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第3話 合鍵
「ぐっすり眠ってるところ悪いんだけど、そろそろ起きてくれないかな? 朝ご飯が昼ご飯になっちゃうぞ」
「……!」
聞き慣れた声がして、ガバッと起き上がった。寝起きの悪いオレにしては信じられない動きだ。
「ようやく起きたか」
「い、いっちゃん……?」
「おはよう」
「お、おはよ……」
「ご飯、食べるだろ?」
「あ、うん……」
「下、履いてこいよ」
言われて慌てて見た下半身は……見事にパンツ一枚だった。
(……そうだ、昨日脱いだ気がする)
あの変態男の匂いがしている気がして、イライラしてデニムを脱いだんだった。その後、そのまま眠たくなって眠ってしまった。
「って! ねぇ、いっちゃん! 帰ってくるの、明日って言ってなかった!?」
慌てて脱ぎ捨てたデニムを穿きながら、ドアの向こうに消えたいっちゃんに話しかける。
「うん。本当は日曜の予定だったんだけど、思ったより文献が少なくてさ。朝一の新幹線で帰ってきたんだ」
「みんなはせっかくの京都だから、あと一泊するって言ってたけど」って話しているいっちゃんのそばから、コーヒーのいい匂いがした。テーブルを見たら、分厚いサンドイッチがいくつも並んでいる。
「エキナカで買ってきたやつだけど、食べるだろ?」
「食べる!」
「はいはい、じゃあ座って。いただきます」
「いただきます!」
結局昨日はあまり食べられなかったから、信じられないくらい空腹だった。グゥって鳴ってしまったお腹をさすりながら、どれを食べようかなと並んだサンドイッチを見る。
野菜やポテトサラダが挟まったものの隣には、トンカツにローストビーフサンドなんてものもあって、さらにフルーツサンドも二種類あった。さすがにこの量はいっちゃんが一人で食べるには多い気がする。
(まさか、オレが部屋にいるって思って買ってきた、とか……?)
いや、さすがにそれはないか。昨日の飲み会だって前日に参加することを決めたから、いっちゃんには話していない。
「昨日は飲み会だった?」
いっちゃんに聞かれてハッとした。
「あの、ごめん! 勝手に部屋入って、それに勝手にベッドで寝てごめん!」
これじゃあ不法侵入だ。オレは勢いよく頭を下げて謝った。
「それは構わないけど。合鍵渡したのは僕だし」
「でもっ、勝手に部屋に入るのは、やっぱ駄目だと思うし!」
「勝手にいつでも入っていいよ。それにその合鍵、もともと十九歳の誕生日プレゼントで渡すつもりだったものだからね」
「……は?」
いっちゃんの顔を見たら……笑っていた。
「プレゼント、結局ほしいもの何も言わないままだろ? で、圭人 がほしがりそうなものを僕なりに考えて用意したんだけど、いらなかった?」
「い、いる! いります! ほしいです!」
「そりゃよかった。もしいらないって言われたら、ショックで寝込んでたかもしれない」
笑いながらサンドイッチを食べるいっちゃんが、なんだかキラキラして見えた。同じくらい、テーブルに置いたままになっていた合鍵がキラキラして見える。
三カ月以上前に過ぎた誕生日当日、いっちゃんから「今年は圭人 がほしいものをあげるよ」と言われた。去年までは、いっちゃんが選んだゲームとか服とかがプレゼントだった。だから「ほしいものをあげる」なんて言われるとは思っていなくて、聞かれてもすぐには答えられなかった。
でも、じつはちょっとほしいなぁと思っていたものがあったんだ。それは、いままさにプレゼントされた合鍵だ。
オレが部屋に来るときは、部屋でいっちゃんが待っているか外で待ち合わせをする。大学院生のいっちゃんはオレよりずっと忙しいはずで、待っていてもらうのも待ち合わせをするのも迷惑なんじゃないかとずっと気になっていた。だからといって、いっちゃんの部屋に行かないという選択肢はない。じゃあ、合鍵があればいっちゃんに手間をかけさせなくて済むんじゃないかと思っていた。
そう思ってはいたけれど、オレのほうから合鍵がほしいなんて言えるわけがない。だって、いっちゃんとオレは家族じゃないし、ただの幼馴染みだ。オレが勝手に遊びに来ているだけなのに、そんなオレが合鍵をほしがるなんて変だと思ったんだ。
それに合鍵がほしいとか、なんだか恋人っぽい感じがする。そう思ってしまったのも恥ずかしくて、ほしいなぁなんて思いながらもずっと言い出せないままだった。
「来たいときは、その合鍵使っていいからな」
「わかった!」
やった! これでいつでも来られる! 今週みたいに、いっちゃんと会えないときも部屋に来られるんだ! そう思っただけでテンションは爆上がりだ。
それに合鍵には小さな猫のキーホルダーが付いていて、オレが猫好きだからかな、なんて思ったらニヤニヤが止まらなくなった。
「で、昨日は飲み会だったんだろ? 珍しいね、圭人 が飲み会に行くなんて」
「あー、うん、急に友達に誘われてさ。ちょうど暇だったからいいかなぁと思って」
「なるほど。大学生もいろいろ付き合があるからな。……で、何かあった?」
「え……?」
「妙な格好で寝てたから、何かあったのかなって思ったんだけど」
見慣れた銀縁眼鏡がキラッと光った……ような気がした。それに思わずドキッとしてしまう。
言われたとおりお酒は飲んでないし、そのことに関していっちゃんがオレを疑ったりしないことはわかっている。だからやましいことは何もないんだけれど……なんだろう、ちょっと言い出しにくいっていうか、内容が内容だけに言いづらい。
「あ、また誰かに告白されたとか。圭人 は相変わらずモテるね」
「ちが、……くはないけど、告白っていうか、なんつーか」
「どうした?」
「……ええと、大したことじゃないんだけどさ……」
これまで何でも話してきたから……ってわけじゃないけど、いっちゃんに聞かれると条件反射で答えなきゃって思ってしまう。
オレは昨夜あったことをポツポツと説明した。先輩の股間を蹴り上げたことは話せたけれど、尻を撫でられたり股間を押しつけられたりしたことは、さすがに話せなかった。
(だって、なんか痴漢されたみたいな感じだし)
オレだって男なのに、男に痴漢されたような内容は言い出しにくい。それに、そんな目に遭うなんて男として情けなさすぎる。
「なるほど。そのときにお尻でも触られたか、もしくは変なものでも擦りつけられたとか」
「へ!?」
なんでわかったんだ!? ビックリしたオレは、思わずギョッとしていっちゃんを見た。
「それが気持ち悪くて、脱いで寝てたんじゃないのかと思ったんだけど」
「え……っと、それは、」
「そういう目にあってもちゃんと急所蹴り上げて逃げたんだから、圭人 はえらい」
「あー、うん。そこは、いっちゃんに言われたとおり腹に力を入れて蹴った」
「ってことはその先輩、五分やそこらじゃ復活できなかっただろうね。ま、自業自得だけどな」
……そっか、やっぱりそのくらいは痛いのか。想像したらオレのまで痛くなりそうな気がしてきて、慌てて想像するのをやめた。
「ちゃんと自分で自分の身を守れたんだ。よかったな」
「それはそうなんだけど……。いままで何回か飲み会に行ったけど、あんなの初めてだったからさ。正直ちょっと怖ぇって思った。しっかし、男ってほんとしょうもねぇな」
「そういう男もいるってことだよ。それに圭人 は男にもモテるからね」
「うーん、こういうのもモテるって言うのかな……」
いままで待ち伏せされたりストーカーまがいのことをされたりっていうのはあったけれど、いきなり尻を触られるとかはなかった。告白されてオッケーして恋人になって、さぁこれからってときにもなかった。っていうか、そういうことをする前に全員にフラれている。
「今回は時間が経ってたからな……」
「いっちゃん?」
いろいろ思い出してイラッとしたり情けなくなったりしながらサンドイッチを頬張っていたからか、いっちゃんの声がよく聞こえなかった。もう一度「何か言った?」って声をかけたけれど、「なんでもないよ」って笑い返される。
「ちゃんと逃げ切れたのはよかったけど、これからは気をつけな?」
「うん。っていうか、もう二度と飲み会には行かねぇし」
「そうだなぁ。まだ未成年だし、行かないに越したことはないか」
「二十歳になっても行きたいって思える気がしない」
「まぁ、それはそのとき考えればいいよ。あ、でも飲み会に行くときは、必ず先に僕に言うこと。わかった?」
「わかった」
飲み会に行くことはないと思うけど、社会人になったらそういうことに参加しないといけなくなるのかもしれない。そのときはいっちゃんに相談しようと思って頷いたら、いっちゃんがまたニコッと笑い返してくれた。
「嫌なことは忘れるに限る。ってことで、今日はおいしいもの食べようか。そうだ、泊まっていく? それならおばさんに連絡しておいて」
「泊まる! やった! なに食べよっかなー」
「そういや、この前教授にいいお肉をもらったんだった。冷凍してあるんだけど、ステーキにしようか」
「マジ!? やった、いい肉のステーキ!」
「じゃあ、お肉の付け合わせだけ買いに行こう」
「おう!」
ステーキってだけで気分が上がる。だって、いっちゃんが焼く肉は本当にうまいんだ。
そういえば、いっちゃんが食べさせてくれるおいしいものって、ほとんどが肉だ。ステーキに焼き肉、しゃぶしゃぶにチャーシュー、角煮にローストビーフまで手作りだし、クリスマスには鳥の丸焼きまで出てきた。そのうち北京ダックやケバブだって出てきそうな気がする。
(いっちゃんって肉が好きなんだな。オレも大好きだけど)
だから、おいしいものイコール肉というのが、二人の間では当然のことになっている。
「ついでにデザートも買おうか」
「やった! じゃあさ、ケーキ、チョコのやつ!」
「圭人 は昔から甘いものも好きだよな」
「だってうまいじゃん!」
「あはは。じゃあ、さっさと食べて買い物に行こう」
昨夜は気持ち悪いやらイライラやら散々だったけれど、いっちゃんに会ったらすぐにいつもどおりに戻った。オレは「どの店のケーキにしようかなぁ」なんて考えながら、ウキウキと残りのサンドイッチを頬張った。
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