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  「もしかしたら指まで齧るかもしれないから、念のため気を付けてね」  横から忠告され注意深く口元を見つめる。最後の数センチのところで手を離してまたもう一本草を差し入れると、今度はすぐに食い付いてみるみるうちに草が短くなっていく。 「おお、すごい食べてる」  ふかふかの毛並みを震わせて手ずから餌を食べる姿を見ていると自然と心が和む。犬や猫の動画を見るのは好きな方だったが、うさぎも負けず劣らずかわいらしい。 「うさぎ飼ってるのは知らなかったですけど、言われてみれば店長動物好きですよね。よくYouTubeの動画の話とかしてるし」 「うん。多分実家で犬飼ってた影響かな。でも実家出てからは一人暮らしだし動物飼うつもりなかったんだよね。たこやきも元々は伊藤さんのとこから貰ったうさぎだし」 「伊藤さん?」 「ほら、月一で来る清掃の業者さん」  そう言われてやっと伊藤さんが伊藤クリーンテックという業者のことだと理解する。月に一回閉店後に清掃に入ったり、年一くらいでフロアのワックス掛けなんかもしている人たちだ。作業の時は閉店間際にやって来て終わるまで店長が一人で残るので、俺を初めバイトは挨拶程度しか面識がない。 「去年社長さんの家でうさぎが生まれて貰い手を探しててさ、中々見つからないって困ってたから一匹引き取ったんだよ。それがこのたこちゃん」 「へえ」  ということはまだ一歳かそこらということだ。うさぎが何歳まで生きるのかもよく知らないが、そう思うとより幼気でか弱く見える。 「でもわざわざ餌育ててるし、かわいがってるんですね」  ケージの中はきれいに片付いているし、部屋も良く見ると壁や柱が百均で売っているような金属の網で囲ってある。齧ったりしないための柵なのだろう。 「まあね、飼うからには幸せに生きて欲しいからさ。好物の牧草はベランダで無農薬栽培、たまのおやつは季節のフルーツ、俺の休日には河川敷でおさんぽ付き」 「俺よりいい暮らししてるかも知れませんね。というかうさぎって散歩するんですか」 「するする。やっぱりたまには広い場所で走らせてあげたいし。ちゃんと専用のリードも売ってるし、YouTubeで探すと動画けっこうあるよ。良かったら今度一緒に行く?」 「え、いいんですか」  ころんと丸いたこやきが草の上を駆け回る姿は想像しただけでかわいらしい。草を食べ終えたたこやきがもう終わりかというように鼻先をスンスン言わせて俺の指の辺りを嗅ぎ回っていて、おっかなびっくり人差し指を伸ばしてみると頭にちょんと触らせてくれた。その後も避けたり逃げ出す素振りを見せないので、ちょんちょんと毛並みを撫でて楽しむ。ふかふかで触り心地がいい。 「鈴木くんさ、もしかしなくても俺よりたこやきの方が気に入ってるよね」 「さあ、どうでしょう」 「これは懐柔の方法を間違えたかなあ。まず初手は告白じゃなくてたこやきの動画を見せるところからだったかも」 「ペットを出汁に使わないでくださいよ。でもそれはそれとして動画は見たいですね」 「ほら、うちに来たばっかりの頃の動画とかめちゃくちゃかわいいよ。赤ちゃんの頃なんて片手に乗るくらいでさ」  店長がスマホでたこやきの動画を見せてくれる。本当に手のひらサイズのぬいぐるみみたいな子うさぎが、ケージの隅で丸くなって眠ったり手ずから餌を食べたり部屋の中を駆け回ったりしていた。 「うわあ、めちゃくちゃかわいい」  これくらいかわいいものを見ればそんな言葉も思わず口を突くというものである。すると横で店長が何やら唸り声を上げた。 「うーん、そんなにめろめろされるとさ、いくらたこちゃん相手とはいえ妬けるね」 「いや、なにうさぎと張り合ってるんですか。人間とうさぎなんて比べるもんじゃないでしょう」 「きみに好かれているという点では同じ土俵に立ってると思うよ、俺とこいつ」  店長もケージに手を入れてたこやきを撫でた。俺のようなちょこちょこした手付きではなく、ふっくらと愛嬌たっぷりの口元に下に指先を入れて顎をもみくちゃにする。飼い主なだけあって大胆な触り方で、慣れているのかたこやきも全く動じていない。 「……まあ、人間の方もそれなりに好きですよ」  呟いたそれが、いくらなんでもこの距離で聞こえていないわけがなかった。にもかかわらず隣からは何の反応もなく、ケージを見たまま数十秒、沈黙に耐えたがとうとう痺れを切らす。 「……ちょっと、なにか言ったらどうなんですか」 「今は無理」  無理ってなんだと横を向くと、店長が立てた膝に顔を埋めているのでぎょっとした。 「なにしてるんですか」 「見ての通り。照れてるよ」 「見ての通りって言われても見えませんよ。いや見せなくていいですけど」  店長がそんなリアクションをするからこちらも反応に困る。今さら冗談だと誤魔化すことも出来ず、たこやきのひくひくと震える鼻先に意識を集中してひたすらやり過ごした。  数分後、ようやく店長が膝から顔を上げる。 「……ごめん、落ち着いた」  その言葉通り額にうっすらと膝の跡が残っている以外はおおむね普通に見えたが、耳だけがまだかすかに赤い。しかしこの雰囲気でそれを指摘する度胸はないので見ぬふりをすることに決める。そしてやや気まずいこの状況を打破したのは、店長の方だった。 「そうだ、せっかくだし写真とか動画とか撮る?」  もちろんたこやきのことだろう。先ほど見せて貰った動画の癒し効果を考えると十分にその価値はある。 「いいんですか」 「もちろん」  そう言って店長はケージからたこやきを連れ出すと、胡座をかいた脚の間にすっぽりと置いてその毛並みを撫でた。少しそのままにして様子を見ていると、脚の間から軽快に飛び出して部屋を歩き回り始める。今度はリュックも手の届かない場所に置いているので安心だ。しばらくその自由気ままな姿を目で楽しみ、写真に収め、動画を撮るなどして過ごす。 「ありがとうございます。もう十分撮れました」  部屋に放している間に俺の存在にも大分慣れてくれたのか、たこやきは今もラグの上のかなり近い位置でじっと座り込んでおり、いい角度の写真をたくさん撮らせてくれた。 「満足出来たみたいで何より。見た感じけっこう慣れてるみたいだし、ちょっと抱っこしてみる?」  そう言って、店長はそっと抱き上げたたこやきを俺の方へ移す。嫌がったりしないだろうかと恐る恐る様子を窺っていたが、おとなしく腕の中に収まってくれた。 「保育園の遠足以来です。うさぎ抱っこするの」  その時のことはどんなうさぎだったかすらも覚えていないが、市内の動物園のふれあいコーナー的な場所でうさぎを抱っこしたという記憶は確かに残っていて、なんとなく懐かしいような気分になった。 「抱き方もバッチリ。あ、写真撮ろうか」  店長が両腕の塞がった俺に代わって写真を撮ってくれる。少しして部屋の中を歩き回って満足したのか、たこやきは自分からケージに戻って隅の方で目を閉じた。その頃には先ほどの気まずさもすっかりなくなっており、夕方に解散するまでの間、再びスプラの特訓をしたのだった。  自分のアパートに戻ってからスマホの中の画像や動画をひと通り眺めていると、店長が撮ってくれた写真が一番良く撮れていた。俺はそれをホーム画面に設定することにした。

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