12 / 15

12

何がアレルギーと同列だ。  出口で空になったドリンクの容器を引き取ってもらいながら俺は思う。 「いやあ、けっこう怖かったね」 「めちゃくちゃの間違いでしょう」  すかさず言い返すと店長は決まり悪そうに肩を竦め、観念したように笑みを浮かべる。 「……だってさあ、まさかあんな血だらけとは思わないでしょ。というか鈴木くんもあんなずっと笑うことないじゃん」 「あれは店長が悪いですって。あはは」  ホラー映画にも関わらず俺がこの調子なのはひとえに店長のせいだ。中盤、ホラーというよりスプラッタの様相を呈してきた辺りから、右隣の様子がおかしくなり始めたのである。 時折感じる身動ぎの気配に様子を窺ってみれば、顔を引き攣らせた店長が血が噴き出したり肉や骨がゴリゴリ言うたびにいちいち顔を逸らしたり肩を強張らせたりしていた。おまけに耳を澄ませば映画の大音量に混じってものすごい小声で「うわっ」とか「いっ」とか言っていたのだからとても怖がってなんかいられず、笑いを堪える方に苦労した。 「だって血が噴き出したりするたび一々顔背けたりするから面白くて。あんなホラー苦手だったんなら他のにした方が良かったんじゃ」 「ホラーはわりと好きなんだよ、ほんとに。でもまさかあんなグロい感じだとは思わなくて」  確かにネタバレ防止でろくに調べもせずに決めたので前情報もなかったし、ポスターではどちらかというと正統派ホラーといった感じの陰鬱な雰囲気を醸し出していた。血や臓物の要素はほぼ皆無だったので、あの展開を事前に予測するのは不可能だったと俺も思う。 「俺はめちゃくちゃ楽しかったですけど、違うのにしたら良かったですかね」 「まあ、俺の犠牲できみが楽しめたんなら何よりだよ。それに鈴木くんのリアクション期待して選んだからバチが当たったのかも」 「俺のリアクションって。どんなの期待してたんですか」 「今の俺みたいなの」 「はは、絶対ないですね」 「ないかあ、残念。ホラー大丈夫そうだったもんね」 「いつもはもうちょっとビビりますけど、あんな感じで横にいられたら怖いものも怖くなくなりますって。あと驚いた時ってどっちかというと固まる方なんですよね、俺」  例えば窓から虫が入って来たり道路からキツネが飛び出して来た時なんか、叫んだりせずその場で硬直してしまう。俺からするとホラー映画の登場人物はよくも咄嗟にあんな声が出たり体が動いたりするものだと思う。 「あ、確かに。こないだ店にでかい蛾が入って来た時もそうだったよね。看板下げに行ったと思ったら急に入り口で固まってさ。見に行ったら足元に死にかけた蛾がいたの」  それはいつだったかの閉店作業の時のことだ。店の入り口は外の自動ドアと中の手押し扉の二重構造になっており、閉店作業の時は外の看板を自動ドアの中にしまうのだが、その日は手押し扉を開けると足元に手の平大の蛾が横たわっていたのである。 小さい虫くらいなら箒でさっさと掃き出してしまうのだが、大きさのせいか妙に肉感のある体に箒で触れるのも躊躇われていたところ、店長がやって来て俺の手から箒を取って通りに出してくれたことがあった。 「平気な方が珍しいですよ、あんな大きいの」  今思い出してもゾッとして思わず強張る顔を見て店長が笑う。 「なに笑ってるんですか」 「いや、ホラーもスプラッタも平気なのに虫はダメなんだなと思って」 「無理なものは無理なんですよ。店長のスプラッタと同じです」 「……それは確かに」  先ほどの血肉舞い散るシーンの鮮明な記憶を思い出したのか今度は店長の方が顔をしかめ、俺は笑った。 「もうジャケット置いてる」  映画の後は特にやることも決めていなかったのでモール内をぶらついた。まだ八月の暮れだというのに秋物が並ぶ服屋に夏の終わりを感じていると、店先を眺めて店長がそう呟く。 「俺もこういうの見ると気が早いなあと思う方ですけど、お洒落な人はもう秋物チェックしてるんでしょうね」 「確かに。雑誌とかもう秋の特集だもんね」 「店長、俺がファッション誌読んでると思います?」 「うーん。まあ確かに服興味ないよね、きみ」  悪意がないのは分かっているし、事実なのでぐうの音も出ない。 「身なりに気遣ってる人に言われると余計に刺さりますね、それ」 「もしかして俺褒められてる?」 「まあ。お洒落だなとは思いますよ。俺よりははるかに」 「別に普通だと思うけど、きみに褒められると照れるな」 「……でも服に興味ない俺の審美眼ですからね、信用出来るかは分かりませんよ」  というか、服をユニクロかGUでしか買わない人間からの評価なんて間に受けるだけ無駄だ。だからその嬉しそうな顔をやめろと思っていると、何を勘違いしたのか店長はこちらを見て微笑んだ。 「あはは、そんな顔しないで。興味なさそうとは言ったけどダサいとは思ってないから。ちなみに、きみの思うお洒落な人ってどんな感じ?」 「見た目のことは正直よく分かりませんけど、強いて言うならスタバで呪文唱えてそうな感じですかね」 「スタバで呪文?」 「なんか色々カスタマイズ出来るんですよね? 何とかシロップとかチョコチップ何とかとか。俺行ったことないんで知りませんけど」 「え、行ったことないの」  まさかという顔で驚かれ、俺は渋々頷いた。 「……なんかお洒落な店って一人で入りにくいじゃないですか。場違いな感じっていうか。自意識過剰だとは分かってるんですけど」 「そんな身構えるものじゃないよ、注文もそんなカスタマイズとかする人ばっかりじゃないし。普通に高校生とか勉強してるしさ。あ、そういえばここのイオンにもスタバあるよね」  店長の言う通り数年前にこの街にもとうとうスタバが到来しており、昨年このモール内にも二号店が出来ていた。前を通りがかるといつも人がそこそこ並んでいるが、その列に並ぼうと思ったことはない。 「せっかくだし行ってみない? 小腹も空いたし」  この機会を逃すと行くことはなさそうだなと思い、俺はその誘いに乗ることにした。スタバに行くと二〜三組がカウンターの前に列を作っていたが、店内はそれほど混んでいなさそうだ。 列に並ぶ前に店の入り口に置かれたメニューの前に立ち止まり、しばらく考えてせっかくなので期間限定の桃のフラペチーノにした。いくら俺でもフラペチーノが砕いた氷が入った甘い飲み物だということくらい知っている。  その後は注文から受け取りまで全て店長におまかせだ。俺はというと横でケースに入ったケーキやサンドイッチ、ブラックボードに描かれたフラペチーノのイラストを眺めているだけである。 他の客が店員にフードはいかがですかとか豆乳への変更もおすすめですとかにこやかに話し掛けられているのを横目に見ながら、俺のスタバへの苦手意識が克服される日は当面訪れそうにないなと確信する。  受け取りのカウンターで飲み物を受け取り、奥の方に二人掛けのテーブル席を見つけてそこに腰を落ち着けた。クリームが山の頂のように盛られたカップを見ていると俺にも《映え》の概念が理解出来そうな気がして、記念に写真を撮っておくことにする。後で誰か友人に送りつけて遊ぶネタになるかも知れない。

ともだちにシェアしよう!