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それから瞬く間に数日が過ぎ、八月を目前にした水曜の十三時を回る頃、俺は四階建てアパートの敷地の隅に自転車を停めた。ここは確か高校の頃には廃墟じみた木造の一軒家があったはずだが、いつの間にかグレーのタイルが張られたアパートに姿を変えたらしい。  建物を見上げると駐車場に面した中央の入り口から左右に一部屋ずつベランダが並んでおり、三〇二号室と思しき部屋を見上げると窓が開け放されているのが見える。そこが店長の部屋のはずだった。  手土産のスナック菓子と飲み物のペットボトルを片手に階段を三階分昇り、インターホンを押す。程なくして中から店長が顔を出したが、なんとなくいつもと雰囲気が違うと感じた。気のせいだろうか。 「場所分かりにくくなかった?」 「いえ、元々大体の場所は分かってたんで。わりと近いし」  ここは高校時代の通学路に近く、今の住処からも自転車で数分の距離なのであらかじめ経路を調べておけば難なく辿り着けた。  答えながら、小さな違和感の正体が髪型だと気が付く。 「今日は前髪真ん中で分けてないんですね」 「ああ、休みだと面倒くさくてさ。変?」  そう言いつつ、こちらを振り返った拍子に髪が額にばさりと掛かる。それを手で払い除ける仕草はやや鬱陶しそうに見えた。 「変ってわけじゃないですよ。見慣れないだけで」  通されたリビングは8畳ほどの広さだ。入ってすぐ右手に対面キッチン、向かいにベランダ、奥にもうひと部屋という配置で、奥の寝室と思しき部屋に続いている扉は閉じている。日当たりも良く、俺の家賃二万五千円の八畳ワンルームと比べるまでもなくいい部屋だった。一望すると壁際に置かれたケージが目を引き、中で茶色いうさぎがもぞもぞと身動ぎしているのが見える。 「うさぎだ」  呟くと、キッチンにいた店長がこちらを向いた。 「あれ、飼ってるって言ったことなかったっけ」  「初耳ですね」  うさぎはケージの隙間からこちらをじっと見つめていた。見知らぬ人間を警戒しているんじゃないかと思って距離を置こうとすると、その様子を見ていた店長が笑った。 「そんなにビクビクしなくても。もしかして苦手だった?」 「いや、でも動物飼ったことなくて」  かわいいとは思うが、ペットを飼っている家に来るのも初めてなら生のうさぎを見るのも初めてである。初対面の動物は目を合わせない方がいいとか言うがうさぎはどうなんだろうなどと考えていると、キッチンから出て来た店長が横からケージを覗き込んだ。 「この子はわりと人懐こくて大人しい方だし、急に音出したりして驚かせたりしなかったら大丈夫だよ」  そう言いつつ飲み物や菓子を手にケージの前に屈む。寄って来たうさぎに向かって店長はたこやき、と呼び掛けた。 「たこやき?」 「そう、丸まってるとこ後ろから見るとたこ焼きみたいだから」 「なるほど」  言われて見れば丸々したお尻のフォルムはそう捉えられなくもない。名前を呼ばれたたこやきは反応するように顔を上げると、ケージに括り付けられた木の棒へガジガジと齧り付いた。 「ああ、やっぱりダメかあ。外出たがってるんだけど出しても大丈夫? さっきしまったんだけど、いつも俺がいる時は放してるから出たいみたいで」  頷く。店長がケージを開けるとたこやきが木の棒を噛むのを止めたが、いざ扉が開いても動く気配を見せず中で鼻先を震わせている。 「あれ、出て来ないですね」  その様子を見ていた店長だったが、しばらくすると諦めてたこやきのふっくらした首の辺りをワサワサと揉んだ。 「お客さん来て緊張してるのかも。まあ出たかったらそのうち出て来ると思うからさ。あ、そこの座椅子座ってよ」  ケージから離れた店長とテーブルの方へ移動し、座椅子に腰を下ろす。 「色々持って来てもらっちゃってありがとね。何かしらあるだろうと思ってたら酒のつまみくらいしかなくて」  店長がテーブルに置いた飲み物と菓子を見ると、俺の持って来たポテチやらと一緒にお得用チータラとひとくちカルパスが並んでいた。 「まあこれもギリ菓子って言えなくもないし。俺も近所の薬局とかで箱で売ってるやつたまに買いますよ」 「懐かしー、あのパンダの絵描いてあるやつね」  それからしばらく菓子をつまんだ後でゲームを始める。リュックから持参した本体を出し、店長の家のWi-Fiを借りてオンラインに接続して初心者向けのブキや立ち回りなんかを説明しながら色々なモードでマッチを繰り返す。店長の姪っ子はまずこれ、次はこっちという感じであちこちのモードを渡り歩く気まぐれなタイプらしく、今日は一通りやってみようということになった。 「言っても俺あんまりうまくないですよ。一応動画とか見て来たんですけど……あ、下。下向いたらダメです。敵来ても見えないから」 「あ、ごめんつい。動画ってどんなの?」 「『初心者がやりがちな○○!』とか『初心者おすすめブキ!』みたいなやつです」 「俺も見た見た。プロっぽい人の動画とかも見たけどうますぎて何やってるのかも分かんなかったなあ」 「それは確かに。なんで喋りながらあんな動き出来るんでしょうね」 「俺から見ればきみも十分うまいけどね」   店長は初めこそぎこちない操作だったものの、あれこれ指示を出しながらマッチを重ねて行くうちに次第に全体の動きが掴めて来たようで、「次こっち行けばいい?」と指示する前に確認したりキルが取れるようになったりと徐々に成長が見えた。 とはいえ対人だとやたらうまい相手に当たったりするもので、こちらのフォローが追い着かずに不意打ちに遭ったりすることもある。すると普段あまり狼狽えることのない店長が「あっ」とか「うわっ」とか呟きながら四苦八苦するので、そんな様子が新鮮だった。  そうして一時間ほど経った頃だろうか、マッチを終えて画面から顔を上げた店長が俺の背後で視線を止め、突然「あっ」と声を上げた。 「こら、たこちゃん!」  振り返るといつの間にかケージから出ていたたこやきが俺のリュックの紐に齧り付いている。たこやきは声に反応してパッと顔を上げ、サササッと想像以上に機敏な動きで部屋の隅へ駆け抜けて行った。怒られているのがわかるのか、身を伏せてじっと店長を見上げている。 「ごめん、リュック大丈夫?」  確認するとリュックの長さ調節用のナイロンのベルトの端っこが湿って小さな円形に毛羽立っていた。そんなに目立つ感じではないし、もう何年も使っている物なので気にはならない。 「大丈夫ですよ、ちょっと湿ってますけど」  店長は部屋の隅のたこやきへ歩み寄ると首の後ろを掴んでダメ!と叱り付ける。しつけのためとはいえかわいい小動物が怒られている姿は気の毒に感じた。 「あの、本当に大丈夫なんで。俺の不注意だし」 「一応ちゃんと怒っとかないとまたやっちゃうからさ。でもほんとにごめん、集中してて気付かなくて。普段あんまり噛まないから油断してた」  たこやきは解放されたもののあえなくケージに戻され、ウエットティッシュをもらってベルトを拭いている間に先ほどの木の棒を齧り始めた。一心不乱なそれはやはり飼い主への不満の訴えなのだろう。 「元々すぐそこにいるのに気付かなかった俺の不注意だし、リュックもたいした物じゃないんで気にしないでください。たこやきも自分の縄張りに入って来た不審者が気になったんだろうし」  気恥ずかしさを感じつつもケージに向かって「ごめん、たこやき」と言葉を掛けてみたのだが、反応どころか見向きもされない。 「…………」 「……いつも知らない人が来ると警戒するか興味持つかどっちかなんだけど、今日はケージから出たがってたし興味津々の方だったと思うよ。自分から近くに行くくらいだし好かれてるかも」  無視されて居たたまれない思いに駆られる俺を見兼ねてか店長が言うが、それがかえって傷を広げたような気がする。 「フォローされるとむしろ恥ずかしいんですけど……」 「いやほんとにね、たこちゃん好き嫌いはっきりしてるとこあるから苦手な人には全然近寄らないんだよ。――そうだ。ちょっと待ってて」  キッチンへ行った店長から数本の草の束を手渡された。本当にその辺に生えているようなただの草である。 「なんですかこれ」 「ベランダで育ててる牧草。今朝食べたのの残りだけど好物だからさ、あげてみて」  見た目は花火セットの線香花火そっくりだ。束から一本引き抜いてケージの隙間から差し出してみると、たこやきは一心不乱に齧っていた木から顔を逸らした。そしてひくひくと鼻面を震わせて匂いを嗅ぐ仕草をしばらく続けた後に草を咥え、もぐもぐと食べ始めた。

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