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第4話
ピンポンが鳴り、インターフォンから涼やかな女の声が流れだす。
『二時に予約した佐沼です』
「お待ちしてました。お上がりください」
即座に営業スマイルに切り替え、俺の尻を叩いて急かす。
「出番やで、お茶汲み係」
「ランクは?」
「玉露。接待気張り」
およそ二分後に事務所に通されたのは、ひっ詰め髪すら色っぽい喪服の女性だった。
「はじめまして。佐沼清美と申します」
見た目は三十代後半、所作が垢ぬけている。右目の下の泣きぼくろの幸薄そうな風情もそそる。
茶倉が腰を浮かし対面のソファーを勧めるや、丁寧に一礼して腰を下ろす。じろじろ見んのは失礼だと心得ちゃいるが、インパクトが凄い。一旦給湯室に引っ込んでお茶を淹れてくる。
「粗茶ですが」
「ありがとうございます」
実際は京都直送、一袋五万円の最高級玉露だ。
ここだけの話、TSSじゃ依頼人のグレードごとに出すお茶が決まってる。下から使い切りティーパック、市販のお茶、玉露。ティーパックは干して使い回す事もあるが、殆ど嫌がらせだ。京都人が長っ尻の客にぶぶ漬け出すのと同じ理屈。
とはいえ出涸らしを飲ますのはひやかし目当ての迷惑ユーチューバーや押しかけファンが主なんで、あんまり心は痛まない。そーゆー連中の多くは茶倉に除霊バトルをふっかけ一部始終を生配信したり、「付き合ってる人いるんですか」「ここに住んでるんですか」「年収おいくらですか」と詮索するのに夢中で茶の味なんざかまやしねえ。
ドケチがスーツを着て歩いてる茶倉が玉露ランク認定したって事は、相当な金持ちに違いねえ。見た感じ資産家の未亡人てトコか。第一印象を胸に折り畳み、両手に盆を抱え茶倉の隣に控える。
「それで、本日のご用件は?」
愛想よく切り出す茶倉を上目遣いにうかがい、おずおず口を開く。
「まずはこちらをご覧ください」
ハンドバッグから出されたのは、土砂崩れの現場写真が載った記事の切り抜き。茶倉が素早く読み上げる。
「『台風17号が与えた深刻な被害 日水村で土砂災害発生 犠牲者一名。六月二十九日未明長野県東部の日水村で大規模な土砂災害が発生し、同村の自営業・佐沼尚人(54)さんが死亡した。佐沼さんは車で帰宅中に日水山の土砂崩れに巻き込まれ即死したと見られている。警察の捜査の結果、「家族が待っているから」と知人が止めるのを聞かず車を出した経緯が判明した。他の住民は避難済みで全員無事だった』」
「尚人は夫です」
「お悔やみ申し上げます」
頭を下げ、気になっていた事をたずねる。
「だから喪服を?」
「四十九日経っておりませんので」
「いまどき珍しいですね」
「夫に先立たれた嫁は、喪が明けるまで黒ずくめで過ごすのが佐沼家のしきたりなんです」
おくれ毛を梳き、ほんの僅か恥ずかしげに微笑む。
清美さんは三年前に尚人氏と再婚し、夫の故郷である日水村に移り住んだ。夫の実家には脳卒中の後遺症で体の不自由な舅と通いの家政婦がいた。
「佐沼家に入る前は何を?」
「六本木のクラブでホステスをしておりました。尚人さんは元お客様で、贔屓にしてくださったんです」
「どうりで垢ぬけてらっしゃいますね。僭越ですが、色眼鏡で見てくる方もいたんじゃないですか」
「とんでもない!皆さん親切にしてくださいましたし、私も佐沼の嫁の自覚をもって家を支えて行こうと思いました」
「村一番の旧家というはなしですが」
「付近一帯の地主です。GHQの農地改革で徴収されるまで広大な田畑や土地を所有していたとかで、村の北側に面した日水山も佐沼の持ち物でした」
「日水村、日水山……変わった名前ですね」
茶倉に横目で睨まれた。清美さんが柔和に苦笑する。
「お山のせいで日を見ずが訛り、日水山、日水村になったそうです」
「このデカさじゃ遮っちゃうでしょうね」
「古い土地柄なもので、色々言い伝えがあるんですよ」
「今回いらした目的にもその言い伝えが関係してるんでしょうか」
漸く顔を上げ、真剣な表情で言った。
「夫はおきゅうさまに殺されたんです」
「おきゅ……?」
聞き間違いかと思った。首を傾げる俺の隣でくしゃりと音がする。茶倉が怖い顔で切り抜きを握り潰していた。束の間の放心状態。
「おーい」
小声で名前を呼ぶ。我に返った茶倉が緩やかに瞬き、決まり悪そうに咳払いする。
「おきゅうさまて、今そういうたんですか」
「関西弁」
「失礼しました。続けてください」
俺の指摘で失態に気付き、流暢な標準語に直す。
別にどっちもでいいけど、依頼人には標準語で対応するのがコイツのポリシーのはず。
「おきゅうさまは日水村の土地神です。先日の台風で日水山の斜面が崩落し、おきゅうさまを祀った社も押し流されました。だからでしょうか、尚人さんが死んだのはおきゅうさまの祟りだって皆さんが」
「待ってください、尚人さんはおきゅうさまに恨まれるようなことしたんですか」
「日水山を業者に売却し道路を通す予定でした」
日水村は人口三百人足らずの山間の集落で、曲がりくねった峠道が唯一の交通手段だそうだ。日水山に道路を敷けば、隣町まで歩いて三時間の道のりが五十分に短縮できる。
「それは便利でしょうね」
「村の人たちには猛反対されました。日水山は土地神様がおわす神聖な場所、重機を入れて崩すなど言語道断、木を切るなどけしからんというのが彼等の主張です」
「神域だったんですね」
「もしくは忌み地でしょうか。数十年、数百年前は神隠しや姥捨てが絶えなかったと聞きました」
清美さんの目が昏く翳る。
「山に入った人間は二度と日の目を見る事がないから日見ずの山、日水山とする説もあります」
時代錯誤な話だと呆れる一方共感できなくもねえ。生きてる人間が興味本位で足を踏み入れちゃいけない領域は確実に存在する。
「予期せぬ事故が相次いで計画は中止になりましたが本人は諦めきれず、接待したりされたりコネ作りに飛び回り、仕切り直しの機会を窺ってました」
「予期せぬ事故とは」
「重機が突然故障したり作業員が発作で倒れたり。工事中に土砂や倒木の下敷きになった事も」
清美さん曰く、重機の点検や現場の下見はきちんとしており事故原因は不明。ただの偶然で片付けちまうには些か気味悪い不幸の連続というしかない。
俺は手を挙げる。
「おきゅうさまってどんな神様なんすか?」
「よくわかりません。尚人さんや村の人たちに聞いても話したがらず……よそ者だから教えてもらえないだけかもしれませんけど。ただ……とても怖い、とても大きい神様とだけ聞いています」
「鎮めるにしろ退治するにしろ肝心の正体がわかんなきゃお手上げじゃん」
口数少ない上司にこそこそ耳打ち。何とかしてやりたいのは山々だが、情報が足りなすぎて解決の糸口が掴めない。
茶倉が落ち着き払って口を開く。
「清美さんは旦那さんの事故の原因がおきゅうさまにあると、本気でそうお考えなんですね」
「正直半信半疑ですが……尚人さんが死んでから、村で変なことが続いてるのは本当なんです」
「たとえば」
「舅の悪夢と寝言、徘徊癖が酷くなりました」
「認知症で寝たきりのお義父さん?」
「毎晩うなされながらおきゅうさまを呼んでるんです。もごもごして聞き取り辛いんですけど、なんだか謝ってるみたい。村の人たちもうちを避けはじめて……塀や表札を汚されたり門前にゴミを撒かれたり、以前にも増して嫌がらせがエスカレートしてきました」
「警察に通報されてはいかがでしょうか」
事務的なアドバイスにハンドバッグを握り、唇を噛む。
「一番怖いのは地震が増えた事です。日水村だけなんです。土砂崩れ再発の予兆じゃないかって、皆怯えてます」
「村限定の局地的な地震……」
思慮深く唇をなぞる茶倉の横で、またしても手を挙げる。
「村だけってどうしてわかるんですか。予報?」
「実際来てみればわかります。揺れてるのは道祖神の内側だけ、境界線でも引いたみたいにあっちとこっちでくっきり分かれてるんです」
道祖神ってのは峠や辻、村境に悪霊や疫病を防ぐ目的で据えられる石仏をさす。別名たむけの神ともさえの神ともいい、地方によっちゃ子どもと親しむ神ともされてきた。以上、茶倉の受け売りなんであしからず。
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