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第2話
願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ
柳田國男『遠野物語』
七月某日、俺と茶倉は長野行きの新幹線に乗り込んだ。
今さらすぎる説明だが、茶倉練と俺は十年来の腐れ縁である。出会いは高校の頃まで遡り、男子トイレの個室でオナっているところをナンパされたのがきっかけだ。たちの悪い霊感商法を思い浮かべてもらえれば大体あってる。
俺たちの関係は高校をでて大学に進み、社会人になっても変わらない……などというと、毒舌の茶倉に「フリーターは社会人ちゃうで、社会に認められる事して初めて一人前になれるんやで」と突っ込まれそうでムカツク。
現在、俺は茶倉が取締役代表を務める事務所TSSで働いている。肩書は助手兼雑用係でぶっちゃお茶汲みしてることのほうが多い。ダチに顎で使われるのは業腹だが、厄介な体質のせいでまともな職に就けない手前こらえるしかねえ。以前居酒屋のバイトをした時は、店のトイレで発情するはめになり心底こりた。
車窓の外には牧歌的な田園風景と山の稜線が広がっている。水を張った田んぼは青々と輝き、麦藁帽子を被った案山子が気持ちよさそうに風を浴びていた。
通路側のシートに座り、ジパングに豪遊にきたアラブの石油王の気分で肘掛けに腕をおく。
「なあ茶倉」
「なんや」
「本読んでるなら窓際譲ってくれてもよくね」
「誰のおごりでグリーン車のれとる思とんねん、普通車両にとばすで」
「たしかに交通費はお前持ちだけど、そもそも出張代は会社が出すのが常識だろ」
「窓際が好きやねん」
「俺の方が似合うし」
「自分で言うとって情けのおないんか」
「まあ褒め言葉じゃねえかも。何読んでんの?」
首を傾げて覗き込む。茶倉が嫌な顔をし、手の甲で追い立てる。
「柳田國男『遠野物語』か。知ってる、現国の教科書に載ってた」
「同じ高校なんやし俺かて知っとるわ。どうせちゃんと読んだことないやろ」
「授業中は大抵漫画読むか居眠りしてたんで」
「もしくはオナニー」
「ねーよさすがに、休み時間にトイレ直行したのは否定しねーけど。えーと、有名なフレーズあったよな?」
俺の質問に一瞥もくれず、イケズな横顔で茶倉が回答。
「『願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ』」
視線は活字から離れない。面白いのか気になる。
「岩手県遠野地方の怖い話や不思議な話を集めた本だよな。民俗学者の柳田國男が書いた……」
「構ってやらんから暇しとるんかい」
図星。ちょっとだけ拗ねる。初体験のグリーン車は広く快適で空調も利いており、隣に茶倉さえいなけりゃ最高に思えてくる。弾力あるシートにもたれ、不服げに唇を尖らす。
「グリーン車内は私語厳禁なんて張り紙ねーだろ」
「騒音は迷惑」
「フツーにお喋りするだけだっての」
「地声がでかい」
「マジ?そんなに?盛ってね?」
「ついでに顔もうるさい」
そうと気付かず人様に迷惑かけてた可能性に動揺すりゃ、なんとも心外な指摘を返された。
「うるせくねーよ、ベリショと相性ばっちりあっさり塩顔だよ」
「ずっとその髪型やけど伸ばさへんの」
「めんどくせーじゃん、短い方がらくちんだし。長ェとうなじがチクチクして落ち着かねえ」
「ふうん」
「もしもし練くん?自分で振っといて興味なさそうにされると傷付く」
「別に坊主でもアフロでもかまへんよ。離れて座るさかい」
「かまってるよね思いきり」
ところで茶倉は大学時代にメッシュを入れた。「大学デビューかよ」とからかったら「若白髪やで」と真顔で切り返され本気にしたことは一生秘密にしておきたい。
「メッシュも知らんで笑えた」
「忘れさせろ。めっちゃ脱線したけど、読み物として面白いの?」
「拝み屋やっとるなら一般常識の範疇」
微妙な言い方。
「まあおもろいよ、妖怪とか幽霊とかわけわからん神様よおけでてくるし。岩とか木とかクセ強でべらべら喋るし。あと河童」
「実在すんの?」
「さあな」
「拝み屋なのに知らねえのか」
「仕事に関わってけえへんならおってもおらんでもどっちもでええ」
ドライな態度を貫く茶倉にあきれ半分感心半分、窓ガラスに映った横顔を盗み見る。
「座敷童がいたなら河童もいるかもな。そっちのが楽しそうだ」
とりあえず納得し引き下がり、話題チェンジ。
「一番面白い話は」
「『ガガは生かしては置けぬ』」
「詳しく」
「嫁が不仲な姑にプッツンして、旦那が出とる間に殺ってまうんや。泣いて命乞いする姑にシカトきめて、『お義母さんは生かしておけない』てブツブツ言いながら草刈り鎌研ぐシーンがパンチ利いとった」
「殺人事件じゃねえか」
「猟奇な方の」
聞きたくなかった。死んだ目で草刈り鎌を研ぐ嫁と土間で縮こまる姑の姿が網膜に焼き付いて離れない。後悔する俺の隣で頬杖付き、片手でぱらぱら本をめくる茶倉は今日もハイブランドのすかしたスーツできめており、インテリに見えないこともない。
「|今昔《こんじゃく》、人間は変わらんね」
「ホラーによくありがちな生きてる人間が一番怖いってオチ嫌い。ロマンがねえ」
「怪談にロマン求めんの不毛やで」
「うるせえ」
「ほならホラーによくありがちなこれ見たアナタも呪われる~っちゅーんは」
「安っぽいから嫌い」
憤然と腕を組み踏ん反り返る。ぶっちゃけ怖い話が苦手だが、体質上その手のものに免疫を付けなきゃいけない為そこそこホラーを嗜んでいるのだ。
「ホラーはあくまでフィクションとして楽しみてェ派なの俺は、当事者に引きずり落とすのは禁じ手の反則だろ。てか見たら死ぬとか言われたら怖ェに決まってるじゃん、もうそれ実害じゃん強制終了じゃん。今までコツコツ積み上げてきた恐怖ポイント返せよ」
「めんどいやっちゃな~ホンマ」
憤懣やるかたない俺を鬱陶しげに一瞥、紐を挟んだ文庫本を膝に伏せる。
規則正しい揺れに眠気を誘われあくびをかます。
「長野駅までどん位?」
「1時間てとこ。もうすぐ昼だしワゴン販売呼ぶか、ご当地限定駅弁ほしい」
「色気より食い気」
「朝早かったから腹減ってんだよ」
茶倉は食べ物にあんまり興味がない、したがって二人で出張する時は駅弁選びを任される。責任重大だ。スマホをポチポチ、長野名物の駅弁を調べながら呟く。
「その~……俺たちが行く村」
「|日水村《ひみずむら》」
「そこ。長野駅から何時間?」
「三時間」
「長ッ」
「バスで行く。タクシーは割高」
「車でくりゃよかったじゃん」
「道が狭くて険しいんや、峠越えは勘弁。うるさい顔が助手席でドヤっとると気が散るし」
「感情表現豊かって言え」
「黙れ平たいデコ族、貫通路送りにすんで」
「姦通?」
「なんでそっちは知ってんねん、電車の繋ぎ目のせっまいトコや」
馬鹿話をしてるうちにあっというまに時間が過ぎていく。ある事実にふと思い当たる。
「一緒に新幹線乗るの四度目か」
「せやな」
「前は座敷童子がでる旅館にお呼ばれした」
「温泉浸かってええ思いしたな」
「修学旅行も休んだもんな」
高校時代、コイツは修学旅行を欠席した。理由は知らない。家庭の事情に深入りするのもどうかと思って詮索は控えていたが、やっぱり気になるもんは気になる。
「なんで来なかったの?」
本音を言えば、京都で茶倉と遊ぶのをとても楽しみにしていた。だから休むと聞かされがっかりしたのだ。
自由時間を待って班を抜け出し、じいちゃんと引き合わせようと計画してたのに……。
「やっぱアレか、出るからか?」
京都には大小無数の仏閣があり、恐ろしい幽霊や妖怪がうようよしてる。
拝み屋の孫として思うところがあったのだろうかと妄想を逞しくすりゃ、鼻で嗤われた。
「一身上の都合」
「ごまかすなよ」
「気乗りせんかったんや」
「一生に一度の青春イベントじゃねえか」
「しょうもないサプライズでも考えとったんやろ」
なんだよお見通しかよ。腹立ちまぎれにコーヒー味のキャンディを噛み砕く。
じいちゃんと会わせたいってのは俺の自己満足だし、茶倉は全然興味ねェかもしれねえけど、もうちょっと言い方ってもんが……。
「ほなら言い直す。実家の都合」
「ばあちゃん関連?」
「……ん」
軽く頷く茶倉は唯一の肉親である祖母の話をしたがらない。高校卒業と同時に絶縁し実家にも帰ってないみたいだから、反りが合わねえのだろうと単純に解釈してた。
「―そっか」
じゃあ仕方ねえと納得、したふりをする。茶倉は高校時代から祖母を手伝い、拝み屋の仕事で飛び回ってた。
それで一生に一度の修学旅行が潰れても、ダチと思い出作りができなくてもどうでもいいらしい。俺は、俺だけがどうでもよくない。自分のガキっぽさを恥じる一方で物分かりがよすぎる茶倉にいらだち、ポーカーフェイスをひっぺがしたくなる。
「あの生八ツ橋、結構イケたろ」
「塩辛味とかゲテモンやん」
「イロモノ好きだろ」
「偏見」
「きなことか抹茶とかフツーのもあったじゃん。どれが一番好き?」
「ラムネ」
「ゲテモノ好きめ」
仕方なく土産の話をする。茶倉はちゃんと覚えていた。胸の内でため息を吐き、しばらく揺れに身を任せる。
「本日はグリーン車をご利用いただきまして誠にありがとうございます、車内販売のお知らせをいたします」
「きたきた」
パッと目を開け座席から乗り出す。制服姿の添乗員がワゴンを押して歩いてきた。
「すいませーん、山賊焼き二個と冷凍みかんください」
「かしこまりました」
駅弁の包装紙を破きながら、常に通路側に座らせる理由に勘付く。
「茶倉さー、ひょっとしてワゴン販売呼び止めるために」
窓際席の返事がない。もしやと思い向き直れば頬杖したまま寝ていた。瞼を下ろした顔にはうっすら疲労が滲んでいる。
「……おやすみ」
起こすのは可哀想なのでほっとく事にし、割り箸を咥えて割る。ふたを外すと白いご飯の上ににんにく醤油味のからあげが敷き詰められており、大いに食欲をそそった。一口かじると同時に、左手の数珠が濁り始めているのが目にとまる。
「いけね」
来る前に祓ってもらうんだった。
いくら俺が自他ともに認めるド淫乱でも人様んちで致すのはさすがに抵抗を感じる、なんたってこれから行くのは喪服未亡人とそのお舅さんが暮らす屋敷なのだ。
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