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C/8

 駅を出てすぐの植え込みのわきに、手島がいた。以前小崎が手島を待っていた場所だ。  委員会があったせいで帰りが遅くなった。あたりはすっかり暗くなっている。どのくらい待っていたのか、手島はカバンを抱えて座り込んでいる。小崎に気づいて、表情を変えた。わずかに頬を緩めて笑みを見せたが、緊張を隠せない面持ちだ。  その顔を見て、小崎は苛立ちが蘇った。たとえ本能に基づく理由があったとしても、ムカつくものはムカつく。そして小崎の中で今湧き上がる感情が怒りなのだとしたら、それを隠す必要はない。 「あ、小崎」  横を素通りして歩き始めた小崎を、追うようにして手島は足並みをそろえた。 「あの、さ」  遠慮がちにかけられる声が、小崎を苛立たせる。非を認めている証拠だ。後ろめたさを感じさせるのは、悪いことをしたと認識しているからだ。 「あの、ちょっと話、しようぜ」 「……話すことなんかねえよ」 「聞くだけでいいから、話聞いてくれよ」  なぜだろう。手島の言葉を聞いているだけで、ひどくイラつく。  小崎は答えずに歩を進めた。  手島に、どうしてほしいのかわからない。でも、どうにかしてほしかった。手島に、そんな言い方はさせたくなかった。落ち着かなげに、探るような、機嫌を取るような、そんな物言いを。そうさせているのは、小崎だ。でもそもそも、こんな状況を作りだしたのは手島だ。だから、どうにかしてほしい。こんなのは、もう嫌だ。こんな苦しいだけの状況にはうんざりだ。  そのとき、手島が小崎の行く手をふさぐようにして立ちはだかると、いきなり膝を折った。両手をついて、頭を下げる。商店街を目前にした道路の真ん中で、土下座したのだ。 「ッ、おい、手島」 「頼む。話聞いてくれ。頼む」 「やめろよ、立てよ」 「頼む。少しでいいんだ、話だけ」 「お、おい」  腕を取って立たせようとしたが、手島は頑として動かない。周りを行き交う通行人が、物珍しそうに二人を眺めてゆく。 「わかったよ、わかったから」  あわてる小崎の呼びかけに、手島はようやく顔を上げた。 「話、聞いてくれるか?」 「わかったから、立てって」  手島は安心したように息をつき、立ち上がると、先に立って歩き出した。  商店街の裏側には、住宅街を挟んで神社がある。外灯の少ない境内は薄暗く、四方を緑に囲われているせいか、喧騒も届かない。人けはなく、静まりかえっていた。  短い参道のそばにある、ベンチ代わりの置き石に並んで腰かけた。  ときおり、梢を風が吹きぬけて、葉擦れの音をたてる。ぼう、と光る電灯に羽虫が集まっている。手島は何も言わない。  小崎は手持ちぶさたになって、組んだ指をしきりに動かした。手島は膝の上に肘をついたまま、うなだれている。  話を聞けといったわりに、なぜ何も言わないんだろう。いい加減焦れったくなって、小崎のほうから口を開いた。 「……それで」  ぴくりと、手島の肩が揺れる。 「話ってなんだよ」 「……言い訳はしないから」  言い切る手島の、妙な潔さに、小崎はカッとなった。   「なんだよそれ、ひらきなおるのかよッ」 「違う。俺が悪い。考えなしだった。おまえの気持ちとか、全然考えてなかった。俺がガマンできなくなって、俺がしたいようにした。だから、悪いのは俺だ。ホントごめん。マジで悪かった。言い訳なんてできない」  思わず、言葉につまった。真正面から謝ってくるなんてずるい。二の句が継げずに、小崎は顔をそむけた。 「俺、何も考えてなかった。おまえにバレたらどうなるとか。でもそれ以前に、バレなかったらいいとか、そういうのだけでも裏切りだよな。おまえに怒鳴られてわかった。他のどんな女とヤレても、おまえに触れないんじゃ意味ない。俺、おまえとしたいからガマンしてたんだったのに」  ざざ、と、枝葉の揺れる音がして、小崎はゆっくり息を吐いた。  何を言っていいのかわからない。胸がつまる。  俺は手島をどうしたいのか。手島と、どうしたいのか。 「おまえは、好きにする権利がある。もう、俺とは関わり合いたくないってんなら、それでいい。おまえが嫌なら、それは俺のせいだから、しょうがない。でも俺、おまえと一緒にいらんなくなっても、もう一生、誰ともしないから」 「……何を」 「セックス」 「バカ言ってんなよ。意味わかんねえよ」 「わかんねえ。でもさ、意味ねえんだよ。世界中の女とヤレたって、おまえとできないんじゃ意味ない。だから、もういいんだ」  本能じゃ、ないのかよ。  子孫繁栄のための性欲だろう。何言ってんだ。 「……俺、嫌だからな」 「え?」 「おまえと、もう何もナシっての、嫌だ。せっかく、わかったのに。せっかく……」  かっこ悪ィ。泣くなんて、女みたいだ。冗談じゃない。  小崎はぐっと息をのんで、呼吸を整えた。 「もう、二度とごめんだからな。今度したら絶対に許さない」 「え……?」  手島が、隣で困惑した顔をしているのが、手に取るようにわかる。長いつきあいだ。どう言えばどんな反応をするかくらい、熟知している。 「だから……もう、二度とすンな、って」 「許してくれんの?」  驚きと期待に満ちた声だ。だから、いちいち確認するなって。小崎は無意識に、薬指の爪をかんだ。 「マジで? ホントに?」  しかたなく、小崎はうなずいた。手島は許されたがっている。許されたという確証を欲している。 「小崎」  ざあっ、と、一斉に梢が揺れた。髪が吹き上げられる。思わず目を閉じたとき、横から抱きすくめられた。 「て、手島ッ」  抗おうとしたが、小崎を拘束した手島の腕はぴくりともしない。去年までは同じような体つきだったのに、いつのまにこれほど体格が変わったのだろう。先をこされたようで、くやしくもある。けれども、久しい温もりに、小崎は肩の力を抜いた。秋の夜風が肌寒いぶん、手島の体温が心地よかった。 「……ばかじゃねえの。どこだと思ってんだよ……。人に見られたらどうすんだよ」 「誰も来ねえよ」 「わかるかよ、そんなの」 「なんか、離したら、逃げてっちまいそうな気がする」 「……なわけねえだろ。バーカ」 「すっげ、怖かったんだぜ」 「え?」 「もう、二度と触れねえのかって、思って。おまえに、こんなふうに」 「……ん」 「もう、絶対だから。誓うから、俺。絶対、あんなことしねえ。絶対裏切ったりしねえ。命賭ける」 「わかったっつーの」  住宅地の方からエンジン音がして、二人はあわてて体を離した。ライトが常緑樹の隙間を通り過ぎてゆく。動悸を押さえる二人のまわりに、また静けさが訪れた。 「……帰るか」  立ち上がった小崎の手首を、手島が素早くつかんだ。 「もう?」 「……だって、おまえ」 「なんか、不安なんだよ。現実味がねえっつーか、もうちょっと一緒にいねえ? ダメ?」  小崎はあたりを見回した。いくら人けがないとはいえ、外には変わりない。いつ、どこで人に見られるかしれない。  見上げてくる手島の目は、切実だ。手島の願いなら、かなえてやりたい。 「そりゃ……、俺だって一緒にいたいけど」  間がいいのか悪いのか、小崎はいくぶん躊躇して、あきらめたように息をついた。 「じゃ、さ。……俺ンち来る?」 「へ?」  どちらの家も変わらないほどの距離とはいえ、ここからなら手島の家の方が近い。さして気にしない手島に比べて、家族の存在を意識する小崎にしてはめずらしい提案だった。 「いいの?」 「……その、アレだよ。今日は、ウチ、出かけてるから」 「え? おばさんたち? 二人とも?」 「うん。親戚の法事で」 「そっか。遅くなンの?」 「ッ、いや、泊まり」  小崎はさりげなさを装ったが、一瞬止めた呼吸を手島は見逃さなかった。 「じゃ……帰ってこねえの」 「……うん」  すぐに、食いついてくると思った。けれども、小崎の予想とは裏腹に、手島は視線を落とした。 「ダメだ、俺」 「え?」 「そんなん、ムリだって。……ガマンできねえよ。やめとく」 「手島」 「俺、そんなに理性ねえから。また今度にするわ」  潔く立ち上がる手島に、気が抜けたのは小崎の方だ。 「来いよ」  反射的に、そう言ってしまった。 「小崎?」 「来いっての。いいから」  同級生たちの会話が頭をよぎる。  ――本命じゃねえから、ヤラせてくんないんだって。そりゃ男も浮気するよな。  足早に歩き出した小崎の後を、手島は少々困惑した面持ちで追いかけた。

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