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第6話 旅行で知ったいっちゃんのこと
次の日も教授が手配したマイクロバスに乗って、今度は何とか半島にあるマガイブツというものを見て回ることになった。
マガイブツって聞いても何のことかさっぱりわからなかった。よくわからないまま現物を見たオレは、口をあんぐり開けて見上げることしかできなかった。
(マガイブツって、すげぇなぁ)
あんな崖や岩に仏像を彫るなんて、昔の人たちは何を考えていたんだろう。それに、どうやってあんな場所にあんな大きなものを彫ったのかまったくわからない。
「全国にある磨崖仏の六割から七割が、この国東 半島にあるって言われてるんだ」
「へぇ……」
全国にこんなところがあるのもすごい。それをスラスラ説明できるいっちゃんは、もっとすごい。
「香野 くん、ちょっといい?」
「はいはい。圭人 、ちょっと一人にするけど大丈夫?」
「もう、オレ子どもじゃないってば」
「ははは、そうだった。じゃ、ちょっと待ってて」
研究室の人に呼ばれて、いっちゃんがいなくなった。
今回はただの旅行だって言っていたけど、オレにはやっぱり勉強を兼ねているように見える。周囲を見渡すと、半分弱くらいの人がタブレットや冊子みたいなものを見ながら、ああだこうだと話していた。
そういう物を持っていないのは、たぶんオレみたいについてきただけの人たちだ。そういう人たちは研究室の人たちから少し離れたところで、観光客っぽく周囲を眺めたり写真を撮ったりしている。
そんな中、いっちゃんはずっとオレの隣にいてくれた。いまみたいに誰かに呼ばれない限り、説明したり写真を撮ったりしてオレの相手をしてくれる。それがうれしくて、朝からずっとニヤニヤしっぱなしだ。
「あれ? 香野 くんは?」
「あー……、ええと、あっちに呼ばれて……」
「あぁ、山岳信仰の話が始まったのかな」
「さんがく……?」
いっちゃんがいたところに、ボーイッシュな女の人がやって来た。研究室の人で、たしか、いっちゃんより一つ年上だって言っていた気がする。
「それにしても、今回の旅行に香野 くんが参加するとは思わなかったなぁ」
女の人が、いっちゃんのほうを見ながらそんなことを言った。
「そうなんですか?」
「うん。だって、今回は磨崖仏を中心に見て回る計画だったからね。それに、九州には狼信仰で有名な神社仏閣はなかったはずだから」
「おおかみ……?」
「あれ、知らなかった? 香野 くん、大学時代から狼信仰を研究してたみたいよ? 旅行先が秩父だったら間違いなく参加するだろうけど、今回は九州だから来ないと思ってたんだよね」
「秩父って、埼玉のですか?」
「そうそう、その秩父。あそこには三峯神社っていう、狛犬ならぬ狛狼のいる神社があるし、ほかにもいろいろ狼で有名な神社があるのよ。奥多摩とか神奈川、都心にも関連した神社はあるけど、九州はなぁ……。あ、でも山岳信仰なら久住山があるから、それでだったのかな。最近、山岳信仰にも興味が出てきてたみたいだし」
……お姉さんの話している内容がさっぱりわからない。っていうか、いっちゃんが何を勉強してたかなんて、いま初めて知った。
「香野 くん、とにかく狼一辺倒でね。まぁ、だから秩父地域はすでに網羅してたんだろうけど。あ、ちなみに昨年は秩父に行ったんだけど、香野 くん、そりゃもう楽しそうにあれこれ説明してたんだから」
去年の大型連休は両親とじいちゃんの法事に行っていて、いっちゃんとはほとんど一緒にいられなかった。いっちゃんから研究室のみんなと資料を見に行くって話は聞いていたけど、秩父に行っていたのもいま初めて知った。
(今回と同じ人たちと行ったのかな……)
女の人たちも結構いるよなと思ったら、なんだかモヤッとしてくる。
「でね、教授より詳しいもんだから、香野 くんがほとんど案内することになってね。そうしたら途中で知り合った地元の人と仲良くなって、……わたしいま、その人と付き合ってるんだ。今回、香野 くんが来るってわかってたら、彼連れて来たのに。彼も香野 くんに会いたがってたから、残念」
「そうなんですね」
もしかして、いっちゃんってば恋のキューピットみたいなことまでしているんだろうか。たしかに何でもできるいっちゃんだけど、そんなことまでしていたとしたら、ちょっとすごすぎる。
(……でも、そっか。このお姉さんには彼氏、ちゃんといるんだ)
そう思ったら、ちょっとだけホッとした。そのまま少しお姉さんと話をしていたら、いっちゃんが戻って来た。
「ちょっと相川さん、圭人 をナンパしないでくれる?」
「やだなぁ、もう! わたしには貴志 がいるって知ってるくせに。っていうか、もっと早く香野 くんが来るってわかってたら、貴志誘ったのに。貴志も会いたがってたよ?」
「うん、今回はちょっとギリギリに決めたから」
「あ、もしかして、この子連れてくるために参加したとか? じゃなきゃ興味の薄い九州にわざわざ来ないよねぇ」
「うーん、興味がないわけじゃなんだけどなぁ」
「あはは、嘘ばっかり」
先頭を歩いてるグループに呼ばれたお姉さんは、笑いながら手を振って行ってしまった。
(……もしかしていっちゃん、オレのために今回の旅行に行くことにした、とか?)
もしそうだとしたら、すごくうれしい。でも、そうなのか聞くのはちょっとできそうにない。だって、もし違っていたら、あまりにも痛い奴になっちゃうだろ?
「そういや、旅館に戻る前に道の駅に寄るって言ってたけど、おじさんたちのお土産、そこで買う?」
「え? あ、うん」
いっちゃんが隣に立った途端に、いい匂いがふわっとした。昨日の夜もだったけど、気のせいじゃなければいつもよりずっと匂いが強い気がする。
……っていうかオレ、なんだってこんなにいっちゃんの匂いが気になるんだろう。そもそもいっちゃんは香水が苦手でつけないって言っていたから、匂いはオレの気のせいかもしれないのに。
(それだとオレ、マジで超痛い奴になるんだけど……)
「どうした?」
「あ、ええと、うん、道の駅でもいいし、旅館に置いてあったのでもいいかなって思って」
「じゃあ道の駅で見てみて、いいのがなかったら旅館で買おうか。どっちにしても瓶は重いから、宅配便で送ろう」
「うん」
そのあとも、いっちゃんの匂いが気になってどうしようもなかった。それに、匂いを嗅ぐたびに妙にドキドキしてしまう。由布院に戻ってから観光馬車に乗ったときも、なんとか街道ってお店が並んでるところを歩いているときも、いっちゃんの匂いばかりが気になってソワソワした。
(まぁ、それでも結構楽しんだんだけどさ)
初めて乗った馬車は楽しかったし、途中で食べた唐揚げととり天、それにドイツのチーズケーキもおいしかった。お土産に柚子胡椒とカボスのドライフルーツも買ったし、ドキドキしながらもすごく満喫したと思う。
いっちゃんからは「よく食べるな」って何度も笑われたけれど、買い食いの食べ物を勧めてくれたのも買ってくれたのも、いっちゃんのほうだ。いろんなお店を覗いて、あっちがおいしそうだとか、さっきの店のにしようかだとか、二人であちこち見て回って食べまくった。
(……なんか、デートみたいだったよな)
よくよく思い出すと、あれはデートって言ってもいい感じだった。そう思ってしまった自分が恥ずかしくて慌てて打ち消したけど……ずっとあんなデートをしてみたいって思ってたんだよな。
(そういや、元カノや元カレとちゃんとしたデートって、したことなかったかも)
出かけたりはしたけれど、全部近場だった。こんなふうに旅行したりなんて夢のまた夢で、そこまで親しくなる前に別れてしまっている。
(……ってことは、これがオレの初デートみたなもん、とか?)
いやいや、相手はいっちゃんだし、デートじゃないし。そんなことを思いながらも、どうしても口がにやけてしまう。
そんなこんなで旅館に戻ってきたオレは、いっちゃんと露天風呂を堪能してから食事処に向かった。
今夜は最後の夜だからってことで、研究室の人たちもほかの人たちも、前日よりもたくさんお酒を飲んでいた。いっちゃんも昨日は一杯だけだったのが、いま二杯目を飲み干したところだ。
オレはいっちゃんと約束したとおり、お酒は一切飲んでいない。代わりに旅館の人が勧めてくれた手作りの梅ジュースの二杯目を飲んでいる。梅ジュースのほかに手作りの梅酒もあるって聞いたいっちゃんは、三杯目をそれにした。
「それにしても圭人 くんって、ほんとかわいいなぁ」
「どうも」
「うふふ、ほんとーに美少女って感じ」
「ええと、アリガトウゴザイマス?」
「あはは、かわいーなぁ!」
いっちゃんが狼のことを勉強していると教えてくれたお姉さん――美咲 さんが、隣でお酒を飲みながらオレのことを「かわいい」だの「美少女」だの褒めちぎっている。
聞き慣れているから喜ぶほどのことではないけれど、相手はいっちゃんと同じ研究室の人だ。無視するわけにはいかないし、かといって何て返事をすればいいのか困ってしまう。
「こら、圭人 に色目使うなよ」
「そんなことしませーん。わたしは貴志ひと筋なんだからねー」
「はいはい、本当に仲良しだな」
「そうよー? わたしたち、すんごい仲良しよー? 圭人 くんたちも仲良しでしょー?」
「え!? あの、はい、仲良しデス」
「だよねぇ。九歳離れてるんだっけ? 幼馴染みって言っても、それだけ年が離れてるのにずっと一緒で、今回の旅行にも誘うなんて、すんごい仲良しだよねー?」
「あの、はい、ソウデス」
「あはは! 片言になっちゃって、かわいーんだから、もう!」
バシバシと背中を叩かれて、梅ジュースがむせそうになった。
(……そっか、仲良しに見えるんだ)
実際に兄弟みたいに仲がいいから、そう見えるのはおかしくない。それでも「兄弟みたいに仲良し」とは違う「仲良し」っていう言われ方に、どうしてかドキドキしてしまった。そのせいで返事が変になってしまうのが美咲さんにはおもしろいのか、「かわいー!」って言いながら、また背中をバンと叩かれてしまう。
「こら、強く叩くなよ。肌が白いから跡が残る」
「やだぁ。跡が残るって、香野 くん、お母さんみたい」
「一応、この旅行中は保護者だからな」
「あはは、そっかそっか。でも保護者っていうより、ええと、あれだ、彼氏って言うほうがあってるかな~」
(へ!?)
美咲さんの言葉に、心臓がびゅん! って飛び跳ねた。
「ほら、飲み過ぎだって。あとで貴志くんに言いつけるぞ」
「あ、それはやめて! ただでさえ最近飲み過ぎだって言われてるから、また怒られちゃう!」
「じゃあ、これが最後の一杯。ほら、圭人 はデザート、僕のぶんも食べていいから」
差し出されたのは、夕飯についていた半透明のゼリーみたいな和菓子だ。まだドキドキしている心臓をごまかしながら、半透明の和菓子をスプーンに載せてちゅるんと口に入れる。
「うわぁ、圭人 くんったら色っぽいなぁ。やばいやばい、おねーさんクラッとしちゃいそう!」
「え? は?」
デザートを食べただけなのに、どこに色っぽさが……? 何を言われたのかわからなくて、スプーンを持ったまま美咲さんをぽかんと見つめた。
「あー、駄目だね、これは。みんな酔っ払ってるし、面倒くさいことになってきた。圭人 、放っておいて部屋に戻ろうか」
「あ、うん。待って、全部食べるから」
慌てて残りのデザートを食べて、少しだけ残っていた梅ジュースも一気に飲み干す。座敷を出るときに振り返ったら、美咲さんはテーブルに突っ伏していて、ほかの人たちも寝たり騒いだりしていた。
(こういうところは、大学の飲み会と似たり寄ったりだな)
そんな感想を抱きながら、いっちゃんと座敷を後にした。
食事処は宿泊する建物の隣に立っているから、少しだけ庭を歩いてから渡り廊下に入って、そこから古い建物に入る。この渡り廊下は床が板張りで、歩くとキシキシ音がして灯りも少しだけ薄暗い。
きっとこれが風流ってやつなんだろうなぁと思いながらも、ほんの少し怖いと思ってしまった。さっきまですごく賑やかだったから、急に静かで薄暗い場所に入ると怖いような寂しいような気持ちになるアレだ。
わかっていても何だか心細くなったオレは、思わずいっちゃんにピタリとくっついた。するとふわっといい匂いがしてきて、それだけでホッとする。同時に、ちょっとだけムラッとしてしまいそうになってドキッとした。
「圭人 、露天風呂どうする? 最後の夜だし、もう一回入る?」
「おう。……って、いっちゃんお酒飲んでたけど、大丈夫?」
「このくらいなら大丈夫。せっかくだから入ろう。それにあの人たちは入らないだろうから、また貸し切りだよ」
貸し切りって言葉にまたもやドキッとした。でも広い露天風呂でいっちゃんと二人きりなんて、今度はいつ体験できるかわからない。それにいっちゃんは大浴場が苦手みたいだから、あんな広い温泉に入るチャンスは今後ないかもしれないってことだ。
そう思ったら、絶対に入らないとと思った。オレは大きく頷いて、少し足早に部屋に入った。
(ええと、タオルと……それ以外はいらないかな)
夕飯前に頭も体もしっかり洗ったから、洗う用の小さいタオルとかは必要ない気がする。じゃあバスタオルだけでいいかと思いながら、「いっちゃん、タオル以外に何か持って行く?」と振り返った。
「……っ、びっくり、した」
目の前にいっちゃんが立っていて、本気でびっくりした。どうしたのかと思って見上げると、「口、ついてる」って笑いながら顔が近づいてきた。「え?」って身動きできないままじっとしていたら……唇の右の端っこを、いっちゃんのベロがぺろって舐めた。
びっくりしすぎたオレは、その後どうやって露天風呂まで行ったのかまったく覚えていない。気がついたらいっちゃんと露天風呂に入っていて、予想どおり借り切り状態だったのを堪能した……と思う。あの薄暗い渡り廊下も歩いたし、露天風呂の中では普通に次の日のことも話した……はず。
気がついたら部屋に戻っていて、暗い中で布団に入っていた。隣を見たら、いっちゃんがすやすやと眠っている。
(……口、ベロで舐められた、よな……)
思い出したら、顔がカッとした。
(いっちゃんのベロがオレの口、口の横を、ペロッてしたよな!?)
何度思い出しても、あれはペロッとされたので間違いない。それなのに、いっちゃんはいつもとかわらない様子で、露天風呂でも普通に見えた。オレばっかりがドキドキして、おかげで最後の露天風呂だったのに堪能することができなかったくらいだ。
(……もしかして、こういうのって普通のことなのか? ドキドキしてるオレがおかしいのか……?)
オレは長い時間、布団の中でああでもないこうでもないと、のたうち回っていた気がする。それでもあちこち歩き回った疲れがあったのか、いつの間にかスコンと眠っていた。
次の日、目が覚めたらいつもどおり先にいっちゃんが起きていた。「おはよう」って、言われて「おはよ……」って返事をしたけれど、あまりにいつもどおりすぎて一瞬旅館に泊まっていることを忘れそうになった。
(……あれ? 昨日のベロでペロッとされたのって、もしかして夢だった、とか……?)
あまりにドキドキすることが多くて、昨夜のことが本当だったのか夢だったのかわからなくなった。オレは頭をひねりながら、とりあえず着替えることにした。
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