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最終話

 天鵞絨(ビロード)のソファーに二人の男が座っている。  一人の男は傷さえなければ美しい男であった。顔の左側には火傷痕が広がり、頭皮の一部まで焼け落ちている。右の頬には裂けた痕が生々しく残り、ろくな治療もできなかったのか、その傷跡は不恰好なまま固まってしまっていた。  詰襟の服を着た青年の髪は肩まで伸び、黒い髪には童顔には不釣り合いな白髪が混じっている。青白い顔で膝の上の男を愛おしげに見つめ、大粒のサファイアの指輪を嵌めた左手で彼の髪をやさしく撫でた。  男はうっとりと目を細めた。三本しか残っていない右手で器用に水煙草(シーシャ)を吸う。アイスブルーの右目で青年を愛で、左手を伸ばした。  一年半ぶりに屋敷に戻ったアランはアヤメと同じように時々おかしくなった。戦場の夢に魘され、屋敷の中で戦争ごっこを続けた。民衆の一部が暴徒化し、市井が不安定だったことも原因のひとつだろう。付近で騒ぎが起き、庭に火炎瓶を投げ込まれ小火騒ぎとなったこともある。シノミディは一時閉店していたが、果敢にも再び営業を始めた。  落ち着かない日々の中、アランは仲間の死に苛まれ、一人生き残った罪悪に怒り、嘆いた。使用人の女を殺そうとしたこともある。屋敷中の武器となるものが隠されると、今度は陰謀だと怒り狂った。マリエラと取っ組み合いになって彼女を絞め殺そうとしたとき、アヤメはあの詰襟の服に袖を通し、彼を思い留まらせた。幼児(おさなご)のように慟哭するアランを抱き締めるアヤメの左手の薬指には、あのサファイアが光り輝く。 「お屋敷は安全ですよ」 「屋敷(ここ)には恐ろしいことなど、何ひとつありません」 「ご安心ください。お屋敷にいれば、きっと大丈夫ですから」  アヤメは彼が混乱するたび、諭すように繰り返し語り掛けた。刷り込みだったかも知れないし、洗脳だったかも知れない。  混乱するアランを力一杯抱き締め、祝福に飾られた左手で撫でればアランも落ち着いた。  昨晩も愛し合った。と言っても、アランはもう勃起できないから、裸になって肌を合わせるだけだ。不思議とそれだけで満たされた。  逞しく頼もしい肉体をしていた彼の体は傷だらけだった。何発もの銃槍痕には失血死するまでいたぶられたような悪意さえ感じる。アヤメはそれらの傷痕ひとつひとつに丁寧に唇を落とし、慈しむように撫で、ひっそりと涙した。  アヤメは世界が彼と自分の二人だけならいいのにと思った。  もう誰も傷付けず、傷付かずに済む。  それはかつてアダムが願ったことでもあった。  彼はもう、アダムを恐れなかった。  金のピアスがなくとも彼の愛妾でいられる。アヤメがかつての愛妾の姿でいれば、アランはいくらか正気を取り戻すことができた。それが何よりの証明だと思った。  それ以来アヤメはあの頃のように愛妾らしく振る舞う。彼にとっては歓びの再来であり、憂いの始まりであるとも知らず。  ──世界が、僕とあなたの二人だけならいいのに。  そうすれば、誰にも奪われないで済む。  誰にも。  ぼくのアランさまを。  ぼくの愛を。           (了)

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