3 / 28
第3話
事件の発端は三日前に遡る。その日も俺は茶倉にパシらされていた。
「頼まれたブツ買ってきたぜ」
『入れ』
「人として当然のマナーの労いは?」
『パシリが図に乗るんちゃうで。はよこい』
けんもほろろな対応に舌打ち。当然相手にも聞こえたはずだが安定のシカト。
自動ドアのご開帳を待ちきれず観葉植物が配されたホールを突っ切り、タイミングよく到着したエレベーターに滑り込む。ギリギリセーフ。
壁によりかかりきょろきょろあたりを見回す。
以前乗り合わせた霊は成仏したんだろうか?茶倉にワンパンで祓われる瞬間を目撃してなお腰が引けちまうのは俺がヘタレビビリなせい?いやいや一度あることは二度ある、二度ある霊障は三度あるのが世の習いだ。
シャツの襟に指をひっかけ、反対の手で扇ぐ。
「あ~極楽~。ギブミー永住権」
壁に背中を付けてずり落ち、ヒンヤリした感触を楽しむ。涼んでる最中にトイプードルを抱っこした老婦人が乗ってきた。
すかさず姿勢を正し対角線上の隅に行く。犬にガン見され気まずい。睨めっこで変顔作りゃしっぽを振りだす。勝った。待てよ、この婆さんが幽霊ってオチはねえよな?
一度あることは二度ある、二度あることは三度ある。先日の災難が甦り、顔から笑みがかき消える。
注意深く視線をずらし、ドアの手前に佇む老婦人の後ろ姿を観察する。右手首の数珠は異常なし。犬はハッハッと舌を出していた。ペット連れってことは勘違い?あのトイプーも霊だったり……待て待て、早合点は禁物だぞ。
老婦人はカジュアルなサンバイザーを付けていた。ちょっとそこまでウォ―キングかジョギングにでも行ってきたような格好だ。大前提として、幽霊がサンバイザー付けるか?
俺の葛藤をよそに、老婦人は虚空を見据えブツブツ呟き始める。
「だからね、写ってないのよまあくんの顔が。代わりに知らない子がいるの」
これは本格的にヤバい。壁に張り付いて距離をとる俺をよそに、老婦人の声が一段高くなる。
「何のことって、こないだ送ってもらった運動会の写真よ!ゴール切った瞬間が他の子とかぶっちゃってるじゃない、少しはアングル考えなさいな。あなたってホントそういうとこあるわよね」
な、なんだ……杞憂と判明しホッとする。よく見りゃ片手にスマホを持っていた。おっちょこちょいにもほどがあるぞ、俺。
老婦人が怪訝そうに振り向く。
「背中に何か付いてます?」
「いえッなんも憑いてません、気にせず続けてください!」
ぎこちない愛想笑いで促すも、老婦人はトイプーを庇いそそくさ離れていった。変質者確定、略して変確。
肩を落としビニール袋の中を覗き込む。コンビニで購入したのは期間限定ハーゲンダッツの新作。残り一個の所をゲットできてラッキー。何の成果も得られませんでしたなんて報告したら、次はニ十分離れたコンビニまでパシらされかねない。鬼かよアイツ。
殆ど震動を感じさせずエレベーターが停止、ドアが左右に分かれていく。
「お先に」
軽く会釈して退出、「TSS」のプレートが打ち付けられたドアへ寄ってく。
「帰ったぞ」
ノブを回し言葉を失った。リビングのソファーに知らない女がいる。より正確に述べるなら、茶倉が女のブラホックを留めてやっていた。
「きゃああああああっ!」
「うわああああああっ!」
速攻服を身に付け、走ってきた女に突き飛ばされ袋を落とす。彼女のハンドバッグにはシルバーの猫ちゃんチャームが揺れていた。
『ちなみにレンタルもやってます、ご用命ございましたらお気軽に。このブラックオニキスの数珠なんてお手頃ですよ、一週間10万円。シルバーのチャームは天使と妖精と猫ちゃんの三種類選べます』
即座に茶倉のインタビューを連想する。エレベーターに駆け込む女を棒立ちで見送ったのち、振り向いて叫ぶ。
「今のセフレ?」
「前に会うた雑誌のインタビュアー」
茶倉はしれっとしていた。足元にコロコロ転がってきたダッツを拾い上げ、何食わぬ顔でふたを外す。
「失格。溶けとる」
「また凍らしゃいいじゃん」
「一回溶かして固めたら味落ちんねん」
「出た~利きダッツの匠。履歴書に書けねえ特技」
「だれかさんとちごて舌肥えとるもんで。就職活動も必要ないし」
「お前がどうしても食いたいってごねっから自分の平熱より高え気温の中走ってきたんだぜ、その気になりゃボンネットで目玉焼き焼けたよ」
少しだけ頭が冷える。
「逆に感謝しろ。さっきまでカチンコチンだったんだぜ、ふた」
「手首捻らんように気ィ遣てくれたん?おおきに」
「下心はノーサンキュー。真心求む」
「軟弱ゲイに貧弱な坊や扱いされんのはいけすかん」
「誰が軟弱ゲイだ」
「お前」
「元剣道部主将だぞ。全国大会決勝まで行った」
「中学でとった杵柄持ち出してまで勝ちたいん?とんだ負けず嫌いやんけ」
口喧嘩じゃ分が悪い。
よく考えりゃ茶倉が事務所に女を連れ込むのは今に始まったことじゃねえが、致してる現場を目撃するのは今回初で、自分でも意外なほど動揺してた。腹立ちを持て余しなじる。
「なんで鍵しねえの。見せ付けんのが趣味?」
「お前が来るまでに帰らす予定やった」
「ホック留めんのに手こずったわけか」
「まあな」
「よく平然と通話できたな」
「喘ぎ声がBGMに入っとらんで残念?ゲイには関係ないか」
言われてみりゃ背後で衣擦れの音と荒い息遣いがしたような……気付きたくなかった。
隣に女が寝てる状況で受け答えできるなんて神経が図太すぎる。
「あのさ~女の子に恥かかせた反省や罪悪感はねえの?」
「ダッツ足りて良かったやん。どのみち買いに行くんはお前さかい関係ないけど」
このように、茶倉練は性悪である。
プラスチックのスプーンを咥え「いまいちかな」と品評する様子はまるで悪びれちゃない。思わず皮肉を言いたくなる。
「……女のブラホック留める甲斐性あったんだな」
「自分じゃむずかしゆうから代わりに」
「すけこましが」
「せっかく訪ねてきはったのに手ぶらで帰せん」
「おもてなしか」
「サービス精神旺盛やろ」
「リピーター確保が今後の課題?寝た女にただでチャームやるって噂になってんぞ」
「おまけやて」
「この猫がいいねと君が言ったから7月8日はセフレ記念日?」
「ネタ古」
髪をかき上げうなじをさらす女と、こなれた手付きでホックを留める茶倉を反芻しむしゃくしゃする。
俺はゲイだが茶倉はノーマル、恋愛対象は女。んな事わかってる。それはそれとして納得いかねえのは……
ぴりりとビニールを剥がし、アイスの表面にスプーンを突き立てる。
「俺のパンツは上げてくれたことねえくせに」
おもいきり顰め面を返された。若干引いてる?
「甘え腐んなボケ、誰が下の世話まで焼くかい。なんならお前の給料から除霊代差っ引っいてもええんやで」
茶倉はめちゃくちゃ女癖が悪い。俺が把握してるだけでも独身人妻問わず2・3人セフレをキープしてる上、依頼人に手を出す事もしばしばときて職業倫理を問いたい。
「誤解すなよ、無理強いはしとらん。向こうから粉かけてきたのに恥かかせられんよって」
「心を読むな」
「顔に出とる」
「この為にソファー新調したの」
「俺の聖域でナニしよが自由」
「セイはセイでもりっしんべんの方な」
指で宙にでかでか「性域」と書く。
コイツにゃ妙なこだわりというか癖があり、事務所のソファーでセフレと致すのだ。奥のドアを開け、寝室に連れ込むことは滅多にない。手あたり次第無節操に見せかけ一応線引きはしてるのだ。
どうでもいいが、俺もベッドで抱いちゃもらえねえ。除霊ならソファーで十分とでも思ってやがんのか……
特別扱いしてほしいわけじゃねえけど、そこそこ長い付き合いの間柄で水臭えと不満が募り行く。初体験もカラオケボックスの安っぽいソファーだった。
茶倉が指揮棒の如くスプーンと靴の先端を回し、ドヤる。
「案件が片付いた依頼人しか手ェ出さへんで?自由恋愛の範疇」
「よくいうよ人妻好きが。高確率で浮気じゃん」
「パートナーの意志は尊重しとる」
「挿した腹いせに刺されるとか自爆ギャグかよ」
「未遂やし」
どこまで信じていいか怪しいもんだが、依頼人と深い仲になり、揉めたりこじれたりするのが面倒くさいってのが本音らしい。数か月前にもセフレの一人がストーカー化し、刃傷沙汰を起こしている。
茶倉に堕ちた女はろくなことにならねえってのに、どうしてみんな見る目がないのか。やっぱ顔か、顔なのか?
対面のソファーに腰掛け、ぼやく。
「あの子もクチャラーになっちまったか」
「わざと間違えたなジブン」
「チャクラ―とクチャラーて似てるよな語感が」
「噛めば噛むほど味がでる」
「もっと恥ずかしがるとかしろ」
「換気は済んどる」
「生々しい……」
聞いたのを後悔した。
「俺のプライベート気になるならゴミ箱漁ってどうぞ、燃えるゴミの日さかい代わりに捨てといてくれ」
「午前中に回収終わってんぞ」
あきれ顔で突っ込んだのち、頭のてっぺんから爪先まで見直し違和感を覚える。
好奇心を押さえきれず、声を潜めて訊く。
「お前……ヤる時脱がねえの?」
ハイブランドのスーツに皺一筋ないのを訝しめば、スプーンを持った手が止まる。
「俺とする時だけかと思ったら女とする時もそうなんだな、ヤりにくくねーの」
「そっちの方が主導権握っとる感じしておもろい」
「性格わる……」
「おおきに」
「誤用だぞ」
匙を噛んで唸る俺に対し、にっこり微笑む。
「今度は脱げよ」
「そない剥きたいんかスケベ」
「俺だけ素っ裸はなんかやだ。なんていうか、フェアにいこうぜ。一方的にいじくられるだけってちょっと、かなりアレだし」
「文句が多いやっちゃな、気持ちようしたってるのに」
「コミュニケーションの問題」
改まって言うのも恥ずかしいが、言った。
案の定気分を害す。
「除霊のたびに脱いでたら手間でかなわん。露出狂ちゃうねんぞ」
「だよな」
がっくり。茶倉ん中じゃ除霊は仕事の範疇、したがって俺とヤる時に脱ぐ意味がない。
理屈はわかるものの、割り切るのは難しい。
「いちいち脱いで畳んでたら皺になっちまうもんな」
「全裸に数珠だけて変態くさくて笑えるし」
「喧嘩売ってる?ヴァシュロンコンス、ス……スタタターン割るぞ」
「言えてへんやん」
「るっせーすっとこどっこい、早口言葉みてえな腕時計すんな」
「やいとるん?」
図星を突かれた。
女の白い背中が瞼に浮かび、ぐっと言葉に詰まる。茶倉が勝ち誇り左手を突き出す。諦めて手首を裏返す。瘴気バロメーター代わりの数珠は綺麗なまま、かえって恥をかく。
「ふーん」
「はなせ」
長さと関節のバランスが絶妙な指が、白く光る数珠を一粒一粒辿っていくのを振りほどく。
「なに拗ねとんねん」
「お前がヤッたソファーでヤリたくねえだけ」
「さよか。ほならご勝手に」
悔やんだ時には手遅れで、茶倉はすっかりその気をなくしカップを捨てた。
ともだちにシェアしよう!