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 あの幸福は、どこへいってしまったんだろう。  重苦しい気持ちで、小崎はため息をついた。  昼休み、教室の中はざわめいている。頬杖をついて外を眺める窓際の小崎の席周辺は、居心地がいいのか、呼んでもいないのに級友が集まる。今も、暗い表情の小崎になどおかまいなしで、数人が雑談に興じている。  昨日まであれほど幸せだったのが、たった一日で崩れ落ちた。あの、たった一瞬だ。いっそ、見なければ良かったとさえ思った。知らなければ、こんな救いがたい状況にはならなかった。  でも、もうなかったことにはできない。小崎は目撃してしまったし、第一、知らないところでそれが行われているとすれば、それこそ醜悪だ。  ふっ、と、嫌な想像が頭をよぎる。あれは初めてだったのだろうか。もしかして、今までも幾度となく繰り返された行為だったのだろうか。 「っていうか、やらせてくれない女ってサイアクじゃん?」  唐突に、そんな台詞が耳に届いた。前の席に横座りしている槙田だ。手にしている雑誌のひらいたページは、エッチ系の特集だった。 「そりゃ男も浮気するよな」  ドキッとして、思わず小崎は訊ねた。 「そういうモン?」 「え、そりゃそうだろ。だってさ、いいとこまでいって、イヤなんてさ。サイアク」 「だって、怖いのかもしんないぜ?」 「おまえ、やっさしいのな。でも気をつけろよ、おまえって騙されやすそうだから」 「なんだよ、それ」  槙田の言葉に、まわりの友人たちも苦笑する。 「考えてもみろよ、イヤってのは、本気じゃないってことだろ。本命じゃないってことだよ。そりゃ、最初はそうかもしれないぜ? 初めてだったらまあ、怖いってのもしょうがないかもな。でも何回も断るやつは要注意だよな。他に男がいるよな」 「そ、んなことないだろ」 「だからおまえは騙されるんだって。だって嫌がるってのはさ、相手の気持ち考えてないってことだろ? その気になった男がガマンすんの、マジで大変じゃん。本気で好きなら、最初は痛いのなんか当たり前だし、やっぱりガマンして受け入れるもんじゃねえ?」 「……そうかな」 「そうだって」  そうなのだろうか。小崎は皆にばれないよう、息をのんだ。  もしかして、徹底的に嫌がっている自分がおかしいのだろうか。  たしかに、自分が逃げているという自覚はある。とにかく痛いし、気持ち悪いし、怖い。  手島は嫌がる小崎を尊重して、ずっとガマンしてくれていた。他の女と寝てしまったのは、小崎のせいなのだろうか。 「エッチなしのつきあいなんて、不可能だよな。やっぱ、好きな子とはしたいよな」 「……それ、性欲だけだろ」 「男から性欲とったら何が残るんだよ。子孫繁栄のために生れつき備わった本能だよ小崎くん。抗うことなんてできねえの」  本能。性欲。浮気。思考がごちゃまぜになって、何が正しいのかわからなくなった。怒ればいいのか悲しめばいいのか、感情すらも定かにならない。  実のところ、正しいことなんてないのかもしれない。自分がどう思うのかが、重要なのだ。  自分は、どうしたいのだろう。手島を、どう思っているのだろう。  小崎の思考を遮るように、午後の授業の開始を報せるチャイムが鳴り響いた。

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