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 写真を撮り終えて一口飲んでみると、桃がちゃんと桃で思っていたよりうまかった。時々口に入って来るパリパリした物は先ほどのイラストによればホワイトチョコレートだろう。 「どう、おいしい?」 「はい。うまいですね。飲み物っていうよりなんかスイーツっぽいというか。高級なクーリッシュみたいな感じで」 「高級なクーリッシュって」 「我ながら語彙に乏しい感想だとは思いますけど、うまいのは本当ですよ」  ネットでカツ丼と同じカロリーとか揶揄されている通り確かにボリュームたっぷりだが、モールの中が少し暑かったせいか冷さが心地よくてぐんぐん中身が減る。それが半分ほどになった頃、中々減らない頂上のホイップクリームだけを吸えないかストローで試行錯誤していると、ふと店長と目が合った。 「…………」  視線を合わせても店長は何も言わずに微笑むばかりである。おまけにどうやらずっとこちらを見ていたようで、俺が目を伏せてもまじまじと視線を注がれ続けるので居心地が悪い。 「……なんですか、飲み辛いんですけど」  時間にするとたった数十秒くらいの間でも、無言で見つめられるというのは落ち着かない気分になる。声を掛けられた店長はハッとして数度目を瞬かせた。 「あ、ごめんごめん」 「大丈夫ですかぼーっとして。やっぱ疲れてるんじゃないですか」 「いや、それはほんとに大丈夫。むしろなんというか、幸せ感じてただけだから」 「はあ? なんですかいきなり」 「休日に映画、ウインドウショッピング、からのスタバってめちゃくちゃ王道のデートコースでしょ。そしてその王道コースできみが目の前で桃のフラペチーノ飲んでるっていう光景に感動してた」 「そんなことで勝手に感動されても困りますけど」 「そんなことって言うけど、俺にとってはすごいことだからね。恋愛が楽しいってこういうことなんだなあと年甲斐もなく日々噛み締めてるよ、最近」 「そりゃまあ、店長の今までのあれこれを考えたら中学生みたいな過程を踏んでるのかも知れませんけど。……というか人の多いとこであんまそういうこと言わないでください。恥ずかしいんで」 「大丈夫、誰も聞いちゃいないから」  なんの根拠があってそんな能天気なんだと周囲を見回してみると隣は空席で、店長の後ろの席はイヤホンを着けて何やらタブレットを操作しているサラリーマンらしき男がひとり、俺の背後は壁で反対隣は窓だった。 ほっと胸を撫で下ろす俺をよそに店長は呑気にアイスコーヒーのストローをぐるぐるとかき混ぜており、プラスチックのカップの中で回転する氷がガラガラとこもった音を立てている。 「ほらね」  店長は悪戯っぽい微笑みを浮かべてそう言ったが、その間も手元は延々と左回りを続けている。どこか上の空なのは目にも明らかだ。  試しにしばらくなにも言わないでみると、それでも店長はなにも言わずストローで渦を生み出し続けた。ぐるぐるぐるぐる。なにを考えているのだろう。その手の動きをじっと見つめてみても、その真意は読み取れない。 「……きみといると俺が今までやって来た恋愛ってなんだったんだろうなって思うんだ」  不意に、緑色のストローを手で弄びながら店長がぽつりと言った。 「最近、今まで楽しいと思ってた他の子との飯とかがおごるの勿体なく感じてさ。ここで金使うんなら鈴木くんになにかうまいもの食わせてやりたいなーとか、一緒に出来そうなゲーム買おうかなとか、中々当たらないって言ってたゲーム機の抽選参加してもし買えたらびっくりさせたいなとか、そういうことばっか考えるんだ。今までだって俺なりに相手のことを考えて色々やって来たけど、それとなにが違うんだろう」  それは答えを求めているというよりは独り言のようなものだった。店長はカップの中の渦に視線を落とし、そこに頭の中身を溶かして眺めているように見える。 「今の俺は確かに間違いなくこれまでで一番幸せだけど、同時に不安にもなるよ。時々だけどね。今のところきみは俺にとってただの友達なんだってことを思い出した時とか、今俺が感じてる幸せが全部なんの決まった名前もないあやふやなもので、もし仮にそれを恋人って名前で固めたとしてもわりと簡単に壊れるんだって思い出した時とかさ。  ――きみが昔の俺みたいだったらいいのにって思うよ。きみがあと先考えないで誰かのものになってしまえる考えなしだったら、俺は今すぐここでもう一回好きだって言えるのにね」 「……今は、言えないんですか」 「だって怖いから。今の俺たちは友達で、もしもう一回あの時と同じように告白して失敗しても次の『じゃあ次はここから』がないでしょ。その線を越えた先がダメだった時にせめて前と同じようにいられる方法が分からないから、俺はそれが言えない」  黒い氷水の中に落とし込んだ最後の言葉が渦に消えてゆくのをじっと見送ると、店長はストローを持つ手を止めた。緑色の細長い筒の周りでコーヒーと氷が入り混じってぐるぐると竜巻のように回っている。 「俺には店長みたいに『これまでの恋愛』っていうものはありませんけど」  俺が口を開くと、店長の視線がこちらへと向いた。微笑みを浮かべていたが、眉が少し下がっているせいで少し泣きそうに見える。 「それでも俺なりに、分かってるつもりですから。店長が俺のことを本当に大事に思ってくれてるってこととか、だからこそ色々不安になるんだってことも。だから俺も俺なりにちゃんと考えたいんです――人を好きになるっていうのはどういうことか、俺にとっての店長はどういう人なのか」  そんな話をしたせいでのんびりお茶でもという雰囲気でもなくなってしまい、それぞれカップの中身を飲み終えるとどちらともなく帰ろうということになった。イオンを出る頃は十六時を少し過ぎたくらいで、俺のアパートに着いてもまだ外はほとんど昼間と変わらず明るかった。 「……それじゃあね」 「はい。映画、次はスプラッタ以外にしましょう」 「はは。ほんとにそうだね」  本当に次があるという確信など持てずに俺たちは笑い合う。気まずい沈黙が降りる前に、次のセリフを口にした。 「それじゃあ、また。明後日」  別れの言葉と同時にシートベルトを外し、アパートの前に停めた車から降りようとドアに手を掛けたその時、運転席から伸びた手に引き寄せられた。  首筋に触れるサラサラとした髪の感触と、少し褪せた香水の匂い。俺の方の辺りに額を埋めた店長が、少しくぐもった声で囁いた。 「待ってるよ。きみが出した答えがどんなものでも、ちゃんと受け入れるから」  離れてゆく店長がこちらの胸を少し押し返して来て、その勢いのまま助手席のドアを開けて外に出た。運転席から少し髪の乱れた店長が手を振り、こちらが振りかえす間もなく車を発進させて立ち去ってしまったのだった。

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