。そんなに気持ちよかった? おかしいな……。量まちがえちゃったかな……。まあいっか!」 「や、ぁ……」 「ほら、しっかり握って。アヤメちゃんが一人でしてるところ、おじさんに見せてよ」  ゆるくたちあがったものを握らせ、その手に男の手が重ねられる。ゆっくりと上下に動かされると、アヤメは堪らず甘い声を漏らし、かくかくと腰を揺らして果てた。 「あっ……、あ、」 「んふふ。かわいいねえ、アヤメちゃん。もうちょっと若かったら、おじさんのお人形さんにしてあげたのに」  アヤメは強制的な快楽に飲まれ、もう男の手がなくとも自らの意志で自慰を始めていた。前だけでの刺激では足りず、だめだとわかっているのに尻の窄まりに手を伸ばす。 (だめなのに……、だめなのにぃ……っ)  どろどろの手で中指を埋め込んでいく。一度入れてしまうと、アヤメは夢中で中を弄り、はしたなく声を上げて何度も達した。 「ああッ、ぁ、あんっ……、いく、いくぅ……!」  はふはふと息を荒げ、終わらない快楽に涙を零しながら、何度も絶頂を求める。  男はそれを満足げに眺めていたが、階下が騒がしいことに気付いた。 「おや、王子様がお迎えに来たみたいだねぇ」  どっこいしょ、と男が立ち上がると、アヤメの首根っこを掴み、拳銃を向けた。 「ピアスは貰っておくね。次の競売に出品しようかな。王族の血を引く御曹司が愛妾に贈ったピアス、なんて逸話をつけるのはどうかな? 売れるかなあ、こんなお古」 「──次の競売はない」  その声は、紛れもなく。 (アランさま、……)  アランはアヤメと同じくぼろぼろの姿で男に拳銃を向けていた。 「おやおや。ザマぁねえなあ、アラン」  男が低い声で笑う。アヤメを盾に下卑た笑いを見せる。 「今すぐその汚い手を放せ、イヴァン!」  アランは自分以外がアヤメに触れるのを初めて見た。  暴行の痕、着崩れた服、下には何も身に付けていないアヤメの姿に血が沸騰する。 「貴様……! 楽に死ねると思うなよ」 「色男が吠えヅラかくんじゃねえよ、情けねえな」  互いに汗をかくほど緊張していた。熱を持ったアヤメは男の匂いや血の匂い、背後から抱き締められるようなぬくもりに酩酊していく。自力で立っていられず、半ば引きずられるようにして、背後の扉まで盾になった。  人質としては使えないが、ここで殺してしまうには惜しい玩具だった。 「しょうがねえな」  男はアヤメの太腿から膝下に掛けて狙いを定め、あっさり撃ち抜いた。 「ああぁあああッ!」  がくんと折れる体を突き飛ばし、イヴァンはその場から逃走した。巨体の割に足が早く、近くの物を薙ぎ倒しながら去っていくので、アランの弾丸は届かなかった。 「アヤメ、しっかりしろ!」  声を掛け続けながら自分のベルトを抜き去り、アヤメの足にきつく巻き付けていく。あの男などどうでもいい。アヤメの名を呼びながら、もしかしたら今の彼はアダムかも知れないと思った。 「アヤメ……!」  止められなかった。  今はアヤメの名前を呼んでいたかった。 「あっ、う、ぅ……」  苦痛にもがきながら、アヤメは懸命に言葉を紡ごうとした。 「アランさま……、ゆ、指輪が……」 「どうでもいい」 「追って……、追ってください……、まだ、間に合うから……」 「指輪なんかどうだっていい!」 「アランさま、僕……、ぼく……」  アヤメは言葉を続けられず、ぎこちない微笑を作った。意識は穏やかに引いていく。

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