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B/1

 朝、大通りで手島を見かけた小崎は、一緒に歩いていた友人に断ってから駆け寄った。 「手島!」 「小崎」  振り返った手島は、小崎の姿を認めると顔をほころばせた。表情は久々に晴れやかだ。 「あれ? 今日一人かよ。いつも一緒にいるやつは?」 「ああ、置いてきた」 「……ふうん」  手島は、小崎を横目で見て意味ありげに笑う。 「……なんだよ」 「べっつにィ」 「ちぇッ。わざわざ来てやったのに」 「もっと早く来いっつーの」 「うるせえよ」  こうして並んで歩きながらも、小崎は未だに実感できずにいた。  昨日、帰ってから思い出そうとしても、すべてが曖昧で(おぼろ)げだった。あれは本当に、現実のことだったんだろうか。欲望が見させた夢ではなかったか。  打ち明けて、実は両想いで、抱きしめて、キスをする。想像ならいくらでもした。なのに、いざとなると体は凍ったように動かなかった。自分から言うことはあっても、まさか言われるとは思ってもみなかったのだ。  隣を歩く手島の横顔は飄々(ひょうひょう)としたものだ。息が詰まりそうなほど鼓動を早くさせている小崎には、気づいた様子もない。  朝の電車は常に満員だ。車両の片隅の窓際に立てたのはいいものの、人込みは容赦なく二人を壁に押しつける。知らず知らず半身が重なって、手島の口元が小崎の耳のすぐ横に来た。 「すげえ混むな」  息がかかるほど近くで言われて、小崎は思わず首筋を震わせた。体がふれているという事実だけで、動悸が早くなる。 「小崎?」 「お、おう」 「苦しいのか?」 「まあな。身動きできねェとキツイよな」 「だよな。やっぱ朝は遅れて行くに限るぜ」  半身だけが、火照っているように熱い。妙に強ばっている。それが手島に気づかれてはいないかと、考えれば考えるほど、余計に落ち着かなくなった。 「今日さ、何限まで?」  もうすぐ手島の下りる駅に着くところだった。耳元で問われ、小崎は小さく息をのむ。 「六限だけど」 「午後からサボれば」 「ッ、ダメだ。ンなこと」 「大事なのは小テストなんだろ?」 「ダメだって」 「駅でな」  そう言って手島は、器用に体をねじって人の間に割り込むと、小崎に答えるヒマを与えないまま停車した駅へと滑り出た。進み始めた電車の中で、小崎は思い出した。手島は昔から、こうと決めたら強引なまでに引かないところがある。そして小崎は、そんなところが好きだったのだ。  昼下がり、電車はいつもと変わらずゴトゴト揺れる。昨日だってこんなふうに揺れていた。しかし、昨日と今日は違う。あきらかに違うのだ。  二日続けての早退は、普段から決して真面目でない手島にはけっこうヤバイ。しかし、そんなことは言ってられない。内申よりも大事なものは、この世にたくさんあるのだ。  駅を出てすぐの、植え込みのわきに、小崎はいた。うつむいて、落ち着かなげに片足を動かしている。手島に気づくと、憮然とした表情を向けた。 「……遅ェ」 「やっぱ来たか」 「おまえが来い、っつったんだろ」 「へへ、マジ嬉しいな」  手島が駆け寄ると、小崎は向き合うのをさけて歩き出した。 「なあ、何つって帰ってきたんだよ」 「……頭痛」 「おまえ、高校行ってちょっと真面目になったよな」 「そういうフンイキなんだよ、しょうがねえだろ」  昨日と違って、今日の帰り道は心が弾んでいる。風景も違って見えた。車の行き交う大通りも、騒がしい商店街も、寒々しい小川も皆華やいでいる。 「……おじゃましまーす」  誰もいないと聞いていても、小崎はつい、口に出して玄関を上がった。毎日のように訪れていた去年までならいざ知らず、久しぶりでまだ二度目の手島の家は、昨日はどこか冷たく、しかし今日はどこか、明るく見えた。 「ババアは夕方にならねえと帰らねえよ」 「おばさん、まだ看護士やってんのか?」 「おお。半年やそこらで変わるかよ」 「まあ、そうだな」  階段を上がり、小崎から部屋に入った。と思った次の瞬間、小崎は後ろから、手島に抱きすくめられていた。 「てッ、手島ッ!」 「あー……実感……」 「え、え?」 「……なんかさあ、実感なくてよ。昨夜(ゆうべ)からずっと。ずっとこうしたくってさあ」 「う……ん」 「おまえは?」 「……俺も。現実って感じ、しなくて」 「だよな。ウソみてえだよな。でも、現実だよな、コレ」  手島の腕は、後ろから小崎をとらえて離さない。肩に、手島の顎がのっている。息遣いが伝わってくる。 「そ……う、だな」  ほんの少しだけ、身体を預けてみる。手島の腕に、手を重ねてみる。 「……おまえさ、昨日からすっげえ、緊張してるだろ」  耳元でそう囁かれて、小崎は息を詰まらせた。否定はできなかった。 「だって、するだろ、やっぱ」 「まあなあ。フツウじゃねえもんな」 「……やっぱ、まずいかな」 「何が」 「だって、普通じゃねえだろ?」 「……そりゃ、別に、いいんじゃん?」 「……そうかな」 「だって、普通じゃなきゃいけねえってことねえだろう」 「……そっか」 「何がフツウか知んねえけどさ、おまえらの学校から見たらオレらの学校は普通じゃねえんだろうし、普段真面目に授業受けてるやつらから見たら、サボってばっかの俺はフツウの生徒じゃねえってことになるな。俺は自分がしたいようにする。それが普通じゃねえってんなら、別に普通じゃなくていいさ」  手島の言い様はいつもまっすぐで、意見がはっきりしてる分、隠しようがない。それで損をすることもあるだろうが、本人が損をしたと思っていないところが清々しい。  首だけで振り返ると、すぐそばに手島の顔があった。自然と、唇が重なった。そうすることが嘘みたいで、まだ気恥ずかしい。頬が紅潮するのを悟られないよう、すぐに前へ向き直った。 「……小崎」 「……ん?」 「俺、おまえに触りてえ」 「……触ってんじゃん、今」 「こういうんじゃなくて」  意味を理解するのに、しばらくかかった。その間に手島は小崎への拘束を解き、手をひいてベッドまで誘導した。 「ッ、手島ッ」 「え、ダメ?」 「ダ、ダメって、な、何が」 「何って、俺、おまえに触りてえんだって」 「んなこと、言ったって」 「まあいいから座れ」  促されるまま、小崎は手島と並んでベッドに腰かけた。 「あ、そういや新しいCD買ったんだった。ロッカー・ストレイツ、聴く?」 「あ、聴く聴く」  逃げ道を確保したかのように、小崎は勢いこんで答えた。手島はベッドサイドに置かれたコンポを操作している。 「先月出たばっかの新譜だぜ。俺、五曲目が好きなんだ」 「へえ。今回のはどう」 「めちゃめちゃいいな。なんか感じがさあ、最初のころと似てんだよな。ギターソロがかっこイイんだよ」  タイミングよく、ギターの音でイントロが始まった。重低音のリズム隊が重なって、単調なわりに攻撃的なボーカルが入ってきた。このバンドのCDを聴いているときの手島は機嫌がいい。子供のように嬉しそうな手島を見るのは、小崎も楽しかった。  その横顔をみつめていると、不意に手島が振り返った。  そしてなんの脈絡もなく、小崎を押し倒した。

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