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第7話 気になること
大型連休が終わったからか、ちょっと暑くなってきたからか、それとも鬱陶しい雨の季節が近づいているからか、みんなダラッとしている気がする。まぁオレも似たようなもんだから、人のことは言えないんだけど。
ただしオレの場合は、ダラけているっていうのとは少し違う。いっちゃんのことばかり考えていて、それで講義にもほかのことにも集中できないって感じだ。
「はぁ」
「うわ、また美少女……、じゃなかった、美少年の色っぽいため息出た」
「美少女」って言葉で睨んだからか慌てて「美少年」って言い換えたけど、それもどうなんだよ。そもそも少年って何歳までのことを言うんだ? そんなことを思いながら隣の奴を見る。
「なんだよ、色っぽいって。意味わかんねぇし」
「え、おまえ知らないの? 結構噂になってんのになぁ」
「噂ってなんだよ」
「『かわいいイケメンが色っぽいため息ついてる姿、超ステキなんだけどー!』って、ほかの学部の女の子たちも騒いでるぜ?」
「……はぁ」
「お、連続ため息、いっただき~」
なにバカなこと言ってんだと、騒いでいる奴を睨んだ。
「いや、マジな話、たしかに色っぽくなったと思うぞ?」
「はぁ?」
ほかの奴にまで変なことを言われて、まとめて睨んでやった。
「だから睨むなって。大学入ってからずっとおまえとつるんでるけど、いまのおまえならクラッとするのもわかる気がするなぁって思っただけだよ」
「あー、俺もそう思った」
「だろ?」
「前から美少女バリの美少年だったけど、言っても男だからなぁ。告白する男の気持ちなんてわからねぇと思ってたけど、いまならわかる気がするわ~」
「そうそう、圭人 が相手なら、危ない扉を開いてもいいかもって」
「何言ってんだよ」
「あはは! 冗談だって。でも、そう思うくらい変わったと思うぞ」
「そうそう。それに、明らかにおまえを見ている奴も増えてるしな」
周りにいる奴らが「よっ、色気王子!」とか「モテキング!」とか頭の悪そうなことを言っている。それを聞き流しながら、またため息をつきそうになって慌ててそっぽを向いた。
こいつらの言葉じゃないけど、たしかに最近ちょくちょく見られている気はしていた。なんとなく視線を感じて振り返ると、こっちをじっと見ている男と視線が合うことが多い。かといって、前みたいに告白されるってことはない。
「……そういや、女の子からもコクられないな」
前は彼女がいるってわかっていても告白されることが結構あった。でも、ここのところはまったくない。オレが誰とも付き合ってないということは知れ渡っているっぽいのに誰からも告白されないなんて、いつ振りだろうってくらい静かだ。
代わりに数人の女子に囲まれることはあった。でも、いつも「超かわいい!」だの「やばい、イケメンすぎて尊い~」だの言うだけで、最後は「目の保養ができた」とか何とか言いながら去っていく。
告白されたところで付き合う気は全然ないからいいんだけど、それにしても「目の保養」って何なんだ。オレは花見の桜か何かか。
そんなことを思いながら、もう講義もないし帰ろうと思って席を立った。周りの奴らに手を振りながら「おまえら、変な噂流すんじゃねぇぞ」と、一応釘を刺しておく。
学食を出て、ここからなら中庭を通り抜けたほうが近道だなと思ってメイン通りを教育学部等の手前で曲がった。そこから中庭に入ったところで、後ろから声をかけられた。
「あの……!」
振り返ると、若干顔を赤くした眼鏡の男が立っている。
「なんか用?」
たぶん……いや、これまでの経験上、この雰囲気は絶対に告白だなと思いながら男の顔を見る。
見覚えはないけれど、こんなへんぴな場所にいるってことは同じ大学の奴なんだろう。細めの黒縁眼鏡は結構いい線いっているけど、オレより少し高い程度の身長っていうのは残念だ。
(ま、たとえ背が高くてストライクゾーンど真ん中だったとしても、付き合う気なんてまったくないけどな)
いまのオレはいっちゃんのことを考えるのに忙しいから、誰かと付き合う時間なんてない。
「あの、俺、坂上くんのこと、……っ」
一歩近づいた男が、ピタッと動きを止めた。どうしたんだと思って顔を見たら、眉を寄せて苦しそうにしている。
「……どうかしたのか?」
オレの声に一瞬パァッとうれしそうな顔になったけど、次の瞬間にはまた苦しそうな顔に変わった。
もしかして体調でも悪いんだろうか。そんなときに声なんてかけてないで、体調がいいときに告白すればいいのに……思わずそんなことを思ってしまった。
「用事がないなら帰りたいんだけど」
「あ、いや俺、きみのことが、……っ!」
慌てて返事をした男が、一歩オレに近づこうとした。ところがすぐに足を止めて、今度は顔全体を歪めて苦しそうに呻いている。
(だから、告白は体調が万全なときにやれって……)
断ろうにも、体調が悪そうな様子を見たら気になって返事をしてもいいのかためらってしまう。このまま帰ったとしても、「あの人どうしたんかな」なんて後で気になりそうで嫌だった。
「おい、ほんとに大丈夫かよ?」
「俺、坂上くんが、す……、っ!」
何か言いかけたとき、男の上半身がグラッと揺れてびっくりした。慌てて手を伸ばしたら、オレの手が届く前に男が後ろにあったベンチに座ってホッとした。
うな垂れる前にチラッと見えた顔は真っ青だった気がする。つまり、そのくらい体調が悪いってことだ。
「何か用事があったとしてもさ、体調悪いときはやめたほうがいいと思うぞ?」
「……」
男は俯いたままで返事はない。
「これ、水、よかったらどうぞ。あ、ちゃんと未開封だから」
リュックからペットボトルの水を取り出して、男の隣に置いた。本当に大丈夫かなと思わなくもなかったが、水を置いたときに「ありがと……」って小さな声が聞こえたから、きっと大丈夫だろう。
少し歩いてチラッと振り返ると、男はまだベンチにぐったり座ったままだった。でもオレが置いたペットボトルを持っていたから、意識を失ったりはしていないってことだ。「じゃあ大丈夫か」と思ったオレは、さっさとその場を後にした。
「はぁ。なんだったんだかな」
告白しようと思って緊張していた、とか? ……もしかして、告白じゃなかったとか?
「いや、あれは間違いなく告白しようとしてたよな」
自慢じゃないが、これまで何十回と告白されてきたオレには、雰囲気みたいなもので告白されるんだってことがわかる。さっきの男も体調が変わるまでは熱っぽい目でオレを見ていたし、オレに告白してくる男は全員がああいう目で見てきたから間違いない。
「あーあ、こんなことに詳しくなっても全然うれしくないのになぁ」
告白されるってわかったところで、相手が自分の顔だけが好きなのか、それともほかも好きなのかわからないんじゃどうしようもない。顔だけ好きになられて、それでいい雰囲気になる前にフラれるなんて、もう懲り懲りだ。
そんなことばかりだから、オレってそんなに中身がダメのかよって思ってしまう。いっちゃんには言っていないけど、じつはちょっとだけショックを受けていたりするんだよな。
「……あー、こんなんじゃダメだ。よし、いっちゃんちに行こう」
気になることは多いけれど、いっちゃんに会えば元気になる。そう思ったオレはリュックに合鍵が入ってるのを確認して、いつも使うのとは違うほうの駅へと向かった。
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「お邪魔しまーす」
小さな声で挨拶をしながら部屋に入った。まだ早い時間だから、いっちゃんは大学から帰っていない。知ってはいるけれど、つい「お邪魔します」って言ってしまうのは条件反射みたいなものだ。
「それに、何も言わずに入るのも変な気がするし」なんて言い訳みたいなことを言いながら誰もいない部屋に入る。いつものようにソファにリュックを置いたら、ふわっといい匂いがした。いっちゃんがいないからいつもより弱いけれど、たしかにいい匂いがする。
「やっぱり、これっていっちゃんの匂いだよなぁ」
香水や部屋に置く消臭剤みたいなキツイ感じはしない。何の匂いかわからないけど、いっちゃんの匂いだってことはわかる。すっきりした甘さというか、ちょっと爽やかな柑橘系っぽい感じもする不思議な匂いだ。
この匂いを嗅ぐと、やっぱりホッとして眠たくなる。それこそ条件反射みたいなもので、匂いを嗅いでムラムラしたりしたのは欲求不満だったからに違いないと思った。
「昨日も抜いたし、匂いを嗅いでもムラムラはしないし……。ってことは、やっぱり欲求不満だっただけか」
そう思ったらホッとした。だって、いっちゃんの匂いでムラムラするなんて、オレがおかしくなったのかと思って不安だったんだ。
「ふぁ」
ソファに座った途端に匂いが強くなった気がした。ホッとしたのもあるからか、あっという間に眠気に襲われる。
そういえば最近、いっちゃんの部屋に来るとすぐに眠くなるようになった。前から眠くなることはあったけど、耐えられないくらい眠くなるのは最近になってからだ。
でもってそのまま居眠りをしてしまうから、帰って来たいっちゃんに笑いながら起こされるのがお決まりになっていた。
「今日こそ、ちゃんと起きてようって思ってたのに……」
ダメだ、もう瞼が閉じてしまいそうだ。それでも起きるんだと頑張っていたオレだったけれど、結局我慢できなくなってソファにゴロンと横になってしまった。
チクッ。
……首のところがチクッとした気がした。もしかして、また虫に刺されたとか……?
(……でも、部屋に虫なんていなかったよな……)
部屋に来てから一度も窓を開けていないし、ブーンって嫌な音も聞こえなかった。
「……あぁ、また嫌な匂いがしてる」
……いっちゃんの声がする。いっちゃんが大学から帰って来たってことは、もう夕方ってことだ。ってことは、部屋に来てから二時間以上も居眠りをしていたことになる。
オレは「また居眠りしちゃったや」なんて思いながら起き上がろうとしたんだけど、どうしてか体が全然動かなかった。
(……体、動かねぇ)
頭は何となく目が覚めているのに、体はまだ眠っているのか全然動かない。気持ちは起きる気満々なのに、やけに体が重くて手も足も動かせなかった。
「圭人 は本当にモテるなぁ」
いつものように、しみじみとしたいっちゃんの声が聞こえる。寝ているオレを見ながら何言っているんだよ、なんて突っ込んでしまった。っていうか、気持ち的には「もう、いっちゃんってば何言ってんだよ」って笑って起き上がろうとしたのに、口も動いてくれない。
「こうしてマーキングしていても不安になる」
(…………マーキング?)
聞いたことのない言葉にはてなマークが浮かんだ。
いままでいっちゃんから「マーキング」なんて言われたことは一度もない。マーキングしていて、って、どういう意味なんだろう。
(っていうか、マーキングって、あのマーキング?)
オレが知っているのは犬とか猫とかがする、あのマーキングだ。もしオレが考えているマーキングだとしたら、どうしていっちゃんがそんなことを言うのかますますわからなくなった。
チクッ。
あ、また首のところがチクッとした。痛くはないけど、何かに刺されたような感じがする。……いや、刺されたというよりも何かに摘まれたような、もしくは吸われたような感じだ。
どっちにしても、もし虫がいたのならいっちゃんが追い払ってくれるはず。それなのにそういう気配がしないってことは、虫じゃないってことだ。
(じゃあ、何に刺されたんだ……?)
それも気になるけど、とにかく起きないと……そう思っているのに、体のどこも動いてくれなかった。そのうちまた眠くなってきて、意識が少しずつ薄れていく。
(……なんか、頭撫でられてる気がする……)
小さい頃、いっちゃんに頭を撫でられながら寝るのが好きだった。そのときと同じ感触を頭に感じて、うつらうつらしてくる。
結局オレは、ちゃんと起きられないまま二度寝をしてしまった。目が覚めたとき、いっちゃんに笑われたからか空腹だったからか、首のあたりがチクッとしていたことをオレはすっかり忘れてしまっていた。
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