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 次の日、とても何かする気になどなれるわけもなく一日家から出ずに過ごした。 休日家からほとんど出ないのはいつものことなのだが、溜まった掃除はおろかゲームしたり動画を見ることもせずに少しスマホを触っては布団に潜り、買い置きの菓子パンを食べては布団に潜ってを何度も繰り返す。 今日こそはいい加減に洗うつもりだった肌掛けにくるまってぼんやりと天井を眺めつつ、頭に浮かぶのはもちろん昨日のことだった。  明日は店長が休みなので、少なくとも明後日まで猶予があることは分かっている。店長は待つと言ってくれたが、だからと言っていつまでも先延ばしに出来ないとは理解していた。そもそも答えを出すべき問いは二ヶ月も前に分かっていて、それを今まで保留にしていたのは俺なのだから。  結局のところ、結論は二つにひとつしかない。そのどちらかを選ぶのなら、俺の答えはもうとっくに決まっている。多分けっこう前から。  俺は店長のことが好きだ。けれどそれだけでは足りないのだ。ただ好きという言葉だけではきっと。  あの人は例え今の関係に恋人という名前が付いたとしても簡単に壊れてしまうから怖いのだと言っていた。そして俺はというと、店長の望む通り友達から恋人へと肩書きが変わったとして、それで一体なにが変わるのかが分からない。 そもそももっと言うと、友情と恋愛の好きの違いすら分かっていない体たらくなのである。ラブとライクの違いについて考えるなんて、こんなのは恐らく五年は前に済ませておくべき通過儀礼だったに違いない。少なくともアラサーになって真剣に考えるような内容ではない気がした。  その後一日掛けてLINEの履歴やこれまでに交わした会話を延々辿っては布団の中で唸りを上げるという奇行を繰り返しているうち、あっという間に日が変わって出勤時間がやって来てしまった。  それでも人間、丸一日考えればどんな問いでもそれなりの結論というものが導き出されるらしい。  俺はやっとの思いで絞り出した結論を頭の中でなんとかまとめ上げながら、上の空で自転車を漕ぎ、制服に着替え、一日の仕事をこなした。 店長は出勤した俺の表情を見て察したようで、帰り事務所に寄ってよとそれだけ言うと、月末の事務作業のため事務所にこもってしまった。幸か不幸かその日は比較的落ち着いていたので、店長が出て来ることがないままに一日が終わる。  そしてやって来た閉店時間、業務を終えて他のバイトたちが次々上がっていく中俺はもたもたとスマホをいじるふりをしてロッカールームで時間をやり過ごす。そしてようやく最後の一人になると電気を消して部屋を後にし、深呼吸をしてから事務所の敷居を跨いだ。いつも通りドアは開け放してあり、事務所以外全て照明を落としているので真っ暗な通路に蛍光灯の灯りが四角く伸びている。 「……お疲れさまです」 「うん、お疲れさま」  店長のデスクはすっかり片付いてパソコンも落としてあった。俺を待っていたのだろう。タイムカードを切り、応接用とは名ばかりの、主に店長が仮眠を取ったりバイトが駄弁ったりするために使われる青い布張りのソファへと腰掛ける。 「あ、ちょっと待ってね」  話を切り出そうとした俺を店長はやんわりと制し、なぜか事務所を出て厨房の方へ歩いて行った。数分して戻ると手にプラスチックのスリーブに入った紙コップを二つ持っており、ひとつをこちらに差し出す。 「はい。よかったらどうぞ、熱いやつだけど」  カップの中には来客用の紅茶のティーバッグが沈んでいる。スリーブもカップも来客用の備品だ。 「昨日マネージャーが来て使った時にこのお茶けっこう古いなって気付いてさ。早めに使っちゃおうと思って」  砂糖の有無を問われて断る。店長は自分の机からスティックシュガーと割り箸をひとつずつ出し、砂糖をカップに空けて割り箸で中をぐるぐると掻き混ぜた。デスクチェアのキャスターをガラガラ引きずり、ソファの前に腰掛ける。 「出たんだね、結論」 「……はい」  頷く。手の中でカップを数回回して中を覗き込むと、かすかに前髪が湯気を浴びた。 「俺なりに色々考えたんですけど――まず、店長は俺たちが恋人になったとして、今までみたいに壊れちゃうのが怖いんですよね」 「……うん。そうだね」 「それは多分、今まで店長が恋人って名前を付けてた関係性がそもそもダメだっただけで、それがどんな名前だったとしてもきっと最終的にはダメになってましたよ、きっと。 だって好きでもない相手にあれこれ先回りして尽くしまくるなんて、めちゃくちゃ不健全じゃないですか。しかも相手はちゃんと店長のこと好きなのになにしたって同じ気持ちは返って来なくて、ただ欲しい物ばっかり渡され続けて、そんなの辛いだけだし。いつも向こうから振られるって言ってたのはきっとそのせいだったんじゃないかって、俺は思ったんです。  その点俺は店長との関係の名前が変わったからって、今持ってる気持ち自体が急に別な物にすり替わったりしませんよ。約束します。だから、関係に付く名前で中身が変わるわけじゃないなら、だったら名前が付いてもいつか壊れたら終わりだとか怖がってないで、壊れないような入れ物にする方で努力した方がずっとマシですよ」  俺は一方的にそうまくし立て、言い切ってから店長の顔色を窺う。これが俺なりに一日掛けて考えた、この人の不安をどうにかしてあげられそうな言葉だった。  店長はしばらくカップの水面を見つめ、そしてゆっくりと頷いた。 「……俺、一昨日言ったもんね。それがどんな答えでも受け入れるってさ」  ほっと胸を撫で下ろすと勝手に深くため息がもれて、手の中のカップの表面が大きく波打った。 「……そうですよ。だから俺の話もっと聞いてくださいね。まだまだ色々考えたんで」  紅茶をひと口啜る様子を、店長が向かいからじっと見つめている。 「俺、店長のこと好きですよ。例えば俺の話を聞いて面白そうに笑ってる顔とか、俺と仲良くなりたいからってゲームまで買ってやってくれたりするところとか。 でも俺は正直今まで人を好きになったことがないから、それが本当に店長が俺に対して思ってる好きと同じものなのかが分からないんですよね。元々友達すらあんまりいないし彼女なんていたこともないから、比べる対象もないし。  それで俺なりに、友達と恋人の違いっていうのがなんなのか、考えてみたんですよね。  一人って確かにさみしいかも知れませんけど、その分楽な生き方だと思うんですよ。他人といるとうまく話せなかったとか気遣いが下手だとか言葉の選び方を間違ったとか、そんなことでいちいち誰かを傷付けたかも知れないとか不出来な奴だと思われないかって心配して、そして失敗したら自分を嫌いにならなきゃいけないじゃないですか。でも一人でいればそんなことで落ち込まなくて済むし。  それでもわざわざ誰かと二人でいるって道を選択するんだとしたら、俺はそこに意味が欲しいなと思ったんです。他人と関わる上での面倒くささとか大変さとか、そういう嫌な思いをしてでもその相手と一緒にいたいって思える何かが。俺はそれが友達と恋人の違いなんじゃないかって思ったんです。……いい歳して恥ずかしい考えなのかも知れませんけど」  俺がそう言うと、店長は笑ってゆっくりと首を横に振り、そして口を開いた。 「そんなことないよ、きっとね。でも――俺にはさ、あるかな。きみにとってそう思えるようなところが」 「……どうでしょう。確かに好きではあるけど、自分にとって店長がどうしても必要な人だとは思えなくて。それは相手が店長だからじゃなくて俺はこの先ずっと一人で生きていくんだろうなと思っていたからなんですけど。さっきは色々言いましたけど、そういう人間が店長にふさわしいかと思うと正直自信ないし。  でももし万が一店長がこの先誰のことも好きになれずにずっとさみしいと思い続けたまま一人で生きていくとしたら、そんなことになるくらいなら俺が一緒にいたいなと思うんですよね。  でももしかしたらこの先俺といるより幸せになれるいい人が現れるかも知れないじゃないですか。もしそうなったら、俺がいるせいでそのチャンスを奪うことになるのかも知れないとか考えたりして。……もしそういう可能性があったとしても、それでも店長は俺を選びますか」  それは俺としてはまとまっていないなりに思いの丈を全て詰め込んだ告白のつもりだった。じゃあやっぱりお前はやめたと言われても仕方がないと思うくらいの。だからきっと真剣に答えてくれるのだろうと思っていたのだが、そんな予想は店長が見せた見慣れた笑みに打ち壊される。 「はは。忘れてるかも知れないけど、俺が告白した側なんだけどなあ。だから俺はそのいつか現れるかも知れない架空の誰かよりきみがいいし、きみにとって俺がいなくてもなんとかなるくらいの人間だったとしても、そばにいられる限りはいたいと思うよ。きみがさっき言ってたみたいに、きみがやっぱりひとりでいいやと思っても壊せないくらいの入れ物に出来るように努力するからさ」  言いながら店長が頭に手を乗せて来るので、俺はその重力に流されるままに俯いた。その方が今の顔を見られなくて済んで都合がいいと思ったからだった。 「……本当にいいんですね。後悔しても知りませんよ」 「もちろん。きみの方こそ、後でこんなろくでなしは嫌だって言ってもダメだからね」

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