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第5話 誘われた旅行先で
今年の大型連休は、なんと! いっちゃんと旅行することになった。……まぁ、正確には、いっちゃんの研究室の旅行について行くことになっただけなんだけど。
研究室では毎年大型連休中に旅行に行っていて、今年は九州の温泉旅館に泊まることになったらしい。すると、そんないいところに泊まるなら家族や友達を誘いたいって声がたくさん上がったそうだ。何より一番乗り気になったのが研究室の教授らしくて、それじゃあみんな誘ってみるか、って話でまとまった結果、いっちゃんがオレを誘ってくれることになった。
老舗の温泉旅館だからか、オレ以外にも部外者が結構参加するって聞いている。旅館は教授の馴染みのところらしく、結構な人数になったからということで特別に団体割引より少し安くしてもらえることになって、みんな喜んでいるって話だ。
話を聞いたときは、めちゃくちゃ楽しみって気持ちだけだった。でも、出発する日が近づくにつれてちょっとだけ心配になってきた。
「ねぇいっちゃん、ほんとにオレが一緒に行っていいの?」
「どうした? おじさんたち、許可してくれただろ?」
「あー、うん、土産に焼酎買って来いって言われた。じゃなくて、ほら、オレ家族じゃないじゃん」
「僕以外にも友達連れて行く人いるよ」
「でもオレ、友達にも見えないだろ? いっちゃんとは年、離れてるし」
「そうだなぁ。友達っていうより兄弟に見えるかもな」
九歳離れてると兄弟にも見えないんじゃないかなと思いながら、「兄弟」って言葉に変な感じがした。たしかにいっちゃんのことは兄貴みたいに思っているけど、でも他人からそう思われるのは、なんだかちょっと嫌だ。
「気にすることないよ。教授なんて家族総出で行くし、友達だけじゃなくて恋人を連れて行く人たちもいるみたいだからね」
「そっか、それならいいけど」
恋人もってことは、本当にただの旅行なんだ。研究室の旅行なら勉強も兼ねているんじゃないのかなと、内心ちょっと心配していた。それならオレがついて行ったら邪魔になるんじゃないかと思っていたんだけど、ただの旅行なら安心してついて行ける。
気になっていたことが解決したからか、急に旅行が楽しみになってきた。こんなにワクワクするのは、中学校の修学旅行で大人気のテーマパークに行ったとき以来だ。
「九州って行ったことないから、超楽しみ」
「福岡から大分に入って一泊、大分を回ってもう一泊、それから熊本に行って解散。そのまま鹿児島や長崎に行く人たちもいるけど、僕たちは福岡に戻って新幹線で帰るからね」
「おう」
「大分では古い神社仏閣巡りばかりだから、圭人 には少し退屈かもな」
「でも観光地だろ? じゃあお土産見たり買い食いしたりするから平気」
「あはは、圭人 はいつまでも花より団子だな」
「だってオレ、食べるの好きだし」
いっちゃんと旅行するのは初めてだから、すごく楽しみだ。本当は二人がよかったんだけど、さすがにそれは我が儘がすぎる。
でも、いつかいっちゃんと二人で旅行に行きたいなぁとは思っていた。そのときは、オレの分の旅費くらい自分でちゃんと出したい。だって、今回は急な話だし誘ったのは僕だからとか言って、いっちゃんが全額出してくれることになったんだ。
親父もお袋もすごく慌てていたけど、いっちゃんの話を聞いているうちに「じゃあ、今度旅行に行くときはウチで出すから」って話でまとまった。「今度」ってことは、次があるってことだ。……やばい、それを考えるだけで超ニヤニヤする。
大型連休前だからか、最近は大学でも全体的に落ち着かない雰囲気だった。オレの周りもそわそわした奴ばかりで、勝手に連休を追加する奴らまでいた。
オレはいっちゃんに言われたとおり最後までちゃんと講義に出て、旅行にはいっちゃんの部屋から一緒に向かうことにしている。もちろん帰って来るのもいっちゃんの部屋だし、家に帰るのは連休最後の日だ。
お袋からは「迷惑でしょ!」って怒られたけど、いっちゃんが「大丈夫ですよ」って言ってくれたおかげで、連休中はずっといっちゃんと一緒にいられる。それだけでワクワクするし、気をつけないとニヤニヤ笑いそうになった。
(……そういや、九州ってもう暑いのかな)
泊まるのは由布院ってところで山のほうだから、朝晩は結構冷えるみたいだよっていっちゃんが教えてくれた。それなら少し厚手の上着を持っていったほうがいいかもしれない。
(この前いっちゃんが選んでくれたパーカー持って行こうっと)
ほかにも、いっちゃんと一緒に買ったシャツやパンツを持って行こうかな、なんてクローゼットの中を思い出す。気がつけばオレも周りの奴らと同じように、頭の中は旅行のことばかりになっていた。
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電車と新幹線を乗り継いで、ようやく福岡に到着した。駅前には教授が手配したっていうマイクロバスが待っていて、それで高速道路を使って大分に向かう。
てっきり福岡で観光するんだと思っていたオレは、少しだけしょんぼりした。だって関東に住んでいるオレにとって、福岡はそう簡単に来られる場所じゃないんだ。せっかくならいろいろ見て回りたかったし、本場の博多ラーメンも食べたかった。
そんなことを思っていたのがバレたのか、いっちゃんが「帰りに福岡で観光しようか」って言ってくれた。
(マジでいっちゃん、よく気がつくよなぁ)
昔からいっちゃんはよく気がつく。とくにオレが思っていることなんてすぐにわかるみたいで、そんなところも本当の兄貴みたいだなぁなんて思うところだ。オレはまだ始まったばかりの旅行にニヤニヤしながら、帰りに二人で福岡のどこを見ようかワクワクした。
福岡から大分に入ったバスは、最初に宇佐神宮っていう大きな神社に到着した。研究室の人たちはみんな歴史が好きなのか、すごく興奮しているのがわかる。いっちゃんいわく「民俗学をやってると、こういう神社仏閣にも興味が出てくるんだよ」ってことらしいけど、それにしても目がキラッキラしすぎじゃないだろうか。
若干引きながらバスを降りたオレは、目の前の森みたいなところを見てぽかんとした。神社だって聞いていたのに、それらしい建物は見えない。「え? なんで森?」って見ていたら、研究室の人に「教科書に載ってなかった?」って言われてびっくりした。
(教科書に載るような神社なんだ……)
たぶん習ったんだろうけど、残念ながらまったく覚えていない。昔から歴史は苦手だったから、覚えていなくてもしょうがないよな、なんて心の中で言い訳をしておく。……まぁ、ほかの教科も大体が苦手なほうだったんだけどさ。
(そんなオレなのに、よく大学に受かったよなぁ)
きっといっちゃんの教え方がうまかったんだ。そう考えたら、いっちゃんってやっぱりすごいなと思う。
でも、家庭教師や塾のアルバイトはしないんだって前に話していた。「あんなに教え方うまいのに、もったいないなぁ」なんて思いながら、広すぎる境内をいっちゃんと一緒に見て回った。もちろん、いっちゃんの解説付きでだ。
それから由布院に向かったんだけど、到着した旅館は由緒正しい古い建物で高級そうなところだった。それに露天風呂がめちゃくちゃ広くて、本気で池なんじゃないかと思ったくらいだ。露天風呂からは由布岳っていう山まで見えて、とにかくオレのテンションは爆上がりしまくった。
(やっぱ観光ホテルとは全然違うなぁ)
家族旅行では観光ホテルにしか泊まったことがない。それが旅行だって思っていたけど、こういう旅館もいいなぁなんて初めて思った。
ちょっと前まで「旅館なんて古臭くてつまんねぇよ」なんて言っていたのが嘘みたいだ。いっちゃんと一緒だからかもしれないけれど、古い建物が何だかオシャレに見えてくる。それにいつもはベッドだから、畳に敷いたお布団っていうだけでもワクワクした。
そんなワクワク気分のまま広い露天風呂をいっちゃんと堪能したオレは、当然夕飯も思い切り堪能しまくった。地元の食材を使った季節の料理は最高においしかったし、豊後牛とかいう牛肉も柔らかくておいしかった。
デザートまでペロリと食べてご機嫌になったオレは、鼻歌を歌いながら周りの人たちを眺めていた。すると、隣に座っていたいっちゃんが「もう一回、露天風呂に行く?」と聞いてきた。
「おう!」
もちろん答えはYESの一択だ。ご飯を食べる前にも入ったけど、お袋いわく「一日最低二回は入るのが温泉の醍醐味なのよ」ってことらしいから、せっかくなら入っておきたい。
それに、あんなに広い露天風呂に次いつ入れるかわからないから、思う存分満喫しておきたかった。さらに言えば、寝る前ならいっちゃんと二人でゆっくり入れるんじゃないかとも思っていたんだ。
そんなオレの予想どおり、遅い時間に行った露天風呂には誰もいなかった。大型連休だしほかのお客さんたちもいるはずだけど、男は何度も温泉に入らないってことなのかもしれない。
研究室の人たちは結構お酒を飲んでいたから、宿泊する建物から少し離れた露天風呂までは来ないんだろう。いっちゃんは最初の一杯しか飲んでいなかったみたいで、あのときには寝る前に露天風呂に行こうって考えていたのかもしれない。
(もしかして、オレが最低二回は入るって話をしたからとか……?)
それならうれしいなぁなんて思いながら、上機嫌で露天風呂に浸かった。
「ぷは~。こんな広い露天風呂が貸し切りとか、最っ高だよなぁ~」
「泳ぎたいなら泳いでいいよ?」
「ぶはっ! いっちゃん、オレもう大人だよ? そんなことしねぇって」
「そう?」
「そうそう。ちゃんと温泉を堪能します」
「そっか、圭人 もすっかり大人だな」
いっちゃんが、そんなことを言いながらしみじみとオレを見ている。
生まれたときからオレを知っているからか、いっちゃんはよく「もう大人だな」とか「大きくなったな」なんてことを言う。いつもなら何とも思わない言葉だけど、今夜はちょっとだけ嫌だなって思ってしまった。だって、たった九歳しか違わないのに、オレといっちゃんは全然違うんだって言われてるみたいに感じたんだ。
そう思ってしまったのは、初めて研究室の人たちを見たからかもしれない。みんなオレなんかよりずっと大人で、いっちゃんの隣に立つとお似合いに見える人ばかりだった。とくに女の人たちはオレの周りにいるようなうるさい感じの人はいなかったし、化粧も服装も大人って感じの人たちばかりだ。
だからか、ほんの少しだけ、いっちゃんに近づいてほしくないなんて思ってしまった。
(同じ研究室の人たちなんだから、仲がいいほうがいいんだろうけど……)
でも、いっちゃんの隣には立ってほしくない。たとえ勉強の話をしているんだとしても、あまり仲良くしないでほしい。……どうしてか、そんなことを思ってしまった。
「どうした? 急に静かになって」
「え? あ、ううん、なんでもない」
なんだかオレ、ちょっと変だ。でも、昼間のいっちゃんを思い出すとどうしてもモヤモヤした気持ちになってしまう。
研究室の人たちと一緒にいるときのいっちゃんは、オレと一緒にいるときと違って見えた。いつもよりずっと大人っぽく見えたからか、オレが知っているいっちゃんじゃないみたいな感じがした。だからか、研究室の人と話をしているだけで胸がソワソワして落ち着かなかった。
そんなことを思い出すと、いつもみたいに話せなくなってしまう。夕方入ったときは夕飯のこととか明日のことなんかをベラベラしゃべっていたのに、いまは口が思うように開かなかった。
「誰もいないと静かだな」
「うん」
すごく広い露天風呂だからか、本当に静かだ。旅館が街中より山に近いところにあるから、露天風呂なのに虫の鳴き声くらいしか聞こえない。
視線を真っ暗な山から少し下に向けると、ほんのりキラキラ光る街並みが見える。小さい街だから都会ほど明るくはないけれど、湯気に包まれた露天風呂で眺めると結構きれいだ。
ふと、隣にいるいっちゃんに目が向いた。ふわっとした明るさだからか、いつもと違う雰囲気に見える。
(……そっか、眼鏡をしてないからか)
いつもは寝る直前まで眼鏡姿だから、眼鏡をかけていないいっちゃんを見ることはあまりない。だから余計にいつもと違って見えるのか、少しだけドキッとした。
「僕は誰もいないほうが落ち着くかな」
「そうなの?」
「昔から人混みは苦手だったし、温泉は好きだけど大浴場は少し苦手かなぁ」
「へぇ」
そうなんだ、知らなかった。
「それに、圭人 のことをジロジロ見られるのも嫌だしね」
「へ?」
「やっぱり気づいてなかったか。圭人 って顔は間違いなく美少女だろ? だからみんな露骨に見たがるんだよ」
「へ、へぇ……」
正直、全然気づいていなかった。むしろオレはいっちゃんしか見ていなかったし……って、それもちょっと恥ずかしいか。
「大学の友達とどこか泊まりに行くときは気をつけな? 中にはやましい気持ちで見る人がいるかもしれないから」
「いや、オレ誰とも旅行なんて行かねぇし。っていうか、友達にそんな奴いないって」
少なくとも、いまツルんでいる仲のいい友達の中には、オレにやましい気持ちを持っている奴はいない。これは昔からで、仲がいい友達から変な目で見られたことは一度もないし、告白されたこともなかった。たまたまだったのかもしれないけど、恋人運があまりよくないオレでも友達運だけはいいんだと思う。
「そっか、それならいいけど。でも、気をつけるに越したことはないよ。圭人 は男だけど細いし小柄だから、見られるだけで済まなくなったら大変だ」
「えぇー。オレ、そんなにひ弱じゃねぇと思うけど」
「それは自分を知らない奴の言葉だな」
「ひゃっ!? ちょ、いっちゃん!?」
「ほら、インドア派の僕にだって簡単に捕まえられる」
「いっちゃん、ちょっと!」
隣でのんびり温泉に浸かっていたいっちゃんが、急に近づいてきたかと思ったら後ろから羽交い締めしてきてびっくりした。
っていうか、これは羽交い締めっていうより抱きしめているのに近い。背中にいっちゃんの体がピッタリくっついていて、気のせいじゃなければオレのお尻に足も当たっている。
たったそれだけで、オレはどうしていいのかわからなくなった。これまでだって一緒のベッドで寝ていたし、そのとき体がくっつくことなんてしょっちゅうあったのにドキドキして動けなくなる。風呂上がりに上半身裸のいっちゃんを何度も見ているのに、すっぽんぽんのいっちゃんに抱きしめられているなんて想像しただけで変な感じがした。
(いや、別に抱きしめられてるわけじゃねぇし!)
オレが勝手に抱きしめられているなんて勘違いしているだけで、いっちゃんにそんなつもりはないはずだ。それなのに勝手に変なことを思って、どんどん恥ずかしくなってくる。それに、気のせいでなければいっちゃんのいい匂いもしているような気がして、心臓がバクバクしてきた。
(やばいやばい、このままじゃマジでやばいって!)
体がくっついているだけでも十分やばいのに、匂いがしたら駄目だ。いっちゃんの匂いを嗅ぐだけで、変な夢のことを思い出して居たたまれなくなってしまう。
きっかけは、たぶんシライ先輩に迫られたことだと思う。あの日、じつは変な夢を見たんだ。
なぜかオレはいっちゃんと一緒に寝ていて、そのいっちゃんが……いっちゃんが、オレの体にキスをする、なんていうとんでもない夢だった。ほっぺたや首から始まったキスは、腕や胸、お腹に移っていった。そのまま腰や太ももにもキスされて、最後にされたのはお尻だった。
(いやいや、あれは夢だし!)
夢だってわかっているのに、いっちゃんの匂いを嗅ぐと夢のことを思い出して下半身があらぬ状態になることがあった。ムラムラして、我慢できずにいっちゃんの部屋で何回か抜いたこともある。あんなことをするなんて初めてで、自分でもどうしたんだろうってものすごく戸惑った。
とにかく最近のオレはおかしいんだ。それなのにこんなに密着されて、いい匂いまでして、このままじゃオレの息子がとんでもないことになってしまう……!
「な? 動けないだろ?」
「い、いっちゃん……」
背後から体をギュッと包み込んでいた腕が、ようやく離れた。それにホッとしたのに、どうしてか少しだけ残念な気持ちになってしまった。
そんなふうに思ってしまった自分に驚いた。何を考えているんだよ! って、今度は違う意味でオロオロしてしまう。
「とにかく、男同士でも圭人 は気をつけたほうがいい。みんながみんな、僕みたいに紳士的なわけじゃないからな」
覗き込んで来た顔にドキッとした。
「わ、わかった」
ドキドキしているのを知られたくなくて、返事をしてからお湯でジャブジャブ顔を洗った。それでもドキドキは収まらなくて、いっちゃんの顔がまともに見られない。そのせいで、せっかく二人きりで堪能できるはずだった露天風呂から早く出たい、なんてことまで思ってしまった。
その夜、いっちゃんと並んで寝たオレは、珍しくすぐに眠ることができなかった。いつもならいっちゃんの匂いを嗅ぐだけであっという間に夢の中なのに、匂いを嗅げば嗅ぐほど落ち着かなくなる。
(オレ、どうしちゃったんだろ……)
そんなことをしばらく考えていると、ようやく眠気がやって来た。
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