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 すべてが、夢の中のようだった。  家に帰って眠って起きたはずなのに、まだ思考がうまく働かない。それは、結局のところ一昨日からずっとだ。このところ、小崎は一日中ぼんやりとしていた。誰かに何かを言われていても、頭の中まで入ってゆかない。この朝だって例外ではなかった。隣を友人が歩いているはずなのに、前方に手島の姿が見えたとたん、まだ途中の会話を遮って駆け出した。 「小崎?」 「悪い、先行ってて」  手島は、通りが終わる交差点の信号機にもたれていた。小崎を見つけると、急に破顔した。嬉しそうに近寄ってくる。 「よっす。元気?」 「……元気だよ」 「ふうん」  駅までの道のりはほんのわずかだ。電車に乗っても一緒なのは数駅のことで、とてもじゃないが物足りないと手島は思う。できることなら一日中一緒にいたい。こんなことなら同じ学校へ行けばよかったと思って、いやそんなことは天地がひっくり返ったってムリだろうと思い直した。頭の出来がまるで違う。 「なあ、今日、テストあんの?」 「今日は委員会がある。文化祭の。今日はマジでムリだぜ。いくらなんでもサボれねえ」 「げ、マジで?」 「マジだよ」 「えー、じゃ、今日会えねえのかよ」 「……ちょっと遅くなるからな」 「えー、そんなのってねえよ」 「ンなこと言ってもさ」  手島はすねた子供のようにその場に立ち止まった。 「おい、何してんだよ」 「だって、今だけなんだろ? 電車乗っちまったら、降りなきゃいけねえんだぜ?」 「ンなこと言っても、学校遅れるぜ?」 「くー、サボりてえ」 「俺は行くぜ」 「あっ」  歩き出した小崎に、手島は文句を言いながらついてきた。 「なんだよ、薄情なやろうだなっ。おまえは残念とか思わねえのかよっ」 「思うけど、しょうがねえだろ。一日中、一緒にはいられねえだろ」 「いや、違う。思ってたらそんなこと言わねえはずだ。しょうがねえとか」 「じゃ、どう言やいいんだ」 「好きって言えよ」 「バカか、おまえはっ」 「じゃさ」  手島は唐突に、耳元へ口を寄せてきた。小崎は思わず身構えて、身体を硬くした。 「な、何」 「キスだけ」 「は?」 「キスだけしようぜ」 「い、今?」 「そ」 「ばっ、ばかじゃねえの? できるわけねえだろ、こんなとこで」 「ここじゃねえよ。あっちあっち」  手島が指さしたのは、駅のトイレだった。小崎の腕をとって引っ張ってゆく。 「ちょっ、待てよ」  小崎の反論など、もちろん手島の耳には届いていなかった。 「……ン」  電車の発車ベルが聞こえた。  これで二度目だ。次の電車を乗り過ごしたら、もう間に合わない。  人目をしのんで個室に入ってから、もう何分、ただひたすら唇を重ねているだろう。次第に、身体が疼いてくる。 「……てしま、もう、ダメだ」 「もうちょっと」  さっきから、同じ会話を繰り返している。深く唇を合わせて、お互いの舌を吸ったり()んだり、歯をなぞってみたり、そんな行為が小崎にとっても心地よくて、振り払えずにいる。でもいい加減、時間だ。 「もうダメだ。俺、行くから」 「な、小崎」 「え?」  鍵を開けようとした手を止められて、耳元に手島の声がした。 「頼みがある」  同じ台詞を、昨日聞いた。おかげで、素直に頷くことができなかった。 「……何」 「あのさ」 「何」 「昨日のさ、すっげ良かったよな」 「……何言ってんだよっ」 「思わねえ?」 「お、思う、けど」 「また、したいよな」 「……」 「な?」 「……おう」 「でさ」 「だから、何なんだよっ。早くしろよっ」 「入れさせて」  囁かれた言葉に、小崎は一瞬、固まった。いまいち、意味がつかめない。 「……は?」 「だからさ、入れさせてくんない?」 「って、どこに」 「どこって、ケツの穴しかないじゃん」 「ケっ」  小崎は、息をのんだ。間近でみつめる手島の顔つきは、いたって真面目だ。 「は、は、入るわけないだろっ、そんなとこに」 「入るって。フツウなんだぜ、男同士なら」 「な、なんで知ってんだよ、そんなことっ」 「そりゃまあ、情報はいろんなとこから入ってくるもんだよ。本とか、ネットとか」 「やっ、やっ」 「……ダメ?」 「だ、だって、痛いだろ」 「そりゃまあ、最初は痛いだろうけどさあ、そのうち、すっげ良くなるらしいぜ」 「そんな、急に言われても」 「まあ、考えといてよ。な?」 「か、考えるって」  三度目の発車ベルが聞こえた。 「あ、ほら、そろそろ乗らないとヤバイぜ。行こう」  手島に引きずられるようにしてトイレを出た小崎は、足をもつれさせながらどうにか電車に乗りこんだ。手島は飄々とした顔をしている。小崎の頭はいっぱいだった。  ケツの穴に、つっこむって?  アレを?

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