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 とは言ったものの、平均的健康優良青少年が、わき起こる性欲を我慢するのは容易なことではなかった。  あれ以来、もちろん小崎は普通に接してくれたし、キスや多少触れたりするくらいは、許してくれた。でも、最後のところまではまだ、覚悟がつかないと言って拒んだ。  一度言ったことは、翻さない。男なら当然のことだと、手島は思う。小崎がいいというまでしない。約束は約束だ。しかしやはり、それだけじゃ物足りないのも、しょうがないことだと思うのだ。 「てーしまっ。どうしたの、またうなだれちゃってえー」  魂の抜けたような顔を机にくっつけている手島のところへ、救世主諒子が寄ってきた。無邪気に笑う顔はやはり可愛い。 「ね、そういえばどうなった? こないだ、彼女とケンカしたって言ってたの」 「あ、あれね。なんとかなったわ。サンキュな、あんときは」 「でっしょうー! やっぱすごいな、あたし」 「おう。すごいぜ諒子」 「……にしては元気ないじゃん。どしたの? またケンカ」 「いや、ケンカはしてねーんだけどさあ」 「なに、じゃ、欲求不満?」  手島は驚いて、思わず顔を上げた。 「すげ、おまえ、ちょーのーリョクシャ?」 「やだー、マジ? 手島を欲求不満にしちゃう彼女って、すごーい」 「すごくないでショ」 「なになに、イヤって言われンの? ヤラしてくんないの?」 「ヤラしてくんないの」 「まいっちゃうねー、それ。大変じゃん」 「おう。ヒジョーに大変よ」  悲愴な表情を浮かべてうなだれる手島に、諒子はケラケラと笑った。 「前途タナーン。身体はオンナの武器なのにね。ダシオシミ?」 「さあなあ。知らねーよ、もう」 「あ、手島、ヤケになってるね?」 「ヤケにもなるっしょ」 「じゃ、諒子がヤラしてあげよっか?」  クリンと丸くした瞳が、すぐ目の前にあった。諒子が愛らしい笑みを浮かべている。 「……どうしよっかな」  実のところ、諒子とシたことがなくはなかった。前に一度だけ、シている。  高校に入って手島は、手当たりしだいに女の子と関係を持っていた。頭の中で小崎の存在がどんどん大きくなって、その感情が欲望をはらんでいて、それをなかなか認められなくて、ビビッて、頭の中から追い払おうとした結果、手っ取り早く欲求を解消しようとした。相手は基本的に友だちの友だちとか、先輩の知り合いとかで、すべて、割り切った遊びの延長だった。同級生では諒子だけで、諒子もどうやら手島以外にセフレがいるようである。  欲求は、どんどんたまってくる。このままじゃ、嫌がる小崎をムリヤリ押し倒してしまいそうだ。それだけは避けたい。同じことをして、また小崎を怒らせるわけにいかない。じゃ、どうすればいいというのだろう。  目の前で、諒子がほほえんでいる。  木曜の午後はうららかだ。サボリには絶好の日和だった。 「あれが沢高ですね」 「小崎は、初めて見るのか?」 「このへんはあまり来たことなくて」  小崎の通う光英高校から、駅三つ分離れた地域の河川沿いに、沢尻工業はある。まわりは田畑に囲まれたのどかな立地だ。町の喧騒の中にあって、常にクラクションの音が教室に響いてくる光英に比べると、同じような造りのはずの校舎もどこか落ち着いて見える。もちろん、その内部は落ち着いてなどいないことは、噂で聞いている。強面(こわもて)の教師が木刀を持ってうろついているとか、校舎裏や屋上には絶えずタバコの吸い殻が落ちているとか、まあそんな程度の、よくある噂だ。  それでも小崎は、そこに手島がいると思うと、噂も何も関係なく、学校自体がいとしく思えた。 「もう少し歩くみたいだな。思ったより距離があったか」  光橋が独り言のようにつぶやいた。駅を離れて、かれこれ二十分は歩いている。  堤防沿いから沢高が見えたとき、うまくすれば手島に会えるのじゃないかと期待したが、そんなわけはない。普通の高校は授業中だ。光英高は文化祭が近いため、今日はその準備に午後いっぱいがあてられているだけだ。小崎は、光橋につき合って、屋台の材料の手配に訪れている。  最近、小崎は、なんだかとても、幸せだった。こんなにも幸せで、いいのかと思う。好きな人に好かれているというのは、その事実だけでも天に昇るような心地にさせる。まさに、夢心地だ。おかげで気分はすっかり浮ついて、文化祭の準備どころじゃない。足元が常にフワフワとして、知らず知らず、顔がにやけてしまう。光橋に注意されたことも一度や二度じゃない。 「最近、変だぞ、小崎」  あるとき、委員会終わりに光橋に言われた。 「あ、すみません、俺、なんか」 「いや、別に謝ることじゃないけど、何かいいことでもあったのか?」 「えっ?」 「すごく嬉しそうだからさ、最近」  そこから先は、適当に濁しておいた。  本当のことなど言えるわけもないし、嘘を言ってもボロが出ると恐い。ただどうしても、感情をうまく隠すことができないのだった。  しばらく歩くと、堤防沿いの道から一段低くなったところに、けばけばしい外装の建物が連なり始めた。学校から距離をとってコンクリートの堤防に隠されるようにして並ぶそれらは、いかがわしい種類のホテルだった。つまりラブホテルだ。 「すごいな。学校のこんな近くにこんなホテルがあるなんて」 「……すごいですね。まさか学生は使わないですよね」 「どうだろうな。沢高の生徒なら」  言うそばから、下の道に学生服の人影が見えた。たいして隠れもせず、堂々とホテルの前を歩いている。視線を上げなければ小崎たちに気づくことはないだろうが、小崎のほうからは見えているので、勝手に気まずく思う。 「……信じられないな。こんな昼間っから」  呆れたように光橋がそう言ったとき、小崎は言葉を失った。  信じられないのは、小崎の方だ。  なにかの間違いだ。  そう思いたかった。  そんなはずはない、だって。  何度瞬きをしてみても、事実は曲がってくれなかった。  つい今し方、ホテルの入り口を抜けたカップルの片方は、小崎が見間違うはずのない、手島の姿だった。

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